45歳の大みそか | 38度線の北側でのできごと

38度線の北側でのできごと

38度線の北側の国でのお話を書きます

 仕事をするうえでのひとつのコツは、例えば業者さんとひとくくりに呼ぶのではなく、〇〇さんと呼ぶこと。無意識にぼくはこれが出来ていたようで、他の同僚よりも協力会社や営業担当の人といい関係を作って、何度かピンチを乗り越えてきた。

 

 年始に協力会社の〇〇さんが来て書類を受領した。印鑑を押して、あけましておめでとうございますとあいさつすると「ちょっと聞いてくださいよ」と言われた。

 

 ぼくは年末年始、実家に帰っていたがぼくの部署や協力会社には年末年始はない。何かトラブルが年末にありました?と聞くと、ぼくと同年齢の上司が元旦から協力会社の事務所に来たという。

 

 前々から、同年齢の上司が休日に協力会社の事務所に顔を出していることは噂として聞いていた。だがぼくは信じていなかった。なんで休みの日に仕事に関係したところに顔を出さねばならぬのか。全く理解できなかった。休みの日は家のことをしたり、本屋に行ったり、図書館に行ったり、好きな映画を見るに限る。

 

 思えば父が上司のような人で、ふらっと下請け会社の事務所に顔を出していた。

 

 子どもながらに「おかしいなー」と思っていた。もうひとつの趣味が釣り。極寒の今ごろ、堤防に釣りを見に行っていた。するのではない。見るのである。

 

 かくして父と息子は分かり合えぬままこの年齢になってしまった。

 

 さて、同年齢の上司なのだが、協力会社の人も来たら無下には出来ない。お茶を出したり、世間話をしたり。しかし面白くはないだろう。別にその上司に、協力会社を切るような権限はないけれど。

 

 一方でぼくは絶望したのだ。その同年齢の上司に。

 

 同じ長さを生きてきて、なぜこうなってしまったのか。彼には友だちがいないのか。家族は。そして、暇な時間を埋める趣味はないのかと。「すみません」と協力会社の人にぼくは頭を下げた。「いやー、そういう意味じゃないんですよ」と協力会社の人はぼくをとりなしたが「本当にすみません」というしかなかった。

 

 ぼくはふたり分、頭を下げた。

 

 その後ぼくはその会社を辞め、その上司もどこかに異動したが、その後の消息は聞かない。年末年始になると上司のことを思い出す。年齢を重ねて、大みそかと正月にどこか落ち着ける場所は見つかったのかと。