どーも。
最近、休日はコーヒーを飲まないようにしている大五郎です。



コーヒー、好きなんですけどね。
仕事中は、頭や体が欲しているようで
飲みたくなるし、おいしいと感じるけれど、
休日、家族とともに過ごしていると、
頭も体もリラックスしちゃってるせいか、
コ-ヒーを飲むと・・・あんまりおいしく感じない(汗)
胃が「イヤイヤ」と拒否してる感覚になります( ̄ー ̄;
なので、休日は、なるべくコーヒー以外のものを
飲むようにしてます(^▽^;)
でも、うっかりコーヒー飲んじゃうけどね(笑)






最近、なるべく自分の『お仕事 』のことをブログに書こうと思って、
『心の気づき』みたいな、説教くさい『説法』みたいな話は、
書かないようにしてましたが、
この記事は、ちょっと『そっち系』のお話を書きます(汗)






最近、いつもお世話になっている接骨院の先生が、

「心に振り回されたらいかんよ。
心って、結局は、脳だから。肉体の一部だから。
心じゃなくて、魂を中心にしなきゃダメだよ。」


と、俺に言ってくれました。

『心と魂は別モノ』・・・

俺って、このことが頭のどこかで分かっていたけれど、
先生に言われて、「はっ!」として、なぜか腑に落ちました(^▽^;)
俺は、ごく最近まで、
『心と感情は別モノ』みたいな考え方になってました。
まぁ、結局は、似たようなことなんですが、
『心=魂』というニュアンスで、
先生のお話では、『感情=心』ということになります。

もう数年前から、先生方から、そういうお話を聞いていたはずですが(汗)
最近になって、ようやく腑に落ちるというか( ̄ー ̄;
これも『タイミング』というか、そういう『時期』だったんでしょうね。



昔は、「感情をあらわにするのがダメ」という考え方でした。
喜怒哀楽の感情を封じ込めて、いつもポーカーフェイス(無表情)。
そのほうが、誰にも心配かけないし、迷惑にならない生き方だったから。

それから、営業マンになって、
喜怒哀楽を、場面に応じて使い分けるという考え方に。
いつも営業スマイル。
でも、今まで封じていた喜怒哀楽の『喜・楽』を出すことにより、
その他の感情も、徐々に漏れ始めていました(汗)
コントロールできるほど器用じゃなかったってことです。

そして・・・人生のどん底を味わい・・・
また、感情を押し殺す考え方になった。
とくに『喜・楽』を封じて、『怒』なんて、もってのほか。
ただただ『哀』を感じきるように・・・。

そうやって、数十年・・・。
また少しずつ、喜怒哀楽の感情を認めれるようになっていった。
感情をどうにかしようとしていても、
思わず笑っちゃう出来事や怒っちゃう出来事、
悲しい出来事や幸せを感じる出来事が起こる。



by絵描き士・大五郎



喜怒哀楽、どの感情が抜けてもバランスが悪いんだ、と
気づいたのは、けっこう最近のことでしたが・・・(^▽^;)



『心(喜怒哀楽)と魂は別モノ』・・・

俺の『魂』が、『心身』が、それを受け容れれる器に、
ようやく成長したのかもしれないと感じています( ̄ー ̄;

とはいえ、まだまだヒヨッコ(汗)
ついつい『魂』ではなく『心』で感じたままの『感情』の
言動や行動を繰り返してしまうかもしれません。
別々であっても、やっぱり『魂』も『器』と一心同体。
なかなか切り離して考えれないというか・・・(汗)

いや、そもそも『魂』って、どうやって喜ばせればいいんだか( ̄ー ̄;
「魂と心は違う」ならば、「魂が喜ぶことと心の喜ぶことは違う」ということ。
・・・いや、まれに『合致』することもあるのかも(汗)
あ~、ややこしや~(+__+)





