こんにちは!
ご訪問ありがとうございます
文乃です
私の今までの歴史を
「わたしとHSP」という観点から
シリーズ化してお送りしています
今回は第2段です
どん底の20代
順調だと思っていた人生が
大学院のときに180度変わりました
大学院といっても、内科の医局で
周りはお医者さんばかり
特殊な環境な上に、
「大学院生に休みはない」
「1週間に8日間研究しろ」
など、常に降ってくる厳しい言葉。
さらに教授はめちゃくちゃ怖い
・朝8時から夜10時まで研究
(夜通しのときもあった)
・土日祝日も休みなし
・教授や先生方に怒られないか常にビクビク
・「もっと頑張らないと
自分はまだまだダメ」
とムチを打ち続ける
こんな生活を続けた結果
めまいなどの体調不良から
文字が読めなくなり、
研究が嫌で仕方がなくなって
研究室に行くことができなくなりました
「周りの目や言葉に強く影響される」っていうのも、
HSPの特徴がでてるな〜と思います。
そもそも、大学生のころから
過食したり鬱っぽかったり
不調はあったんですよね。。
なのに、そういうサインを無視して
「もっと勉強しないと」と
突っ走り続けてしまい
こんな結果に
あの頃の私は
「勉強していない時間は罪な時間だ」とまで
思ってました。ヤバいですよね
最終的に半年間休学して
修士課程は修了できましたが、
目指していた博士課程に進めないどころか
「双極性障害(躁うつ病)」と診断され
就職さえままならない状態
家で寝ているしかなくて、
ずっと泣きながら自分を責めてました
そんな中でも、
学生時代から付き合っていた人と
結婚が決まり、お相手の転勤で中国地方へ
これで自分の状態も
少しはいい方向に進むだろう
なんて思ってました
でも今考えると、
躁うつ病がひどいなかで
「結婚」という
大きく環境を変えることは
しない方が良かった
です
さらに私の場合、結婚相手も病んでまして。。
転勤先での生活になじめず
急に夫が倒れてしまいました
家で寝込む夫を看病する毎日。
周りはどんどん妊娠出産していくなか、
子どもを望んでいたわたしは
自分がなかなか社会復帰できない上
夫がいつよくなるのか全く分からず
暗いトンネルで
もがいているような気持ちでした
そして夫が気分転換したいと実家に帰り、
「もう中国地方には戻らない」
「もう働く気はない」
「僕の実家で僕の両親と完全同居して欲しい」
などなど色々と言われ
夫への信頼が薄れてしまい
最終的には夫から「別れて欲しい」と
あっさりと離婚が決まりました。
このとき29歳。
婚姻期間、わずか1年11ヵ月
同居期間、たったの1年で私はバツイチへ
まだ躁うつ病も寛解しておらず
本当に人生のどん底で、
「生きていても仕方ないんじゃないか?」
くらいに思ってました
→続きます
stand.FM、更新しました
↓↓