マツメイラス松田(松田勇希)さんがPodcastハトトカの中で高校時代にのイングランド4部でセミプロデビューをした件などについて話していました。今回の文章はその様子をインタビュー風にアレンジした文章として書き起こしたものとなります。
記事元
http://hatotoca.com/podcast/0013_england_mazda02/
【インタビュイーのご紹介】 マツメイラス松田(松田勇希)1982年生まれ
フリーランスサッカー実況解説者。サッカーエンタメ番組「シュウアケイレブン」MC (FRESH!)/「JFL・地域リーグ」実況解説(FRESH!)/「ハトトカ」MC(podcast)/ 映画「ホペイロの憂鬱」サッカーアドバイザー(一部出演)/
Twitter @mazda16
―――では、ホストマザーのところから引っ越したんですね
(松田)引っ越しました。肉の食べられる生活が始まりました。するとコンディションが著しく良くなったんです。
―――フィジカルトレーニングたくさんしているのに、肉なしの野菜だけの食事では無理ですよね。適切な栄養を取ることが大切ですから。
(松田)タンパク質をとるようになってから、フィジカルが向上した結果、キック力もついてきたし、プレーに俊敏性も生まれて、闘える体になってきたんです。
―――なるほど。
(松田)チーム内で重要なのは、練習中にこそ本気を見せることなんです。試合ではやれて当たり前なので。試合に出るために練習中にどれだけ実力を見せつけて、サブメンバーからスタメンに上がるためには大切なんです。だから、特にセミプロ契約を勝ち取ってから、練習中からファイティングスピリッツを出すようになりました。
それまでの高校1年までは「俺なんてどうせ」とか思っていたのが、そういうのはなくなくなったんです。チーム内でいやがらせ的なことをしてくるライバルもいたのですが、全然へこたれなくなりました。そういうことがあっても「ふざけんな」とか思って対抗できるようなキャラクターになったんです。
―――よかったですね。
(松田)そういったテンションになれたのは、初めて彼女できたというのも理由の一つだと思います。男としての自信がついたというか(笑)
―――え、イングランドで彼女もできたんですか?
(松田)彼女できました。オペラハウスの恋」の話してもいいですか?
―――なんなんですかそれ(笑)
(松田)ロイヤル・タンブリッチ・ウェールズは、やはり「ロイヤル」だったので、昔は栄えていてオペラを上演する劇場があったんです。そこの中身を改装して「銀座ライオン」のような雰囲気の飲み屋があったんです。もちろん銀座ライオンよりもだいぶ大きいんですけど。そのオペラハウスで飲んでいた時に、依然通っていた語学学校に今現在通っているというアルゼンチン人のグループがたまたま居合わせてたんです。そのグループの人たちは男4人・女子2人の、2~3か月の短期留学のグループだったんですけど、年齢は僕と同世代だったんです。で、僕の所属しているチームにアルゼンチン人がいたので、ラテン語に気が付いて話しかけに行ったことをきっかけに、同世代ということで引き合わせてくれて交流を持つようになったんです。
―――そのうちの2人のどちらかと付き合ったんですか?
(松田)最初はその2人の中のインド系の顔をした「アドリー」という娘が僕のことを好きだって言ったらしいんですよ。チームメイトのアルゼンチン人が冗談で僕のサッカーの実力を大げさにアピールしてくれたおかげで。
―――あれ?なんでこんな話聞いているんだろ。
(松田)いや、この話もサッカーに関係ないこともないので話させてください。もう1人のアルゼンチン人の娘は「カロリーナ」っていうんですけど、その娘はオードリー・ヘップバーンに似ていました。
―――それは絶対可愛いですね。
(松田)僕はカロリーナを可愛いと思っていたんですけど、アドリーの方がぐいぐい来るんですよ。だから、僕はアドリーのアタックをかわしつつも、カロリーナと話さなければいけないという、難しい日々ことをしなければならなくて。
―――はあ。
(松田)一週間後くらいのある日、カロリーナがパブに呼び出してきたんです。実はあっちのパブって飲み屋というよりは、ファミリーレストランに近い雰囲気で子供とかも結構普通にいるんです。
―――田舎のパブにはフーリガンがいるイメージがあるけど、そういった感じではないのですか?
