1986年10月から1987年9月に掛けて日本テレビで放送された刑事ドラマ『あぶない刑事』(制作:セントラル・アーツ)は社会現象を呼ぶほどまでに大ヒットしたことから劇場用映画化がなされ、その名もずばり『あぶない刑事』として1987年12月12日に東映系で公開された。

 

 

記録によれば、26億円の興行収入(うち15億円の配給収入)をもたらし、1988年の邦画配収第4位を記録したという。

 

本作の成功により、刑事ドラマ『あぶない刑事』はシリーズ化の道を敷くこととなり、etc…

 

とまぁ、事実の羅列を述べるだけでは、当ブログらしくない。

 

今回の記事は、初期の劇場用映画三作、とくに一作目の『あぶない刑事』がなぜ成功したのかを振り返っていきたい。

 

いよいよ「あぶない刑事」を語る | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

 

1980年代と現在とではその価値観がまるで違っていた。連続テレビドラマがヒットしても次は単発スペシャル版とか、あとは後番組として別のキャストによるシリーズ作品化までで、映画化されるのはハードルが高かったのだ。

 

1980年代、連続テレビドラマが劇場用映画版になるというのは、児童向けの特撮作品を除いてほとんどなかった。シリーズで四作だけあって、時代劇「必殺」シリーズが1984年から1987年にかけて毎年一作ずつ四作、「スケバン刑事」シリーズが1987年と1988年に各一作ずつ、そしてこの「あぶない刑事」シリーズが1987年から1989年に掛けて毎年一作ずつ三作、その後に「はぐれ刑事純情派」シリーズが1989年に一作だけという具合に。

 

放送中、放送直後ではなく、16年も前にやっていたものを主演の森田健作が“青春の巨匠”となってリバイバルしたことから、その勢いに乗って1987年に劇場用映画化と相成った『おれは男だ!完結編』なるものもある。ただし、制作局の日本テレビは関与していない。

おれは男だ! 完結篇 (shochiku.co.jp)

 

それら四シリーズの共通点は、ビデオカメラによるVTR収録ではなくて、劇場用映画と同じフィルム撮影で行っていた、いわゆる「テレビ映画」というジャンルで、製作プロが元々劇場用映画製作も手掛けているところだったから、撮影に使用するフィルムがテレビ映画用の16ミリか劇場用映画の35ミリかで垣根はないに等しかった。

 

劇場用映画一作目『あぶない刑事』は連続テレビドラマ版『あぶない刑事』最終回(第51話)のクランクアップからわずか一週間後にクランクインしたという。レギュラーキャストもスタッフもそのまま登板していて、監督は長谷部安春、脚本は柏原寛司と大川俊道の共同という布陣。

 

ノリの良さをそのまま持ち込んだから勢いがあった半面、劇場用映画版ならではの“特別感”はさほど感じられず、地味というか連続テレビドラマ版と代り映えがしない作品だった。まず、ゲスト(室田日出男、小野みゆき、菅田俊)が地味。レギュラーキャストのほうでも、これを機に誰か名のある俳優を加えることはなく、いつの間にか消えていた木の実ナナが復帰しただけ。あと、脚本が冒険していないし、演出も冒険していない。ただ、それらは一番の正解だったやり方でもあった。

Q.「貴方がプロデューサーだったら、大ヒットしたテレビドラマの劇場公開する映画版をつくるにあたり、どのようにする?」


A.「観客が観たいのはレギュラーキャスト。ゲストはその引き立て役を充てて、レギュラーを喰うような大物ゲストは入れない」

テレビドラマは家庭用ホームビデオデッキが普及していたとはいえ、まだまだ一期一会の時代であった。一方、映画は何度でも観られ、すぐにビデオソフト化されてまた何度でも観られる。ゆえに逸脱した展開は避けるべき。それに浮かれて、取り返しのつかなくなってしまったものがあるのだから。

その名も『必殺!ブラウン館の怪物たち』という迷作。

 


「必殺仕事人V」、テレビドラマとテレビ番組の狭間で… その2 | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

