台所の調味料 ─日本酒─ | 小迫良成の【食ブログ】

小迫良成の【食ブログ】

「民以食以天(民は食を以て天と為す)」
「吃是一在世(食べることは生きること)」
 この言葉を心の銘と刻み込み
 食の世界を回遊・遍歴する
 或る音楽家の魂の記録

私の父は

それなりに酒を嗜む人だったが、

それではどんな酒が好きだったかというと

ちょっと思い出せなかったりする。

 

小さい頃は酒屋から

ビール瓶をケース単位で

運んでもらったりしていたが、

同時に日本酒もごく普通に

台所に1~2本置いてあり、

その時々によって

ビールにするか日本酒にするか

寄り分けていたようだ。

 

ビールはもっぱらキリンビールで

興が乗ると

「麒麟の絵の中に”キリン”と

 文字が描かれているんだぞ」などと、

酒飲みネタを子供に振っては

面白がっていたりした。

 

日本酒の銘柄について

特に拘りなどは持っておらず、

「特級であればいい」

程度だったと思う。

 

飲み方はもっぱら熱燗で

夏場であっても

ぬるめの熱燗を好んでいた。

 

そのまま冷やで飲むのは

宴会の席で「蔵酒」とかが

出された場合のみじゃなかったかな?

 

夕食の席など

父の晩酌のアテとして

母は必ず一品作っていた。

 

大抵は、

「なまこ」の酢の物か、

「つぶ貝」の塩茹でだったりするが、

たまに「ふぐ刺し」とか

「ちいちいいかの煮物」とかが

出てきたりする。

 

そうした酒の肴が一品もないと

途端に父は不機嫌になってしまうので、

母もさぞ大変だったろうと思う。

 

…が、それはそれとして、

酒こそ飲めないものの、

父の酒の肴をひとつふたつ

貰って食べるのは好きだった。

 

そのせいだろうか、

今も酒は全然飲めないのだが、

酒の肴は大好きだったりする。

 

早出・遅出・泊りと

3交代制で24時間稼働し続ける

福山の中央郵便局に勤めていた父は

それなりに激務であったのであろう、

家に帰るとステテコ姿で

ソファに寝そべったり

日本間にあるテレビの前で

ゴロリと横になっていることが多かった。

 

家のことは全て母任せ。

料理洗濯掃除は勿論のこと、

出掛ける時に着ていく服や靴下を

箪笥から出して用意するのも

母の仕事だった。

 

いわゆる昭和の

ベタな「亭主関白」である。

 

母はそれに文句も言わず

淡々と家事をこなしていて

子供心にも偉いなあと

感心していたものだが、

そこは母もさるもの、

母は父の飲む酒と料理用酒の

使い分けなどせず、

特級の酒を遠慮なく使って

味噌汁や煮物を作っていた。

 

父もそういうことでは

別段怒ったりはしない。

 

家のことを母に任せている以上、

細かなことに口出しはしなかったし、

夫婦仲は、なんだかんだあっても

おおむね円満だったように思う。

 

母が台所でやってた日本酒の使い回しは

私にもしっかり受け継がれており、

「日本酒は一度封を切ったら

 その場で飲むか、料理酒にする」

というのが我が家のポリシーだったりする。

 

・・・で、

正月の酒が残ってしまうと、

それが純米大吟醸であろうと

「獺祭二割三分」であろうと

味噌汁の材料になってしまうのである。

 

酒飲みが聞いたら

激怒しそうな話ではあるが…(可笑)

 

※写真は熱燗イメージ(写真ACより)