(松田)イングランドの田舎のパブは実はだいぶファミリーライクなとこで、庭のあるパブとかもありますよ。そこで、カロリーナと2人で話をしたんですけど、カロリーナ曰く「アドリーはあなたのことがすごく好きで、もう勉強が手につかないらしい」とかいう話になっていて。
―――映画の「耳をすませば」みたいな話ですね。
(松田)僕はその時は、セミプロ契約を勝ち取ってファイティングスピリットにあふれていたから、カロリーナがアドリーを応援していたとしても、自分としてはカロリーナを好きだということを素直に伝えなきゃと思って、「俺は君のことが好きなんだ、カロリーナ」って言ったんです。
―――すると?
(松田)カロリーナが「No!」って。
―――「№」って、ダメってことですか?
(松田)それは、いわば「Oh!my god」のニュアンスだったらしいんですよ。だけどその時は、「一瞬で振られた!と思って意気消沈しました。ただ後から聞いたんですけど、カロリーナも僕のことをそんなに嫌いじゃなかったらしいんです。でも、アドリーが先に好きっていっていたから、「どうしよう!」と思っていたらしくて、その時は何もいえずに2人でずっとオレンジジュースを飲んでいました。
―――青春って感じですねー(棒)
(松田)それから3日くらいしたあと、今度はアドリーがやってきて「私のことはいいから、カロリーナにもう一度気持ちを伝えて」って言ってきたんですよ。
―――アドリーはいい娘ですね。
(松田)いつも集まっていた男4人、アドリー、カロリーナ、そして松田というメンバーで「踊りにいこう!」ってクラブに行くことになり、その際に、カロリーナと僕で2人きりにしてくれたんです。そこで、改めて告白して、日本でいう「付き合う」ということになりました。
―――はあ、よかったですね。
(松田)このように、恋愛が成就したことが僕のサッカーに対する自信に好影響を与えることになるんです。そうして、ついに僕はスタメンを勝ち取ることになるんです。
―――トップチームで?すごいですね。
(松田)そうなんです。やはり、カロリーナが「試合を見に行くから」というから、「これはスタメンを勝ち取らないと」と思うわけです。
―――愛の力ですねー(棒)
(松田)それで、ついに2トップの1角として。スタメンとして試合に出ることになりました。もう一人の2トップはナイジェリア人のマイケルで、身長が高くてフィジカルも強いという選手で、基本的にマイケルにマークが集中することになるから、僕としてはなるべくマイケルの周りでボールをもって、マイケルをフリーにさせる役割を与えられたんです。つまり、影武者のような役割で、マイケルをいかに活かすかという役割でした。そして、2列目にはアルゼンチン人の選手がいて、そいつも物凄くうまい選手だったので、そのナイジェリア人とアルゼンチン人でガンガン点を取りに行こうという作戦で始まりました。前半は、気持ち空回り気味でした。カロリーナも見に来ていたので、いいところを見せないと、という気持ちもあって(笑)
―――でも、そういう時はあまり力が出せないですよね。
(松田)ただその試合、その当時は日本人が珍しかったのか、観衆はとても盛り上がっていました。
―――どのくらいのサポーターがいたんですか?
