GWの散歩で巡る街角の神々。庚申や月待日待の石仏(石像)たち。 | あと猫の寿命ほど。如露亦如電2024

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  2013年58歳の春に「うつ病」でダウン。治療に4年半。気づくと還暦を過ぎました。
  66歳になった2020年夏に「ああ、あと猫の寿命ぐらい生きるのか」と覚悟。世の中すべて如露亦如電です。

 

ウインク 庚申塚/塔は、だいたい街角にあります。「馬頭観音」が少ない東京(江戸)では、道祖神としての役割も果たしているようです。

 神社仏閣においては、庚申信仰は異端というか、取るに足らないものというか・・・。そもそも宗教的な教義もなければ救済もほぼ無い。ただ、庚申の夜に眠ってしまうと「三尸(さんし)」という身中の"虫"が「天帝」に"宿主"の行いを報告に行って、悪い行いがバレるから眠らないで過ごす。それだけです。そのため(眠らないため)には、年に6回の庚申の夜にみんなで集まって長話、相談事などして夜を過ごそう、ってのが「庚申信仰」であり、その集まりがやがて「庚申講」に発展して旅行や親睦そ集まりになっていったようです。

 

おねがい そんなものだから、庚申塚/塔はお寺や神社の境内に置かれないことが良くあります。なんらかの理由で寺社の統合や移転/再建があって、その際に寺社に関係ありそうな石仏・石神も集められるけど、よく見たら「こりゃ、神仏ではない、ただの庚申だ、そこらに置いておけ」みたいな扱いを受けているようです。

 

 

ニヤリ 昨日、散歩してみた田畑から谷根千(谷中/千駄木/根津)地域にもその傾向がありました。

 立派な庚申塚が寺の山門の外側に置かれたり、ようくみると庚申の青色金剛だけど、なんとなくお寺の隅に地蔵菩薩や観音菩薩などの石仏とともに、置かれていたり・・・・。

 

キョロキョロ ところで、「庚申」ではなく「日待月待」という民間信仰もあります。この場合「月待」がメインで、「二十三夜待ち」がとくに知られています(十五夜待ちとか十三夜待ちとか、バリエーションは多いようです)。お月様を眺める、いわばお月見なので、盛大に行われたこともあるようです。

 昨日の「散歩」で、文京区日向の「願行寺/出世不動尊」(根津神社の近くです)に立ち寄ったとき、まず目についたのは、なんらかの理由で本堂の右脇に集められた石仏の集合体の"塚"でした。しかし、どこに行っても「庚申探し」の癖がついている私。その石仏塔やら"富士山講"の石碑やらから少し離れた境内の左隅(本堂に向かって)に、ぽつんと置かれた小さな石像を発見! あ、庚申の青面金剛かな?と思って近寄りました。

 

照れ しかし、それは「三面六臂」の明王風の「仏」が左右二本の手に、日輪(右側)と月(左側)を掲げて立つ「日待月待」の明王風石像でした。これと同じような姿で頭頂部が「馬頭」になると道祖神に多い「馬頭観音」ですが・・・。お寺の方も扱いに困っている? からか、名称も説明板もありませんでした。

 

☆写真1枚目が、出世不動境内の片隅にぽつんと置かれていた、「日待月待」の石仏か?。2枚目は出世不動境内の本堂とその右側にある「石仏塚」。3枚目は北区中里の円藤寺の入り口に置かれた「庚申塔」。4枚目は西日暮里の養福寺境内に地蔵や観音と並び置かれていた「青面金剛」の庚申石仏。最後の絵は「湯島二十六夜待」の図(東都歳事記)。江戸時代の「月待」はこんなに盛大に行われていたようです。

 

↓去年の5月6日のブログです。連休に疲れて、いろいろと妄想していました。