ナガミヒナゲシ姿を見つつ考える、コロナ事態の客観性と政治・経済の主観性 | あと猫の寿命ほど。如露亦如電2024

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  2013年58歳の春に「うつ病」でダウン。治療に4年半。気づくと還暦を過ぎました。
  66歳になった2020年夏に「ああ、あと猫の寿命ぐらい生きるのか」と覚悟。世の中すべて如露亦如電です。

ニヤリ COVID_19・新型コロナウイルスというのは、私たちにとっては「客観的」な存在です。このウイルスの存在、そしてそれによって発生している新興感染症のパンデミックは有無を言わせない「客観性」です。

 客観的なことには客観的に対応するほかありません。マスクをつけたり手洗いをしっかりしたり・・・。ワクチン! これはけっこう政治が入り込んで主観的な部分があるので戸惑います。

 

ショボーン ところで、この間世界の政治・経済は超主観的でした。あるいはエセ客観的。

 政治は主観に訴えるポピュリズム手法が幅を利かせ、手前勝手な国家主義や民族主義が喧伝されていました。一方経済は「自由」「市場原理」に任せられています。これは一見すると「客観的」システムのようですが、基本は「市場の選好」「自由放任」、それは「(主観的に動く)人間の行動」基礎にしているので中身は恐ろしく主観的です。

 

 コロナウイルスパンデミックの初期(昨年の今頃)。市場は暴走します。大きな所では原油価格の先物価格がマイナスになるし、身近ではマスク、アルコールの価格が(利売り目的で買い占められ)異常に高騰する。市場原理主義の根本的限界がさらけ出されました。

 一方、ポピュリスムについては、そのさいたるものであるトランプ政権が破綻し、多くのポピュリスズム政治がコロナウイルスという「客観」の前に右往左往し、感染拡大を招きます。日本は内閣や衆参議員、都道府県知事や都市首長の多くがポピュリズム手法をとって来たので、“言葉巧みにだませない”コロナウイルスへの対応に失敗し続けます。これに強欲利権がらみに「パラオリ」開催問題が絡んで・・・・。「緊急事態」とか「まんぼう」とか、いまだポピュリズム手法しか採れない日本はコロナ危機が進行中です。

 

ウインク 政治も経済も、人間の「欲」や「主観」を超えたところに、なんらかの安全装置システムが必要だと思えます。

 写真は「ナガミヒナゲシ」です。外来植物として数年前までは私の内の近所でも大繁栄していましたが、いまは、所有権者が曖昧な限られた場所にこじんまりと収まっています。このナガミヒナゲシの「客観性」はどうなのか? 写真を写しながらしばし考えました。ミナガヒナゲシの客観性はわかりやすい(目立つし)。だから人間が生息状況をコントロールしやすいようです。

 

てへぺろ 日本の街に実に多くの植物は「外来種」です街路樹のイチョウやプラタナス、雑草のヒメジオンやハルジオン、日本種みたいな顔をしているアカザ(鬼滅じゃないですよ)やシロザだって外来種。農作物に至っては、稲を筆頭に麦やるジャガイモやら殆ど全てが外来ものです。動物ではハクビシンやクサガメが「排除すばき外来種」かどうかの当落線上にあるようです。ただし鳥だけは別。もともと鳥は「渡る」ので、外来種規定ができないのです。だから日本で一度滅びたトキは中国から再び入れるし、シラコバトは埼玉で大切に保護されています。

 

 

 

 ナガミヒナゲシは街角にあっては美しい花です。でも、外来種感が強くて、排除される傾向にあります。コロナ事態で、遠出ができなくなった人達が庭の手入れ、自宅周りの掃除に励んだ結果? 私の街ではだいぶ数を減らしたようです。そして、なぜか、ドクダミもかなり「粛正」されているようです。ドクダミは役に立つ外来植物ですが、匂いが嫌いな人にとっては身近にない方が良いものかもしれません。

 

☆写真1,2枚目は自宅近くに咲いているナガミヒナゲシ。3枚目は愛読書「スキマの植物図鑑」(塚谷裕一 著:中公新書)。4枚目は近くの公園にある、いま満開のやや早咲きの八重桜。桜を巡っては韓国で20年間ほど「ソメイヨシノの起源は韓国」という論議が展開されてきました。これは数年前DNA解析でその無理筋な主張が破綻したのですが、この問題はポピュリズムや民族主義が如何に「事実・客観」をゆがめるのかという好例として記憶されるべきです。これは「嫌韓」ではなく、いまも日本や世界で行われている自民族(自国家)第一主義とポピュリズムによる「神話的政治観」「神話づくり」の問題として位置付けたいと思います。

 

※ナガミヒナゲシをミナガヒナゲシと誤って記述していましたので、訂正しました(2022年3月30日)