9月も、下旬にさしかかり、

連日の酷暑も、じわじわと続きつつも

やはり真夏日というほどではなくなってきている。

確実に、秋の気配になってきている。

 

 

 

9月と言えば、俺の中では

相手の方の命日があり・・・。

9月7日には、毎年、必ず

事故現場のすぐそばにあるお地蔵様へ献花して、

相手の方が生前、酒好きだったので

必ずワンカップの日本酒をお供えに行っていた。

 

俺の中で、9月とは・・・懺悔の月・・・

禊(みそぎ)の月という感じだった。

 

それが、今年は・・・行かなかった。

「行けなかった」というのが、俺の言い訳なのだが。

 

8月の上旬・・・

ほんのちょこっと、後ろから車に当たられたというだけの事故

大怪我をしたわけでもない、ケガのひとつもなかった、

たったあれだけの、もらい事故のせいで・・・

俺はフラッシュバックを起こしてしまったのだ

20年以上経った、当時のことを、昨日のことのように思い出せるけど、

出来事だけじゃなく、思い出してしまったのだ・・・。

 

あの時、感じた恐怖を・・・。

 

バックミラーに映っていた後続車。

俺の車を後ろからアオってアオって、

俺がバックミラーに注視していた1秒か2秒の間に・・・

相手が道路へ飛び出してきてて・・・

急ブレーキ後に、相手をはねて・・・

俺の車が停まった瞬間に、後続車がすごい勢いでぶつかってきた。

後ろから伝わってきた、ものすごい衝撃・・・。

頭が真っ白になって、身体が震えて動けなくなった・・・

あの時の恐怖を、脳が、身体が、思い出してしまったのだ・・・。

 

 

 

だから・・・ごめんなさい。

とてもじゃないが、車を運転して、

当時の事故現場へ向かうことが、怖くて怖くて・・・

「行かなきゃ!」

「俺が加害者なのだから、生涯かけて償わなくちゃ!」

「命日だけは、必ずお参りしなければ!」

そう思えば思うほど、身体が・・・

ギューーーって強張ってしまって・・・

泣きたくないのに、涙が溢れてしまって・・・。

 

もうダメでした。

命日の日は、車に乗ることが出来ず、

俺は、ずっと家にこもっていました。

仏壇に向かって、お経をあげて、

華を買うことも、酒を買うことも出来ず。

ただただ、「ごめんなさい」という一心で、

お経をあげるだけになってしまいました。

 

 

 

このことを、誰かに言いたくて・・・

俺は卑怯者で、臆病者で、薄情者で・・・って。

子供たちが寝た後に、嫁ちゃんに懺悔するように話してみました。

 

嫁ちゃんはね、やっぱり優しいからさ。

俺を責めることはしないんだよね。

「もういいんじゃない?」

「それは仕方ないよ。」

「現場に行けなくても償いの気持ちは伝わってるよ」

嫁ちゃんは、そう言ってくれたけど、

それは、やはり身内だから、家族だから、

そう言わざるを得ないというか・・・。

 

赤の他人だったら、バッサリ責めてくれるのだろうか。

遺族なら、もっと辛辣な言葉が出てくるんだろうか。

とか考えたり。

これも、結局は、

自分自身が自責したいんだろうな。

自分を責める材料を、他人の言葉の中から探しているだけなのだろう。

その方が、ラクだからだ。

自分自身を責め続けることがツラすぎて、持久力が切れかけているから、

他人に責めてもらったほうがラクなんだ。

そう・・・結局、自分はラクになりたいだけなんだ。

なんて愚かで浅はか。

 

もらい事故のおかげで、

また、自分が何者なのか、再確認できた気がしている。

 

・・・苦しい。

一生かけて、これを味わっていこう。