列島詩集12号で「列島」は役割を終えた?長谷川龍生と黒田喜夫は会費未納のまま? | あと猫の寿命ほど。如露亦如電2024

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  2013年58歳の春に「うつ病」でダウン。治療に4年半。気づくと還暦を過ぎました。
  66歳になった2020年夏に「ああ、あと猫の寿命ぐらい生きるのか」と覚悟。世の中すべて如露亦如電です。

ニヤリ 列島詩集は1955年3月の第12号が最後になります。

 1955年7月に戦後日本の「革命運動」の中心にあった日本共産党がいわゆる「6全協」路線を打ち出し、それまでの武装蜂起路線を放棄した年です(武装闘争の指導者であった徳田球一氏は既に1953年に死亡している)。

 

ニコニコ このような時代にあって、政治と文学、社会的運動と文学についての論議も活発になっていたはず。ただ、その論議の場は「列島」においてではなく「新日本文学」。列島詩人たちの多くは「新日本文学」でおおいに論を展開していたようですが、「列島」はそんなに周辺が賑やかなのに、12号(最終号?)に至って、元気がありません。巻頭に「言葉の労働者」という、M・ジャコブのいかにも「社会主義リアリズム」的な文章を掲げています。

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 言葉は、文学にとっては大工にとっての槌のようなものです。それは彼の仕事の道具です。(中略)文学者というのはなによりもまず《言葉の労働者》です。その労働者が思想家、完成した人間をかねる場合に、偉大な作品が生まれるのです。

 M・ジャコブ言葉の労働者(江原順 訳)

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 これは? と思いました。列島は12号を経て、このような地点に回帰したのか?「偉大な作品」を目指すといっても・・・?

 そして、巻頭論文の「リアリズムと内部世界」(井出則雄)が続きます。戦前の「詩と詩論」、プロレタリア詩(中野重治など)の批判を通じて、現在の「詩」状況の分析を志しますが・・・。

 

 

 

 

ニヤリ 「列島」12号から65年以上経った現在からみれば、そもそも、「その、そこにあるソ連中心の社会主義は既にスターリン独裁下での恐怖政治になっている」と偉そうにいえるのですが、当時は一部の人しかまだそれは分かりません。「活動家」がそんなこと言ったら、たちどころに「運動の破壊者」「トロツキスト」などと糾弾されます。まだソ連を中心にしたコミンフォルム体制は揺るぎないように映り、そこで示される運動方針や世界戦略と日本の「文化芸術運動」をどう関係させていくのか? が重要かつ最優先のテーマだったと思います。

 けれども、戦後日本社会は移りゆき続けて、「党」は大きく路線を転回した。そして「列島」はどうなる・・・・。12号には「放送台本」(ラジオ用)「歌劇」も試みられていますが、「どうにもならず」に活動を休止します。

 

 

ニコニコ 「列島」12号は、それでも、ひとつの到達地平が示されています。列島メンバー詩人たちの詩は、徐々に洗練されて来ています。列島の「職人・労働者」的な関根弘さんは、コツコツと自分の世界を広げ続けています。

 

びっくり ところで、列島12号で「おや?」と思う箇所があります。

 

 それは、巻末近くにある「詩友通信」コーナー。「列島」を支える「詩友」たちが通信文を投稿するコーナーです。

 そこには、「前衛の仕事を」などという「党」の役割を求めるような文書もありますが、「近いうちに金送ります」とか「目下ひどい貧乏をしていまして(中略)早急に未納分を埋めるつもりです」などという通信も二つあります。そしてこの「未納」の二人が長谷川龍生と黒田喜夫なのです。あ、だから二人の詩の掲載がないのか?あるいは二人とも「列島」と距離をとりはじめているのか?

 長谷川と黒田は後に、「列島」が生んだ戦後詩人の代表のように、作品が評価されますが・・・・。未納分どうなったんだろうか?

 

☆画層は上から、列島詩集12号の表紙、12号の目次、掲載されている詩から「部屋について」(南川比呂史)、「独房のいっとき」(鈴木信)、「ペリカンの咽喉」(関根弘)。最後のが、長谷川龍生と黒田喜夫が「詩友通信」に投じた文。最後は「列島」とは関係なく、昨日の夕焼け。梅雨なのに東京は三日続けて鮮やかな夕焼けです。