きたちゃんの話 | 38度線の北側でのできごと

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 その人はぼくのことを、北ちゃんと呼んでくれる。北朝鮮と発音が似ているけど、関係ない(と思う)。もうひとり、お世話になっている専門書店の主人も北さんとぼくのことを呼ぶ。

 

 ぼくはどちらも〇〇さんと相手のことを名字で呼ぶ。少し北ちゃんは照れくさい。

 

 最近、非正規雇用の話をずっと書いているのだけど、よく聞く話が名前で呼ばれないこと。ひとくくりに派遣さん、パートさんなんてひとくくりで呼ばれるわけだ。

 

 

 講師の仕事をするときは「先生」と呼ばれる。がんばって、かなりがんばって「はい」と答えている。大学のゼミの先生も先生とメールを書いてくる。これは笑える。

 

 今日はクライアントのビルに行ってきた。年始のあいさつと、焼き肉のたれを渡しに。そこにその人はいる。

 

 ぼくは人間関係を維持することが正直苦手だ。持て余してぶちっと切ってしまうことが多い。距離が近すぎると特によくない。

 

 だからあまり人のことをあだ名で呼べない。下の名前でなんて呼べない。そしてその対価としてぼくもそういう扱いになる。

 

 非正規雇用の話に戻すと、立場が不安定なことに加えて、人間関係も希薄になった。これはぼくたち世代全体に言えるのかも知れないが、北ちゃんと呼んでくれる先輩や上司がいない。甘える存在がいない。

 

 昼の職場では相変わらず、ずっとそうだ。たぶん、これからも。

 

 でも、書く仕事と講演の仕事では北ちゃんと呼んでくれる人が出来た。その人が講師の仕事を繋いでくれた。

 

 非正規雇用のつらさって、目をかけてくれる人や、引き上げてくれる人。注目されたり、自分の魅力に気付いてもらえないこと。求められるのは変な個性や自分の色を出さないで、定められた数値で仕事をこなすことだったりする。劣れば叱責されるし、変にとがっていれば咎められる。

 

 没個性でじっとしていろ。これって辛い。

 

 でも、その人は「面白いじゃん!うちで講師やらない?」と誘ってくれた。やりますっ!と手を挙げたぼくも、あとからとんでもないところに来ちゃったぞ、ということに気づくくらいの場だった。

 

 そういうチャンスをいただいて、何とかその人に恥をかかさないぞという気概でこなせた(と思う)。ある意味ぼくが人生で絶望せず、テキトーに生きていられるのも、そんな経験があったからなんだ。

 

 このありがたさって、本当に伝わらない。いや、伝わっているのかもしれないけど、伝えきれない。

 

 ただでさえ、新卒の時になりたい職業を選べなかった。社会からおまえらはいらぬ、と言われた。遠回りはしたけれど、小説家という方向からは少し外れたけど、子どものころからの夢に近いところにこの年齢でいられることがうれしい。

 

 北ちゃん、という声を久しぶりに聞いて、そんなことをぼくは考えていたんだ。