バルザック「谷間の百合」を読み終えました。「手紙」形式作品は綴られた途端に遠い日々の物語です。 | あと猫の寿命ほど。如露亦如電2024

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  2013年58歳の春に「うつ病」でダウン。治療に4年半。気づくと還暦を過ぎました。
  66歳になった2020年夏に「ああ、あと猫の寿命ぐらい生きるのか」と覚悟。世の中すべて如露亦如電です。

ニコニコ 今年のゴールデンウイーク(GW)は遠出しません。せいぜい近場の散歩程度。自宅でゆったりと過ごすつもり。

 4月30日から、5月2日までの3日間「平日」{メーデーもありますが)があるので要注意。中途半端にGW迎えてしまうと、仕事日になってしまいます。そうならないために仕事の「芽」を摘んでおかねばなりません。

 だからこのところは、それなりに忙しかったのです。

 バルザックの「谷間の百合」も読むのを最後のあたりで中断していましたが、今朝読み終えました。

 

 ああ、まさに野にあるすべてのものが,この谷間に咲き出たもっとも美しい百合の花と、田舎で質素にすごされた、その生涯とに別れを告げています。

 (石井晴一訳、「谷間の百合」。新潮文庫499ページから)

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ニヤリ 私は作中に長い「手紙」が出てくるスタイルはあまり好きではありません。夏目漱石の「こころ」も、手紙がもっと短ければ良いのにって思うのです。

 なのに、「谷間の百合」は基本全編が長い「手紙」ですショボーン。主人公フェリックスが伯爵夫人ナタリー宛てに綴った長い手紙。おまけにその「手紙」の中にさらに、「谷間の百合」たるアンリエット:モルソフ伯爵夫人からフェリックスに向け綴られた長い手紙が2度登場。さらにの物語の最後はナタリーからフェリックスに宛てた手紙で「締め」られます。だから作品中に「会話」は幾度も登場しますが、それは全て「私」が語る会話で。綴られた時点ですでに「過去」。このことが、作品全体を「回想」の色に染めています。

キョロキョロ 「谷間の百合」はバルザックの半生(の恋愛)を作品としてなしたものとされています。作者の生まれ故郷のトゥール。その南方を流れる大河ロワールの支流、アンドル川の「谷間」(といっても日本の「渓流」とは違ってもっと広やかな谷間です)が物語の舞台になっています。

キョロキョロ 時代的な背景があるとはいえ、フェリックスの恋愛相手3人はいずれも貴族夫人で、いわば愛人というか不倫関係の物語。バルザック自体、その51年の生き急いだ人生を、幾多の貴族夫人との愛人関係でなしたのだから、今の世の中の恋愛物語とは大きく違うのでしょうけど、なかなか感情移入が難しい小説でした。

 

ウインク ということで、バルザックの次の作品、次に読む予定が「暗黒事件」。その前に読んだけど内容を忘れてしまっている「ゴプセック/鞠打つ猫の家」(岩波文庫)を読み直します。

 ゴプセックをちょっと読み直したら「ゴリオ爺さん」の娘の息子が登場していました。こっちの方がバルザックの作品群の本流でしょうか。「谷間の百合」は彼にとってどうしても描かねばならなかった「美しい支流」だったのかな?

 

☆写真/画像は上から、ベランダで咲き始めた「セージ」の花{100均マクロレンズ)。まだハダニが少しいます。希釈した木酢液の噴霧で駆除作業継続中。2枚目は今朝6時45分の西空。今日は暖かい曇天です。3枚目はこれから読む予定の「暗黒事件」(ちくま文庫版)と、その前に読み直す「ゴプセップ/鞠打つ猫の店」(岩波文庫版)の表紙。

 

↓2年前の今日のブログです。「詩」を書いています。最近は詩を書いていませんが、書きたくなったらまたブログに載せます。