そんなこんなで、『魂と心は別モノ』が腑に落ちたことにより、
過去を思い出して、「あー、アレは心に振り回されたな」と感じたネタを、
今日は、書いてみます。

いつか書こうと思っていた、「もしも、俺なら・・・」という『妄想話』。

んで、また近々、このタイトルの
『相手がどうあれ!』という言葉を、『絵と文』として描いて、
別の記事で公開しようと思っています。





俺が、この『妄想話』を書きたくなったのは、去年の暮れのこと。

よく拝見している、picoさんのブログ に、
俺の『心』が激しく反応する『実話』が紹介されました。



許せない相手にも使えるありがとうの言葉は万能薬



内容を、簡略して書くと、

小学2年生の男子同士のケンカで、
相手の子が投げた石が、わが子の右足の小指に当たって、
爪が剥がれるケガをした。

すぐに病院で看てもらって、
わが子のケガは大事に至らなかった。

しかーーーーーし!
ビックリしたのは、相手の母親の対応!

「うちの子が石を投げてしまって・・・ごめんなさい」と謝ってくるかと思いきや、



「うちの子はあなたの子に怪我をさせた、
という負い目で毎日泣いています!
いったいどうしてくれるんですか!!」




はぁぁぁぁ!!!?Σ(゚д゚;)

まさかの逆ギレに、抗議したが、
相手のモンスターペアレントの態度は変わらない。
一向に謝る気配がない。



このお話に、picoさんは、

「許してあげて、感謝してみよう」とアドバイス。

その菩薩のような、神様のようなアドバイスに、
当事者である母親の『心』・・・というか
『魂』が苦しみから解放されたんですよね・・・。



このお話を見たとき、
「さすがpicoさんだ。たしかに、許しと感謝だよな。」と感じたけれど・・・

「俺が当事者ならば、どう感じるか?」

「わが子・・・もし、娘がケガさせられたのに、
相手の親が、こんな感じで怒鳴り込んできたら?」




ゆ・る・せ・ん!!!ヽ(`Д´)ノ



俺だったら・・・

「そうですか・・・それは、ツライですね。かわいそうですね。
では、その子が抱えている負い目を、今度は私が背負いましょう。
あなたの右足の小指の爪を今からはがしますから、
その太い足、出してください。」


と、怒り静かに言い放ってしまいそうだ・・・(+__+)


謝ってこられたら、きっと
「あぁ、いいんですよ、子供同士のケンカのことですから。」
とか
「ケガもたいしたことないですし、大丈夫ですよ」
なんて、すぐに許しちゃうのに。

ケガさせといて、謝らずに怒りをぶつけてくるなんて、
そんな理不尽なこと・・・ありえない(+__+)



当時は、やはり『心』を中心にしてしまって、
とても冷静に対応できるとは思えないと、感じていました(汗)
「謝らせたい!」「復讐したい!」「正義は我にあり!」
相手の怒りの感情にアオられて、
怒りの感情のままに、被害者という立場を間違った正義で振りかざす・・・。

その先にある未来は、『負』。
「勝ち負け」でいえば、すでに負け。
なにかのカタチで勝ったとしても、
自分も相手も、膨れ上がった負のエネルギーに巻き込まれる。
おそらく、心も晴れないだろう。魂も喜ばない。





今なら、『魂』を中心に、
もうすこしマシな対応ができるような気がします(汗)

「うちの子はあなたの子に怪我をさせた、
という負い目で毎日泣いています!
いったいどうしてくれるんですか!!」


相手の要求は
「うちの子が毎日泣いているのを、どうにかしてくれ」なのだから、

「では、私がその子を泣きやませます。
私が、その子の負い目を払拭しますから、
ぜひ、連れてきてください。
それとも、私がそちらへお伺いしましょうか?」


と言ってみる。

おそらく、相手の母親も、
いろんな言葉を、わが子に試したことだろう。
たくさん「気にするな」とか「お前は悪くない」と言っただろう。
どんなことをしてでも、わが子を苦しみから救いたいと思っただろう。
それでも、毎日、自分を責め続けて、泣いているわが子・・・
そのうち、「親としての愛情不足?力量不足?」と感じただろう。
こうなってしまった『原因』を責めたくなったんだろう。
そうしなければ、自分もわが子も、苦しみから解放されないから。
誰かのせいにしなきゃ、ずっと自分のせいにしてしまって、
追い詰めてしまって、自分で自分を苦しめてしまうから。

