パズルのピースが答えを引き寄せる | おとなの「個」育て  トパーズ ROOM

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日々のつれづれ、ときにはアート。
キャラクトロジー®心理学を中心に、
気づきと癒しの自己探求をつづける、トパーズのブログです。

近頃、これまでの人生で学んできたあれこれのパズルが 
とことこ動き回るようにして、
ピタピタ、とはまりだしている感じがします。
私が「ああ、これはあれね?」と、自分の都合で思考すると言うより、
「パズルのピース」の方が、私の思考じゃアテにならないとみて、
自分につながるピースを引き寄せ回って

「だーかーらー。こういうことだってば!」
と見せてくる。
そのたび、思考頼みであれこれいじって、
かえって、面倒な絡み方を作ってしまった過去が浮かび上がります。



先ごろの私がキャラクトロジー®心理学を伝えたい理由 1 に
続きます。

私は自己探求を趣味のように続けてきて
自分にツッコミを入れながら、多方面から自分を見るけれど
長い間「私のここさえなかったら」とか
「あの失敗に、早く気付けばよかったのに」とか
自分を厳しくジャッジするばかりでおりました

今になって思うと、
ほんとうは、私を厳しくジャッジする私じゃなくて
「私の味方となり、私をサポートする私」が欲しかったのかも

 

と、先のブログで書きました。
私の長年の在り方は

「私が私の味方になってくれなくて、私が私のやることをたしなめる」
なぜか、私のしてきたことってそういう感じでした。
誰かにたしなめられるくらいなら、先に自分で気づいて、たしなめる。
「ちゃんと、じぶんをわきまえてますから!!」ってなものです。

 

でも、この子のことは誰より大事に扱ってもらいたいと思っている。
自虐的にいる気はない。

「自分を大事にする」の在りようが、わからないだけです。


キャラクトロジーを勉強してきて、よかったなと思うのは
「私」というのは一貫した何者か、であるように見えていて
その一瞬一瞬、「いろんな顔が現れるものだ」ということが理解できたこと。

つい何かしでかすたびに「自分の中には、悪しきタネが植わっていて」、

このタネがあるから、私はどうしたって、その悪になる、と
恐れていたのです、わたし。
その悪しき私が、顔を出さないようにたしなめる、

周りの人に気付かれる前に、何とか整えるをしようとしてました。

でも、「出るんです!」
どんなに抑え込もうが、「出るんです!」
絶望的です!!
こんな私、 みんなにバレバレです!!



と、嘆いていたけど、どうやら
その顔、その面を出すことで、やっと癒すタイミングに繋がる。

いや、むしろ「癒すために、それがあらわになる場面を引き寄せる」
それがこの世界の、見えないお約束なのだと、わかったのです。


抑え込もうとしている間は、ずっと「マスク」です。
マスクの下からはみ出すローワーを、抑え込むため

たくさんたくさん、マスクを重ねます。厚化粧??
でも、ローワーはさらにエネルギーをためて、

マスクを押し上げ、あらわになることになっている。

マスクで抑止・コントロールすることではなくて
ローワーの根元で、それを押し上げているのは何か、と
ローワーの奥にダイブする。




キャラクトロジー®心理学が、根本的な癒しにつながるのは
そのダイブの在り方が、今まで触れたものと、違うんだと思うのです。


ココ、もっと詳しく書きたいから、次回へ。