再び、上野へ | 38度線の北側でのできごと

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38度線の北側の国でのお話を書きます

 すでに日付は変わって今日なのだけど、急遽上野に行くことになった。数日前に上野に行ったばかりなのに。

 

 上野といえばコリアンタウン、オールドカマーが多い。以前、在日コリアンの女性の方から「よかったら案内するよ」と言われていたのだけど、コロナの事情もあり無期延期となっていた。

 

 女性視点でおいしい店を教えてもらおうと思ったのだけど、残念。「まるきん」という店の名前だけ教えてもらった。キムチを買ってみたらとってもおいしく、海産物の味がしっかりとした。この店を韓国で一時期仕事をしている女性の同僚に教えたところ、彼女は実際に行って食材をわんさか買い込んでくれたらしい。

 

 こういうシチュエーションがこれまで何度かあり、「ありがとうございます!今度行きますね」とは言われたけど、実際に行った報告を聞いたのはほぼ初めてだった。だいたい口だけか、確認する前に相手が辞めてしまうことがほとんどだったので。

 

 何がぜいたくかというと、今回の上野行きの相手は在日コリアン男性。在日コリアンの歴史と日本の歴史をフィールドワークとしている方で、そんな方をナビゲーターに数時間の上野散歩なんて楽しみでしかない。

 

 別に上野に限らず、どんな土地でもその土地に詳しい人を相手に連れられて歩くなんて、ぜいたく。

 

 しかも明日は本番ではない。本番を前に「ご飯食べませんか」と誘われたのだ。

 

 何を見たいか。上野御徒町のコリアタウンのディープさ。在日コリアン視点で。焼肉屋と食材店だけでない面白さ。

 

 上野にはいくつか点を作ってきた。クライアントの創立を祝った東天紅。何本かコラムを書いた朝鮮商工新聞。中外旅行社。一気に今回陣地が広がりそうだ。

 

 中高生のころ、麻雀にはまっていた。阿佐田哲也の「麻雀放浪記」を読んだ。マガジンの「哲也」ではない。文庫本に麻雀の手が並ぶ。植字工の苦労がしのばれる一冊。

 

 その舞台が上野。ドサ健。坊や哲。親指トム。出目徳。戦後のはらはらするような時代。そこを30年くらい経ってじっくり歩くことになるとは。

 

 高校生のぼくは、というより、今までぼくは実感として持っていなかった。青春のあこがれの地を歩くなんてね、この年齢になって。