 

1985年、『必殺仕事人V』の制作および放送時に同時進行で作られた「必殺」シリーズ劇場用映画二作目で、レギュラーキャストの人数以上にテレビの人気者たちを集められるだけ集めた豪華なゲスト陣、本筋の場面よりも手間暇掛けた幾つものパロディ場面、作り手たちはサービス精神旺盛にやったものの、公開するやいなや酷評の嵐を受ける。当然、興行成績も悪かった。これを機に、劇場用映画版まで作られるほどに盛り上がっていた必殺ブームは沈静化していったことから、本体であるテレビドラマ版「必殺」シリーズ自体の人気も下り坂に入っていく。過ぎたるは猶及ばざるが如し、テレビドラマにとって劇場用映画は諸刃の剣であることをまざまざと見せつけた。

 

またもうひとつの失敗点を挙げるとすれば、『必殺!ブラウン館の怪物たち』にかぎらず、「必殺」シリーズの劇場用映画作品は上映時間が長すぎるのである。一作目が124分、この二作目が122分、次の三作目が126分、1980年代に作った最後の四作目が131分。テレビ番組は1時間枠でCMを抜かすと正味46分である。テレビドラマの視聴者にとってはテレビ番組換算だと2時間半枠以上のものを見せられたのである。ストレートに申せば、飽きる。

 

製作元の松竹と朝日放送は、配給収入でワリを喰いたくないから外部作品との二本立てにはせず、封切り時は一本立ての興行で廻した。なので、上映時間の長いものを作っていったのだ。一方、劇場用映画一作目『あぶない刑事』に先行して、同じ東映で劇場用映画として製作及び公開された『スケバン刑事』(1987年2月14日公開)の上映時間は93分に収め、台湾のカンフー映画との二本立てで封切られた。それでも、こちらは当時絶頂期だった主演・南野陽子と作品のネームバリューで大ヒットを収め、公開当時放送されていたテレビドラマ版で、別キャストによる続編『スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇』の人気も落とさなかった。

 

 

ただ、細かい部分に文句を付けるのならば、たんなる賑やかしに過ぎなかった、『スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇』の主演・浅香唯は居ても居なくても良かったポジションだったし、この映画のオーディションで優勝し、重要な役で出てきた新人・小林亜也子はその人気・実力とも不発に終わった。まぁ、それをしてもファンが観たいもの、そして満足のいくものであったことは間違いない。

 

おそらく劇場用映画版一作目『あぶない刑事』のプロデューサーたちは、「必殺」シリーズの劇場用映画版と『スケバン刑事』の劇場用映画版を研究したかと思う。で、研究が完璧過ぎたのだ。その裏返しとして、傍から見れば、劇場用映画としての華やかさに欠けるものになってしまった。


もしも劇場用映画版=豪華版にするという図式に浮かれてしまったのならば、同じ日本テレビ‐セントラル・アーツが制作および放送中だった、『あぶない刑事』の後継作『あきれた刑事』の時任三郎と永島敏行を賑やかしに入れてきただろうし、セントラル・アーツつながりでそこに所属していた松田優作を引っ張り出してきて、レギュラー出演者を喰ってしまって本末転倒になったのかもしれない。もしくは舘ひろしが所属していた石原プロの神田正輝か、渡哲也なんてのも。そうなると、鯛のちり鍋を作っているつもりが、いつの間にか寄せ鍋になってしまった具合に。そこに陥らなかったのが一番の成功した要因であった。

 

 

それから、当時の東映はよっぽどの超大作ではないと一本立てではなく、この劇場用映画一作目『あぶない刑事』も併映作品を付けられた二本立ての興行であり、そのために上映時間は99分となっている。併映作品は香港のアクション映画『七福星』。サモ・ハン・キンポーの監督・主演作品で、ジャッキー・チェンやユン・ピョウも出ているオールスター作品なのだが、本国では二年も前に公開されていたもので、しかも彼らの旬が日本では過ぎた後だった。併映作品に対する蔑称の“添え物”とは、まさにこういうもの。しかしながら、製作プロのセントラル・アーツは東映の傍系であり、そのプログラムピクチャーを多く手掛けていて、二本立ての一本分、90分台の劇場用作品はお手の物で観客の心を掴むのは心得ていた。一時間番組のテレビドラマ版『あぶない刑事』全51話はすべて一話完結で前後編さえなかったのだが、二話分相当である99分のこの劇場用映画一作目、じつは得意中の得意な範囲で作られていたのである。