(松田)4部のチームでしたが、200人くらいはサポーターがいました。その盛り上がりは、どうやら僕に家を貸してくれた大家さんが観衆をけしかけていたみたいでした。だから僕にボールがくると「ワッ!」と観衆が盛り上がるんですよ。その大家さんのことだから、また下駄をはかされたふれこみが観衆の中に広まっていたみたいで(笑)。「この日本人何をするんだ?」という期待があったみたいで。でも、大した活躍ができないまま前半が終わって、「ああ、これは交代かな」と思ってました。
―――前半は、あまりうまくいった印象ではなかったんだ。
(松田)でも、それでハーフタイムでベンチに戻ったら、「YUKI!良かった。マイケルをフリーにすることができている。作戦通りだ。」と監督は言ってくれたんです。どうやら、観客が僕がボールを持った時に盛り上がってくれたおかげで、僕がなにやら重要な選手であると思ってくれたらしくて、マークを僕に集中することができていたらしいんです。
―――そもそも、そういう役割で送り出した監督としては作戦通りだったんですね。
(松田)そうなんです。そうして、後半に向かう円陣を組んだ時に「後半、YUKI、わかってるな?」とそのヘイズスっていうアルゼンチン人選手に言われて、「OK」と返したんですけど、それから後半の20分くらいは全然覚えていないんです。「やらなきゃ」という気持ちから、集中力が高まって、観客の声が聞こえなくなる、いわゆる「ゾーンに入る」状態になったんです。そんななか、偶然ではあるけれど、そのヘイズスから「こんなに低くて強いパス止められない」というくらい、非常に強いパスが来た際になるべく勢いを殺すために、左足の甲でトラップしたんですけど、勢いを殺し切れずに玉が浮いてしまって僕の頭上くらいに上がってしまったんです。その際に、実は後ろから相手ディフェンダーが猛スピードで寄せてきていて、そのトラップミスで偶然ボールが浮いたことが、絶妙に相手ディフェンダーをかわす形になり、そのことにより観客が「わっ!」と湧いたんです。
―――観客は、うまくかわしたと思ったんだ(笑)。闘牛みたいな形になったんですね。
(松田)ヘイズスが強いパスを出したのも、ディフェンダーが寄せていたという理由もあったんですよね。ただ、トラップミスではあるんですけど、ゾーンに入っていたから、自分の心理状態としても「これが当然だ。当然相手をかわせて、当然前を向けて、当然これからゴールを決めるんだ」というイメージをもてたんです。
―――それはわかります。本当に集中しているときって、思った通りのプレイできるんですよね。
(松田)そのプレイは右サイドで起きたんですけど、ディフェンダーをかわしたということは、その時点でゴール前ががら空きだったんです。
―――じゃあ、あとはゴールまで走るだけの状態ですね。
(松田)ただ、そこで前を向いて、ゴール前がガラ空きであることを認識した時点で、集中力が一瞬切れてしまったんです。そして、走り出すんですけど、すごく遅くて集中力が切れているから「何をしよう?」とか考えてしまったんです。
―――これはゴールを外すパターンかな?
(松田)ただ、ここで改めてゾーンに入り直すきっかけがあったんです。ヘイズスが「YUKI.No man!」と叫んだんです。
―――「No man」ですか。
(松田)つまり、「誰もいないよ」って言ってくれたんです。これが、正しい英語とは言えないかもしれないんですが。実はその瞬間も後ろから相手が追ってきていたんですけど、ヘイズスは僕が緊張していることを知ってか嘘をついたんです。通常なら、その状態では「Man on」っていうんです。「誰かお前についているぞ」と。だけど、ヘイズスは「No man」と言って、その意味が「心配するな」とかそういう意味に聞こえて、その時にものすごく安心できたんです。それがきっかけで、集中力が高まって、スピードも上がって、キーパーと1対1になってもキーパーが何をしようとしているか、完全に「見える」状態になったんです。
―――本当にゾーンに入った状態だったんだ。そういう時は、相手が何をしようとしているかわかるっていうよね。
(松田)そうなんです。その時は本当にわかったんです。僕から見てゴールの左側に大きなスペースがあって、僕は左利きなので、左足の内側、インフロントでこすりあげるように蹴ったら、キーパーには取れないけど曲がってゴールに向かうというテクニカルなシュートを「パンッ」って打ったんです。そうしたら、芝生の上をボールが綺麗に転がって、「ファサッ」ってゴールに入ったんです。
―――おお!
