防災システムの最後のところ、住民との接点は絶対にアナログ対応になります。その発想が大切。 | あと猫の寿命ほど。如露亦如電2024

あと猫の寿命ほど。如露亦如電2024

  2013年58歳の春に「うつ病」でダウン。治療に4年半。気づくと還暦を過ぎました。
  66歳になった2020年夏に「ああ、あと猫の寿命ぐらい生きるのか」と覚悟。世の中すべて如露亦如電です。

にっこり 今日は、自宅で静かに書類整理やPCデータやブログの整理などしていました。

 能登半島地震。驚きなんでこれほどまでに状況把握が遅れ、救援が遅れるのでしょうか。それに、ついさっき(22時頃)に見たばかりのテレビニュースでは、昨夜の、どうみてもデータが間違っていると思われる「震度6弱」(でもM4.3)地震のデータをそのまま流していました(気象庁の調査では計器に異常はないとのことですが煽り、だとしたらそんなに揺れる場所にある志賀原発は即時廃炉しかありません)。なんだろうか?

凝視 年末に読んだ岡本綺堂の「江戸っ子の身の上」という随筆集に納められている「四十余年前」に、こんな件がありました。

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主人 今の若い人たちは、大地震といえばすぐに大正十二年の関東大地震を聯想するだろうが、その以前にも大地震があった。おれはは明治二十七年六月二十日の午後二時四分の出来事だ。もちろん大正十二年の関東大地震に比較すれば甚だ軽微なものであったが、それでも東京市内で潰れ家九十余戸、破損四千八百余戸、死傷八十余人に上ったのだから、その当時の地震としては安政以来の大地震だということで大騒動。なにしろ一方では「開戦の期迫る」というのに、また一方には地震騒ぎだから大変だ。我々のような若い新聞奇書は汗みずくになって駆け廻らなければならない。

青年 そんな事があったんですかね。

主人 夏のことではあり、時刻が好かったので、幸いに大きい火事もなかったから、まあ大難が小難で済んだのだ。時刻が好かったばかりでない、そのころはまだ水道が施設されていなかったから、どこにも井戸の水がある。瓦斯も普及されていなかったから、瓦斯が燃え出すなどという危険もない。関東大地震当時のようにグラグラと来ると、すぐに水道が止まるという虞れもなかった。

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無気力 この「主人」は岡本綺堂(1872~1939:伝七捕物帖の著者)で、岡本には江戸末期のことを「古老」から聞き書きしたものなど含めて、江戸から明治期に到る日本・東京の情景を伝える数多くの作品が残されています。

 その岡本が「青年」と関東大地震と安政の大地震(これは1854年~56年にかけて東海、南海、八戸沖など数年間にかけて連続発生した巨大地震)の間の1894年6月に東京湾北部を震源とした発生した明治大地震(M7.0直下型地震)について、ちょっとした話をしているところです。

 

にっこり 岡本は新聞記者としてこの地震をつぶさに見聞したようで、その経験から「井戸水が使えた」ことや、瓦斯や水道が普及していなかったことが、被害を少なくしたというようなことを語っています。

 大いに参考になる意見だと思います。

 

驚き 現在、能登半島地震の被災地では各地で交通・通信が遮断され、救援物資も届いていない状況です。もう少し、地元に緊急対応できるシステムを作れなかったのか?と思うのです。被災地に「マイナカードが使えるから」など的外れも甚だしいことを河野デジタル相は発信したそうですが(誰がそれを読める?)。防災対策は根本的にその末端はアナログ対応です(生き物としての人間はアナログなのです)。

 今回の震災が一段落した段階で、必ず「ショックドクトリン」的に、どこかの資本の利権に絡んだ「地方の防災システム」が作られようとするはずですが・・・、過剰なシステムや現地の手に余るようなものは排除して、あくまで地元のための防災対策を立てて欲しく思います。

 

☆写真/画像は上から、上野の国立博物館の百済仏。2枚目は今日昼過ぎの練馬の空。3枚目が河出文庫の「江戸っ子の身の上」(岡本綺堂随筆集)。