2022年が終わります。 | 38度線の北側でのできごと

38度線の北側でのできごと

38度線の北側の国でのお話を書きます

 いよいよというか。ついにというか。

 

 オリンピックは最後の祭りだとぼくは常々思っていた。このツケを払うだけでなく、振り返ってみた時に日本の最後の繁栄の象徴としてオリンピックは記録され、ぼくらの成長しない未来、後進国へと落下していく未来が始まると思っていた。

 

 それをいよいよ正視しなければならなくなった。そんな一年ではなかったか。

 

 アベノミクスを主導していた安倍元総理が暗殺という最期を迎えた。そこから見えてきたのは、統一教会の問題。ここまで深く浸透されていたかという思いを強くした。

 

 さてそれでは立憲民主党のターンになるかと思ったがそうでもない。相変わらず頼りないし立正佼成会の存在もある。

 

 さらに公明党という存在もいる。共産党とれいわ新選組は勘弁願いたい。社民党はどこに行った。みんながすくんでいる間に時間だけが過ぎていく。

 

 隣国は騒がしい。中国も北朝鮮も。ロシアの戦争は長く続きそうで、それを受け入れてしまっている。核が使用されるか。ある日しれっと、あっけなく使われる気がする。Jアラートでさえも、今年だけで約90回の飛翔体発射にも慣れてしまったぼくらは、唖然とそれを見ることしか出来ないのだろう。

 

 モノの値段が上がる。いよいよ耐えられなくなった。ステルス値上げではもう補えきれなくなった物価。寿司が2貫で100円だなんておかしいよね、と言いながらもそれを享受していたぼくたち。ぼくはかつて日本語学校で少し働いたことがあったのだけど、その時来ていた多くの留学生は韓国と中国だった。今はどうだろう。ベトナムなのだろうか。

 

 帝國政府ハ爾後國民政府ヲ対手トセス。近衛文麿のことばだ。対手とせずと扱っていた外国の人たちが安くなった日本から離れていく。人口は減る。移民を入れる前に移民が来てくれない。どんどん相手にされなくなっていく。

 

 正視しなければならない世界は大変で、ややこしく、見ないようにしていてもなんとか、まだなんとか生活は回っているのだが、それもそろそろ持たない気がしている。

 

 W杯でドイツとスペインを破った熱狂で一瞬で忘れたかもしれないが、ひたひたと、ひたひたとぼくたちに近づいてきている。

 

 個人的な出来事として家を買った。厳密にいうと妻が買った。コロナに翻弄された一年の前半を、後半で取り返した。生活は変わらない。そもそもぼくたちが固定費のかかるもの、旺盛な消費というものに関わらないというところもあるのだが。

 

 コロナにも慣れてきたところがある。2回かかったのである意味勝手がわかり、またオミクロンでは死なないということもわかった。だからぼくは映画を見て、舞台を見て過ごした。

 

 そしてもうお膳立てはしないことにした。会いたい人と会いたい時に、自分のために会う。誰かのために、労を厭わないというのはもうまっぴらごめんだ。幸い、コロナのおかげでそれが一掃出来そうなのだ。こういうとひんしゅくを買うかもしれないが、その点ぼくはコロナに救われたと思う時もあるのだ。

 

 そんな2022年が終わろうとしている。さようなら。そしていらっしゃい2023年。