「あなたに何が分かるっていうの!?
あなたに、うちの子の苦しみが分かってたまるもんですか!」


きっと、そう言い返してくるだろう。
そう言いたくなるのも分かる。
だって、憎い『原因』である相手が、分かったようなことを言うのだから。
こっちが感情を高ぶらせているのに、相手が冷静な対応をしてきたら
バカにされてる気がして、さらに怒り倍率ドン!だろう(汗)
親である自分が、がんばってもわが子の負い目を
どうにもできなかったのに、赤の他人の、
しかも、加害者(その親から見たらね)が、
冷静に、簡単に解決できるようなことを言い出したら、余計に腹が立つだろう。

それでも、

「無理にとは言いませんが、私にお任せいただければ。」

と言ってみる。

そこで、相手の母親の態度が変わらず、
怒りまくって、帰るのであれば、それでもいい。
「解決しようか?」と提案したのに、それを断る選択をしたのは相手なのだから。
苦しいままでいいと選択したのは相手なのだから。

そのまま連絡がこなければ、そのまま無かったことにしてしまってもいい。
自分の子の足は、治っていくし、自分もわが子も
負い目とかで泣いたりしていない。苦しんでいない。

相手がどうあれ・・・自分さえ良ければそれでいい。

この「自分さえ良ければそれでいい」という言葉・・・
たぶん、悪い印象を持たれるかもしれない。
でも、本当に、このとおりなんだ。

相手が「ぜひ、そうしてくれ!」と頼んでいないのに、
「相手の子が、その後どうなったか気になる」のであれば、
それは、自分にとって、「良くない」と感じているということ。
ならば、「自分が良いと感じるように」行動したらいい。

『これが正解』という選択はない。

相手にとっても、今回は早く忘れたい出来事で、
理不尽だったかもだけど、わが子のために、という名目で、
どうしようもできない自分の怒りの感情を吐き出したことで、
もうスッキリしていたところへ・・・

あなたが
「さぁ、解決してさしあげましょう!」と訪問してきたら・・・?
フリダシに戻るどころか、ややこしいことになりそうな・・・(汗)

・・・というのも、すべて『妄想』の中の話。

行動したことによって、良い方向へいくかもしれないし、
それは誰にも分からない。



もし、

「そこまで言うなら、うちに来て!
うちの子が泣き止むか、見せてもらいましょう!」


と、相手がこちらの提案にのってきたら・・・

状況(心境)が変わらないうちに、早めにお伺いする。
それほど、『心』というのは、移ろいやすいもの。
天気が晴れか雨というだけで、一変するぐらい変わりやすいもの。

その母親がいる目の前で、その子に語りかけてみる。

「負い目を感じて泣いてるって聞いて、様子を見に来てみたんだけど、
今も、悲しい気持ち、感じてるのかな?」

感じていると答えたら、

「どうして悲しいって感じるのかな?」

と、悲しみの原因を、いっしょに探してみる。

・・・おそらく、罪悪感で心がいっぱいになっていると思われる。
小学2年生という年齢で、おそらく生まれて初めて、
自分の行為により、他人をケガさせたのだ。
爪がはがれたのなら出血していただろうし、相当、痛かったはずだから、
自分の行為により、友達が痛がって、泣き叫ぶ姿を見たというだけで、
怖くて、恐ろしくて、どうしていいか分からなくて、
とにかく後悔して、自分を責めて、責めて・・・
でも、ぜんぜん恐怖心や後悔や罪悪感が消えていかなくて・・・。
毎日、ヒザを抱えて、肩を震わせて、泣いて・・・。