(松田)「うおお!」とかいう感じではなく、「あ、なんか入った」という気持ちだったんですけど、その瞬間後ろから大勢の味方がなだれ込んできて、折り重なってきました。味方だけど、16歳の僕からしてみたら巨人たちですから、なるべく潰されないように身を縮めてました(笑)。それが僕の初ゴールだったんです。
―――16歳の日本人がイングランドで、4部とはいえトップチームでゴールを決めたんですね。
(松田)今でもそのキックの瞬間の感覚や、芝生の色。いつでも思い出せます。そして、ヘイズスが「YUKI.Yes man!」って言ってきたんです!
―――「No man」の逆だ。ヘイズスはニクイですね。むしろ、策士ですよね。日本はサッカーのレベルが未だ低いということが話題になるけど、世界との違いはここでいう「No man」の一言がいえるかどうかの違いかもしれませんね。今の話の「No man」というか「Man on」というか、というちょっとした差が、大舞台で明暗を分けているのかもしれません。
(松田)日本ではよく「フリー!」というんですが、おそらくその場面で「フリー」といわれても、僕がゾーンに戻ることはなかったかもしれません。「No man」の「No」が強い言葉だったんで、僕の頭の中にスッと入ってきたんです。
―――「フリー」だと、気合は入らないかもしれませんね。この「ゾーンに入る」という感覚は重要ですよね。なぜみんながスポーツをやるかというと、この「ゾーンに入る」というものすごく集中して、自分の体がいつもよりうまく操縦できる感覚、チームが一つになっている感覚を味わうためですもんね。ただ、「ゾーン」から抜けて、新たに入り直すというのはあまり聞いたことがないです。
(松田)僕もあの時が最初で最後だと思います。それで、試合はそのまま1-0で終わるんです。僕の得点だけで勝ったんです。こんなに気持ちいいことないですよ!
―――決勝点だったんですね。
(松田)今でも芝生の匂いを嗅ぐと、僕にとってとてもいいイメージを思い出すんです。何せ、そのゴールの瞬間、背中からチームメイトの皆が覆いかぶさってきたときの感覚を思い出して、その際の皆の笑顔を思い出せるので。
そして、客席に行くと「Come on,lads!(ガキ!こっちこい!)」って、大家のマシュー爺さんが言ってくれて、飛びついて抱擁して、カロリーナにも「やったぜ!」って。
―――それはすごい体験ですね!
(松田)ただ、この時が僕のサッカー人生のなかのピークになってしまったんです。今までとは全く違う環境でやれたからこそ知らない自分に出会えたこと、しかも、過去の不登校時代の自分を知る人がいなかったから誰にも気負いすることなくサッカーができたのが良かったんです。セミプロ契約を勝ち取ったというのも登り調子の要因でした。ただ結果としてその気持ちを日本に持って帰ることはできなかったんです。初ゴールの後も、何度かゴールを決められて、ある程度の活躍ができたんですけど、日本に帰ってきてからは、また昔の自分に戻ってしまったんです。
その際にチームメイトから「お前はこうだから、こうした方が良い」とか言われたことというのは、サッカーを見る際にに活かされているんですけどね。
―――そうか。たしか、イングランドは1年の留学だったんですよね。
(松田)帰らなくてはいけない日が近づいてきて、チームにそのことを告げたら「困る!」と言われたんですけど、母親との約束もあったし、またチームとの契約も正式に書面で交わしたものではなく、GMと口約束をしただけで、給与もポケットマネーだったので、契約に縛られていないから帰れるといえば帰れるということになって、帰ると決めたんです。「お前ならもう少し続けていれば、いい線行くかもしれないのにな」と言われたときは帰るのを躊躇したんですが、やはりそこは母親との約束だったので。
―――結構重要な決断ですよね。
(松田)そこで帰ることに決めたんですが、帰った方が良かったのか、残れば良かったのは今でもわからないです。ただ、帰る直前にチームがイングランド代表の長袖のユニフォームをプレゼントしてくれました。あれは嬉しかった。
―――まだとっておいてあるんですね。
(松田)あります。イングランド代表のユニフォームって白いから着れないんですよ(笑)。少しのことで汚れが目立ってしまうので。あの白さがカッコいいんですよ。
―――でも、やっぱりあそこで残っていればとか考えてしまいますよね。
(松田)でも、そこで割り切れはしました。あそこまでできたのはラッキーすぎたんです。あともう一年同じようにやって、同じ調子で続けて入れたかというと、自分の実力としては初めの一年のようにはいかないということは感じていました。いろいろな偶然が重なって、その上でみんなの支えがあったその最高の結果があの一年だったと思うので。ただ、帰りの飛行機の中では眠れなかったですね。いろいろなことを考えてしまって。その時に思ったのは「地球ができた」みたいな話なのかなって。
―――ん?
