あけましておめでとうございます。 | 38度線の北側でのできごと

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38度線の北側の国でのお話を書きます

 あけましておめでとうございます。

 

 普段文章の修練のためにここでぐだぐだ書いているのですが、今年もよろしくお願いします。

 

 去年、大みそかに2年11か月勤めた会社を辞めてきました。3年で派遣契約終了。直雇用にという話がなかったので辞めざるを得なかったのですが、自分にものを勧める才能がそれなりにはあるということが分かった職場でした。

 

 さて、かねて思っていたのですが、オリンピックが最後の日本にとっての祝祭になるという思いを強くしています。もう、経済大国ではない。老いた国になってしまった。

 

 諦念が厚い雨雲のように日本を覆っていることを感じるのです。結局、オリンピックとは何だったのか。既得権益を守る集団と、中抜きの構造だけが明らかになり、世界に発信する確たるメッセージを持たなかった。持ち得なくなってしまった老いた国の姿を見せただけではなかったのかと思っています。

 

 このあと大阪万博、札幌オリンピックとイベントはありますが、何を世界に発信するのでしょう。

 

 個人的には、コロナで暇になった3年間でした。前の職場にいるときはまるで、凪のようなおだやかさでした。3年間、まじめに会社員をやってみましたが、まじめに会社員は合わないなと思った頃の契約満了。むしろチャンスかなと思っています。

 

 北朝鮮からも離れた時間でした。でも離れたところで、やっぱり戻りたくなりました。

 

 結局のところ、ぼくという人間は会社勤めが合わない。書くことから離れられない。北朝鮮の面白さからも。幸いにして妻が社会人の適正、会社勤めの適正が高くその能力も高いので、それに甘えつつ、書くことと話すことに回帰していければと思います。

 

 今年の目標は単行本を出すこと。幸いにして、編集者の方との縁が再びつながり、以前よりもその立場は自由になっていてやりやすくなった。色々書きたい。そこに戻りたいと思いました。

 

 人生の折り返し点という年齢になりました。三島由紀夫が自決した年齢でもあります。人生の前半最後にどっとイベントが起こりました。単行本を出すことが出来たら、もうぼくの人生でやることは余りないのかも知れません。自死することはないと思いますが、豊饒の海を書き上げた時の何もやることがない、という感を味わってみたいのです。

 

 幸いにしてオミクロン株はそこまで強くないようです。この数年間で知ったのは、自分は年齢の割に仲のいい人が多いこと。その人たちとの縁を温めることから始めようと思います。