【荷おろしの松】
丹羽村と、北桧山町の記念樹ですよ。
丹羽五郎氏が、フロンテア精神に燃えた一行を連れて来て、
[私たちが開拓するのは、ここからですよ。
中心はあのあたりですよ]と、
指さしたのがこの松の木のそばで、
荷物をおろしてひと休みした所なのですね。
中心部には「小金山=おきんざん」が、見えてたはずですよ。
この小金山に、丹羽五郎氏が建てた「白虎隊」の墓があります。
人数分の数だけあるのでしょう。
石碑の大きさは、高さが25センチくらいで、幅は13センチくらいの物ですよ。
小金山の頂には宮があってそこへお参りするには、
200段くらいの石段を登らなければならないのですよ。
理由はわかりませんが、山肌一杯に、水仙を植えているのです。
5月の第2土、日曜日が、水仙祭りですよ。
長和5年(1016年3月10日) 三条天皇が敦成親王(後一条天皇)に譲位。
藤原道長が摂政に就任
◎言葉の説明。
○摂政。
帝が未成年のあいだのお守り役。
○関白。
成人した、帝のお守り役。
で、
藤原道長が、帝が成人してるのに、摂政にこだわったのは、
関白よりも摂政の方が、役の数が多くて実入りも多かったからですね。
寛永11年(1634年2月26日) 江戸幕府が大名火消を設置
有名だったのが松平出羽守の火消で、殿さまが馬に乗って先頭を、
火消したちは、ふんどしだけの丸裸。まとい持ちは、まといを振り回しながら、
殿の乗った馬に負けじと駆けたのですね。
帰る姿を見ようと、行列が出来たそうです。
問題が、
裸ゆえに死者が多かった事。
それを殿さまが知らないので、殿さまだけがいい気分だったようですよ。
明治5年(1872年3月8日) 明治政府が近代最初の人口調査を実施。総人口3311万人
[鏡の中に居た父親]
○昔、むかし、のはなしです。とても、親孝行な息子が居て
病弱な父親を骨身を惜しまずに丁寧に大切に
面倒を見て居たそうですヨ。
○でもしかし、無情の風とやらが吹いたのでしょう、
父親は、天に召されてしまいます。
息子は元気のない毎日をおくって居たそうです。
○庄屋さんが見かねてか、息子を呼んで、教えたとサ!
○[元気を出しなさい?おまえの父親はこの中に居るよ!
ホラ見てゴラン!]と、
息子が、覗いて見るとチャンット、鏡の中に、父親が居りました。
○息子はその鏡を、庄屋さんからいただいて来て
二階の自分の部屋に大切に保管し、毎朝かかさないで
父親に挨拶をして居たそうですヨ。
○当然のように息子は元気な毎日を過ごすようになったそうです。