(松田)偶然太陽から適切な距離が離れていて、その中から水ができて、大気ができて、生物が生まれという、まさに「奇跡」。
―――なるほど。
(松田)それをもう一年やれるかというと、それはできないかなと思ったんです。ただ、腑に落ちたと同時に、飛行機の中でどんどん今までの自分に戻ってしまったんです。日本に帰ってから「英語を話せる」ということも、自信になるというよりは、なぜか恥ずかしいと思ってしまったんです。留学から帰ると、僕は1年休学しているから、留年しているわけで、その理由を聞かれた際に「イギリスに留学をしていた」といえばクラスの人気者になれたかもしれないのに「目立ちたくない」と思ってしまって。元が引っ込み事案だったもので。
―――不思議だね。今の話は映画になるくらいの話だったのに。
(松田)それからは、どれだけ平凡に暮らすかとか考えてました。とはいえ、また海外に行きたいという気持ちはあって、高校卒業後にすぐに海外に行きたいと思いました。もう一度、あの奇跡は起きないかもしれないけど、僕は海外の方が活きると思う、と母親に行ったんです。
―――そもそも、お母さんは初めの留学後にその留学での体験を話してどんな反応だったんですか?
(松田)「よかったね。なら高校は卒業してね」という反応でした。
―――ああ、まあ親としての普通の心情かもしれませんね。
(松田)そもそもの親の目的としては、高校を卒業させるために英気を養わせたという感じだったので、留学先での成功とかは関係なく、学歴のためだったということなんです。成功するかどうかという博打の話はあまり興味がないというか。だから、結局は高校を卒業した後も親の勧めで日本の大学に行くことになりました。最初は夜間の大学に行くことにしたんです。昼にバイトをしてお金を貯めて、夜に英語の勉強をして、早く海外に行こうという目論見で。「2年で海外に行ってやる」という気持ちで初めはいました。関西外国語大学に入ったんですけど、一般教養とかはあまりない、語学学校のようなところだったんです。そんななか、夜間の非常勤講師の方々が、普段は立命館大学とかで教えているような講師で、一般教養の講義があって聞いてみたら、やはり教養のある人の話はなかなか衝撃的な内容だったんです。夜間に来るような講師は言葉も少し乱暴で、でも教養がにじみ出ていて、そんな言葉で「お前らなんてまだまだ甘ちゃんだ!」とか言われると、説得されてしまい「ああ、俺まだ甘かったんだ。」と思い、教養を付けることも必要であると思い、4年生の過程に入り直しました。そんななか、大学でもサッカー部に入ったりしたんですけど、そこでもずっと2軍でした。
―――そうなんだ。2軍になった理由はわかっているんですか?
(松田)言われたことを懸命にこなそうとしたんです。
―――それではだめだったんですか?
