明け方「ギュギュ、ギュギュ」って、今朝のオナガ(鳥)の鳴き声はやけに喧しくて忙しないな、って思っていたら、それはスマホが発する「緊急地震報」の音でした。まもなく「ゆらっ」ときて、それまで。
我が家のあたりは震度3です。関東南部の地震では、豊玉ってわりと震度が落ちます。東日本大地震の時も、代々木の事務所は大変だったけど(構造的問題もあるけど死ぬかと思うほど揺れました)、自宅は、あれ?と思うほど物が落ちていなかった。ここはやはり海から遠い、23区の端なのか?
ただ、立川断層とかが動いたり、昔に発生した後がある中野直下地震があったら大変。いずれ起こるのだろうけど、すぐには起きて欲しくないです。
このように地震、火山、台風に常に襲われる日本列島の住民は、住み着いて数千年以上の経験から独特の自然感、人生観(死生観)を持っていると思います。そして日本に圧倒的に多い山林に囲まれた小さな平地(いまも日本の7割は山林)での生活それが「日本人」らしさを作ってるのかも?
このような日本列島の特性が、地政学的な中国や北方騎馬民族国家との距離も含めて、ほぼ同じゲノムを保持している朝鮮半島の人達との価値観の大きな差異を生んでいるのでは?
従軍慰安婦問題とか、徴用工問題がなかなか解決しないのは、そもそも日本が日韓併合(創氏改名やらハングル不採用、「日本神社」へお参拝強要、など伴う)で酷いことをしてきたことがあるとはいえ、この「価値観」「死生観」の問題があると思います。
韓国の人は、儒教的価値観で死後も霊魂は「人間社会」にとどまると考えるし、生まれ変わりと思う先もは必ず人間です(そう信じている人が多いって韓ドラ見ると分かります)。
ところが日本列島に住み着いて「日本人」となった我々は、絶対的な自然の力に度々遭遇するので、「人間」よりも「自然」を上位に置く傾向があります。そうしないと死に絶えます。それはアイヌの神話でも八百万の神の思想でも同じ。それに仏教思想が合わさって・・・、日本的な「生まれ変わり」観や「自然回帰」観が生じるのでは?と私は思っています。
日本人はだから「過去のことは過去のこと」と割切りやすく、敵もまた身方(日本の将棋のように)という発想に馴染みやすい。それは「現世」の姿は本質ではないと考えるからかな?
しかし、常に国家。民族文化滅亡の危機にさらされてきた朝鮮半島の人達はあくまでも「民族」を守ろうとするし、自分は死後もこの世に霊魂としてとどまるので、過去のことは簡単には流せません。いい加減な事をすれば、自分も世界も消えてしまうのです。日韓併合時代(植民地時代)に生きた人達の苦痛はいまも解かれることのない「恨」(ハン←「恨み」ではなくて「叶わぬ思い」ととらえた方が分かりやすいかも)として、かの地にいまも残っているのです。
この日韓(朝)両地域の価値観(死生観)の差異を、止揚(アウフヘーベン)することなく、お互いがお互いの死生観が相手にも通じると思って、やれ経済協力だ、過去の謝罪だと時の両国首脳が問題解決しようとしても、問題は解決しない。
さて、どうするべきか?地道に両国の歴史文化を学び合うほかないです(これだって日本は「古代」に興味を持つし、韓国は近現代を重視するという大きな差異がありますけど)。
過去、日韓の学者や文化人たちが、それこそ数え切れないほどの「日韓文化論」を出してきましたが(ヘイト思考による嫌韓/反日論は除きます)、それでも、この日韓の差異をすっきりとらえた論はまだありません。そこには地政学や歴史・主教思想の検討はあるけど、「地理・自然」から生まれる自然観/死生観が抜け落ちがちだからかな。
などと地震に起こされて、少し考えました。
☆写真/画像は上から、昨日西新宿に用事があったついでに寄ってみた旧新宿十二社にある私の好きな「階段坂」。向こうに見える屋根が十二社の熊野神社。ここが栄えていた頃は、階段下にあった大きな池に舟を浮かべ、芸者さんやら太鼓持ちらを従えて大尽が豪遊していたのかな?2枚目は昨日写した道端のアザミ。アザミが花咲く季節です。3枚目は明け方になったスマホの「緊急地震速報」の画面。4枚目は地震の震度分布(気象協会サイトから)。
↓↓ここにも「新宿十二社」のことを書いています。
↓去年の今日のブログです。今年も同じようなこと書いています。GW明けでネタ切れ?