顔を縫った話 | 38度線の北側でのできごと

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 5年に一回くらい顔を負傷している。

 

 2013年に平壌でまぶたをけがした。ヘダンファ館の前でジャンプしたらずっこけた。年齢を考えるべきだった。基本的に外国人訪問者には無関心な平壌のホテルの職員たちも「どしたのどしたの?」と寄ってきた。顛末を説明すると大笑いされた。

 

 2015年に訪朝した時、同じホテルに泊まった。楚々とした感じの女性職員が「あの時目をケガしてましたよね」とふふふと笑った。もうひとりの職員も「わたしも覚えてます」と笑う。「忘れてくれよ」といったらふふふ、ふふふと笑い続けた。

 

 10年ほど前仕事納めの日にパチンコの看板が飛んできて、そのまま顔面を直撃した。即病院へ。MRIを撮り「見事なこぶですねぇ」ということで話は済み、年始に慰謝料と治療費をもらった。

 

 そして今年。また仕事納めの日にエスカレーターで滑り顔面を強打した。血が垂れていたが以前ほどではないし大丈夫だろうと出勤したら「即、病院行け!帰れ!よいお年を!」と上司からの命令。

 

 「整形外科だけじゃなくて脳外科も行った方が」といわれ、早退して百人町の病院へ行く。血はあまり出ていない。ハンカチで押さえていれば問題ない。痛くもない。新宿西口駅を降り歩いていると、たばこを吸っていた外国人の男性が笑顔でサムズアップをしてきた。こちらもサムズアップで答える。

 

 アドレナリンが切れたころ麻酔を打ち顔を縫った。「何針縫いました?」と聞くと「15針」という。血は出ていないが、傷が深いというのだ。顔をこれまで10針縫ったと親から聞いているから合計25針。なかなかの数である。家に帰ると少し痛くなったので、抗生物質と鎮痛剤を飲んだ。

 

 じっくり自分の顔を見ることはなかなかない。見るといかつい傷がちらほらとある。どちらかというとベビーフェイスなのだがそうでもない。頑張って生きてきましたねぇと鏡越しにつぶやいた。

 

 それがぼくの年末年始だった。実家の方に行くのを避けたのは正解だった。

 

 6日に抜糸。今は傷口に肌色のテープを貼っている。厄払いは済んだと周りの人はいう。それを信じてみようと思う。