コロナ禍、身近にヒシと迫り来る感じ。週末は大人しく新聞を読みますが、読書欄以外は・・・。 | あと猫の寿命ほど。如露亦如電2024

あと猫の寿命ほど。如露亦如電2024

  2013年58歳の春に「うつ病」でダウン。治療に4年半。気づくと還暦を過ぎました。
  66歳になった2020年夏に「ああ、あと猫の寿命ぐらい生きるのか」と覚悟。世の中すべて如露亦如電です。

プンプン コロナの感染拡大がヒシヒシと身近に迫っているように感じられます。

 

 今年に入ってから、私の比較的近しい知人が、月に一人のペースで「濃厚接触者」になっています。この週末には知人の幾人かがまとめて「検査」を受けることになりました。

 東京の街の過密状況や、政府の「ワクチンへの神頼み」(ワクチン打っても感染する訳:重症化しないだけなのに)の無策は、今後の感染爆発を想定する必要があります。いまはただ、抗ウイルス意識の徹底と、活動/行動範囲の縮小とで凌ぐほかはありません。

 

 ボランティアでお手伝いしている「代々木」の事務所が同地域内に移転して、それで「参宮橋」まで、やや近くなったので、新事務所披露設(これは過密を防ぐために分散して5人以内で小規模に続けています)を兼ねて参宮橋のあたりを花見歩きしました。

 

ニコニコ 参宮橋(渋谷区代々木4丁目)の商店街はお洒落です。小さな代官山みたいです。しゃれた坂道の多い街。そんな雰囲気です。

 ただし、やや物価が高いようなので、軽い食事をかねた「お開き会」は、代々木まで戻って(小田急線で「南新宿」まで一駅乗って)、ファミレスで行いました。

 

 週末は新聞を読みます。

 

 ただし、新聞はオリンピック問題に触れられないし、記者会制度によって「政府広報」のようになっているので、読むべき記事はほとんどありません。それにコロナ状況下では、「脚で書く」タイプの良質な記者の活動も制限されるし、取材も難しいはず。新聞はこのコロナ状況とオリンピック問題で本当に危機を迎えていると思われます。

 朝日新聞の土曜朝刊で「週刊文春」に対する東京五輪組織委員会の「掲載誌回収要求」問題を取り上げていますが、他人事で情けない! 五輪問題は新聞が先頭にたって取り上げるテーマなのに「五輪村」に入ってしまっている大新聞には書けません。

 土曜日にコンビニで朝日と毎日を買ったのですが、紙面数の4分の3は読まずに捨てます。それは広告であったりテレビ欄であったり、スポーツ欄あったり(私はサッカー以外の記事は読まないので)します。そして速報性のだけの記事はネットで見ているし・・・・。

 

 最近は読書欄ばかり読みます。読書欄で書評を書いている人達はそれなりの識者で文章力もあります。だから面白い。私が学生の頃(40年も前です)は、「読書新聞」「読書人」「図書新聞」と、週刊ではあるけど書評新聞が3紙もありましたが、「書評」はそれなりに面白く、かつ「新聞」に残された最後の分野かもしれません(ネット上だと字数が少ないし、書評レベルが玉石混淆のうえ、「広告」要素が強くてイマイチです。

 毎日新聞読書欄で紹介されていた「マスクは踊る」(東海林さだおさんのエッセイ)読んでみようかな、と思っています。新聞の書評欄を読んで月1冊のペースで本を購入しています。

 

キョロキョロ 最後に、朝日新聞の土曜朝刊「be」に連載されている小池真理子さんの「月夜の森の梟」。このエッセイも土曜に朝日朝刊を購入したときは必ず読みます。終活に向かう身としては時として切実な内容です。

 

 (前略)老年期と思春期の、いったいどこに違いがあろうか。希望も絶望も、研ぎ澄まされてやまない感覚をもてあましながら生きる人々にとっては同じである。老年期の落ち着きは、たぶん、ほとんどの場合、見せかけものに過ぎず(後略)という文に接して、ああ! と我が身を振り返りました。

 

☆写真は昨日、参宮橋の公園で写した満開の八重桜。八重桜は大好きです。美味しそうに咲きます。桜餅の香りもします。そして少しおしゃれな参宮橋駅のホームです(参宮橋駅は小田急線各駅停車駅の中では飛び抜けておしゃれです)。