なんて、これも『妄想(想像)』の中の話。
他人が、他人の感じていることを100%分かることは不可能だ。
『感覚(感じること)』は、その本人だけのもの。
だからこそ、話し合う必要がある。
言ったところで、変わらないこともある。
でも、言わないと、ずっと変わらない、ずっと分からないこともある。

もしも、うちの子のケガを心配しているようなら、
「もうすぐ治るよ。大丈夫だよ」と言ってあげれる。伝えてあげられる。

もしも、うちの子が、どう思っているかを気にしているなら、
「もうなんとも思ってないよ。大丈夫だよ」と伝えてあげられる。

もしも・・・自分が悪いと思っているのなら、
「ごめんなさいって言ってみようか。
本人に直接言うのが難しいなら、
誰もいないところで独り言のように言ってもいいよ。
言葉にして吐き出すことで、気持ちが軽くなるよ」と
うながしてあげられる。

一番、ベストなのは、自分の子も連れていって、
大人がしゃしゃり出るのではなく、
子供同士だけにして、話し合わせること。

それでケンカになってもよし。
ケンカするってことは、もう元気な証拠だ。
でも、負い目を感じて泣いているくらいなら、ケンカにはならないだろう。
「ごめんなさい」「もう大丈夫だよ」「また遊ぼう」
子供の仲直りは、いつもシンプルだ。
「ごめんなさい」の言葉もいらない場合もある。
いつも遊んでいる友達なら、顔をあわせただけで、
いつものように遊び始める。
お互い、楽しくて笑いあったら、もうそれで仲直りが成立してる。



んで、モンスターな母親も、
結局は、「相手がどうあれ」なんだから、
自分の、わが子さえ泣き止んで、いつものように笑ってくれたら、
もうそれでOKのはずなんだ。
それでも、モヤモヤイライラしてるなら、
それは、もうその人のプライドやらメンツ?の問題で、
こっちには関係のない話。

「子供たちが仲直りできて、よかったです。
これからも遊んでやってください。」

相手がどうあれ・・・自分が笑顔で最後にそう言えたら、それでいい。



相手がどうあれ・・・

自分の心も、魂も、安定するためには・・・
わが子の心も魂も安定してて・・・
そのためには、相手の子の仲直りが不可欠だったかもしれない。
そのためには、相手の子の心も魂も安定させる必要があって・・・
そのためには、行きたくもないモンスターの巣へうかがう必要があって・・・(汗)

でも、そこまでしなくても、
自分の心も魂も安定して、笑っていられるなら、
わざわざ『虎穴に入らずんば虎児を得ず』状態にならなくてもいい。
わざわざ出向かなくても、相手の家庭は、相手がどうにかするし、どうにかなる。



大日如来さまの言葉

ちゃんと憎んでいいんです

あなたが誰かを憎むときあなたはあなたを生きることはできない



きっと、いつだって『自分の答え』は
自分の『魂』が知っている。

それは、『心』よりも移ろいがたく、
なによりも信頼できるもの。

ついつい、『心』乱されて、
モンスターにモンスターで対抗しようと考えていた俺も、
たぶん、その当時は、それが『自分の答え』だったんだと思う。
魂が成長するのに必要だったイザコザだったかもしれない(汗)

うちの娘は、まだ3歳。
小学校へ行きだすと、本当に、
こういう相手に出会うかもしれないし(汗)
俺が、そういう親になってしまう可能性も!?あるかもしれない(汗)

いいシミュレーションになったなと感じました(^▽^;)

picoさん、(勝手にリンクとかしちゃったけど)、ありがとうございました!







※大五郎のブログは、許可なく、
シェアしていただいても、リンクを貼っていただいても、OKです!
笑顔が広がればいいなと思っています。よろしくです(´▽`)

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「別々にして考えてもいいし、別々じゃなくてもいいんだよね」と「ことりーず」。

あぁ、こういうのは、もう感覚の話だからなぁ。
心も、魂も、身体も、すべて自分なんだよね。

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