 

冒険しなかった劇場用映画一作目『あぶない刑事』のなかで、あえて冒険した箇所といえば、タカとユージが勇み足で捜査に失敗して、その懲罰で二人は捜査課の仕事を外されてしまい、他の課への応援で性風俗店の見回りにいくというもの。だから、卑猥であったり、女性が胸を露出している場面もある。当時、日本テレビにおける番組制作部門のトップにまで出世していた岡田晋吉プロデューサーは信条からそういった部分に厳しく、8時台に放送の『太陽にほえろ!』、後番組『ジャングル』は時間帯もあって性風俗産業が醸し出す卑猥さも女性が胸を露出する場面も出てこず、他局ではそういう表現がOKな時間帯の9時台に放送されていた『あぶない刑事』でも貫かれていた。この異質な場面は岡田晋吉プロデューサーの範疇に及ばない劇場用映画だからこそ成り得たのである。なお、1989年4月のテレビ初放送時にこの場面はカットされなかったが、それ以降はカットされてしまっている。

 

さて、連続テレビドラマ版の成功に続き、劇場用映画版でも成功を収めた『あぶない刑事』は、翌年にも劇場用映画版と連続テレビドラマ版をシリーズ化してパッケージで作っていく。1988年7月公開で劇場映画用二作目『またまたあぶない刑事』、1988年秋改編期からは連続テレビドラマ版の続編『もっとあぶない刑事』、そして当時はシリーズ完結と謳われた1989年4月公開で劇場用映画三作目『もっともあぶない刑事』。

 

劇場用映画二作目『またまた~』のゲストは、伊武雅刀、宮崎美子、片桐竜次で、その三作目『もっとも~』のゲストは、柄本明、佐藤仁哉、真梨邑ケイらと、やっぱり地味であり、一作目の方針が貫かれている。その前後に位置する連続テレビドラマ版『もっと~』も前作からレギュラーが誰一人入れ替わることなく同じキャストで、また半年間あった放送の各回ゲスト出演者もレギュラーキャスト以上にネームバリューがある者、旬な者は出してこなかった。このストイックさこそが「あぶない刑事」シリーズの価値を下げなかった秘訣である。

 

劇場用映画二作目『またまた~』併映『・ふ・た・り・ぼ・っ・ち・』の製作は「あぶない刑事」シリーズにおけるプロデューサーのひとり、伊地智啓のキティフィルムが入ってはいるが、こちらも二作目『またまた~』と同じ東映、セントラル・アーツ、そして日本テレビとの共同作品で配収の面でどこもワリを喰わないようカバーした。劇場用映画三作目『もっとも~』になるとようやく一本立てとなったが、だからって上映時間は104分と無理して欲張らなかった。

 

・ふ・た・り・ぼ・っ・ち・ | 内容・スタッフ・キャスト・作品情報 - 映画ナタリー (natalie.mu)

 

最後に私事ながらのハナシで締めたい。1980年代の劇場用映画「あぶない刑事」シリーズ三部作は全部封切り時に観に行ったし、南野陽子のファンだったから同時期の『スケバン刑事』と『はいからさんが通る』も観に行ったのだが、どれも併映作品までは観なかった。

 

いまでいうところのタイパを重視して、目当てだったほうの作品を観たら、とっとと映画館を出てゲームセンターかなんかに行っていた。ただ、そうは言っても、『はいからさんが通る』なんて、劇場用映画一作目『あぶない刑事』と同じ1987年12月12日の公開で、しかも同じ東映での公開だったから「なんで~!?」と嘆いたものだ。