(松田)言われたことを懸命にこなした結果としてイングランドでは結果が出たんです。初ゴールもそれで結果が出たし、その成功体験があったからとにかくコーチに忠実にプレイをしていました。とはいえ、それはイングランドではテクニック的に異色の存在だったから、その中で色を出すことができていたんです。日本だと僕のテクニックは皆とそれほど変わらないから、言われたことだけやっていたら突出した存在にはなれなかったんです。
―――結局普通の選手になってしまったんだ。
(松田)そうなんです。おまけに引っこみ思案だし。イングランドでは足物の技術はあるほうだったけど、日本のなかでは特にそうではなかったんで。
―――確かに、日本は足元の技術は世界でも高い方ですもんねね。それこそリフティングの世界チャンピオンは日本人だし。
(松田)ロングボールだけは海外で特に練習していたから、僕はロングボールだけが極端に上手くて、かつ戦術理解度は高かったのに試合にでたらあまり使えないという選手になっていんです。つまり、使うにはとても難しい選手になってしまったんです。
―――うーむ。
(松田)しかも、大学は監督がいなかったんです。僕は、ある程度教えてくれる人がいて、ある程度鵜呑みにして、それをものにして、それをアレンジしていくという、ステップを踏んでいくタイプなので、大学のチームは「いきなり応用しろ」というチームだったからうまくいかなかったんです。
―――自分を追い込んで、ゾーンに入るタイプですもんね。
(松田)だから、サッカープレイヤーとしては大学でも大成しませんでした。ただ、16歳の時に留学した経験は、社会人になってようやく底力として生きてくることになるんです。高校、大学の時は集団の中で埋もれようとしてしまったんですけど、社会人になり、そこでいい環境、いい上司に巡り合ったことで埋もれようとするのではなく、イングランド時代の僕みたいに、周りを気にすることなく、自分の能力をいかに発揮するかということに注力することが大事ということに気が付いたんです。
―――社会人になった先の職場の環境がイングランドに似ていたのかもしれないね。かならずしもすべての会社が個を伸ばしてくれるとは限らないから。
ただ、聞かされたからには結論を聞きたいんだけど、カロリーナとはどうなったんですか?別れの時のエピソードがあるはずと思うのですが。
(松田)「ヒースローの涙」の話ですか?カロリーナは3か月の留学だったので僕より前に帰ることになって、ヒースロー空港に送りに行きました。一緒に来たグループのみんなで帰ることになっていたんですけど、アドリーは気を利かせてくれて「先に行くね」と言って、僕たちを二人にしてくれたんです。
―――アドリーいい子だね(2回目)。
(松田)その時は、僕もカロリーナも何も言えなくて黙っていたんですけど、僕から「やっぱり距離は埋められないと思う、遠距離は難しいし、君がアルゼンチンに帰ってもし誰か他の人と恋をしたのならそれはハッピーなことなんだと思う。僕はそれを受け入れるべきだと思うし、お互いそういう気持ちで日々を過ごしていった方が良いんだと思う。」と伝えたら、カロリーナは泣いて泣きやまなくて、そこで僕は初めて女性の肩を抱き寄せるという。
―――はあ。それに対してカロリーナはなんて言ったの?
(松田)「私はそれでもメールを送ります。」と言って帰っていきました。だから、それからもずっとメールのやり取りは続いていたんですけど、僕が留学から帰る少し前くらいに「好きだって言ってくれる人がいる」というメールがきて、「それはいいことだね、だとしたらこういうやり取りはしないほうがいいと思う。返信はいらないから。」というメールをしました。
―――なんだかいい話すぎますね。普段から接している松田さんのイメージと少し違うと感じるんですが、英語になったら人格かわるとかあるんですか?
(松田)それは英語が抒情的な言い回しになる部分が多いからなんじゃないかと思います。日本語の方がしどろもどろに対応しても通じてしまう部分があったけど、英語だとそうはいかなくて。その時はお互いが英語が母国語ではなかったから、よけい正確に伝える形になったのが理由だと思います。そこで僕たちの恋は終わりました。というか、こんなラブストーリーでいいんですか。
―――いやいや、そちらが話したからには最後まで聞きたかったので。ここまでで振り返ってみると、やはり「イングランド」っていう場所が良かったのかもしれませんね。どこでも「サッカー」に繋がることができる場所という意味において。文化的にイングランドほどサッカーに熱い国でないと、そもそも日本人が「サッカーをやりたい」と言っても、ここまですぐにサッカーに繋がることはできなかったと思います。
(松田)だから、僕は今よりサッカーに関係する仕事をすることができていたら、ロイヤル・タンブリッジ・ウェールズの人たちに会いに行って「みなさんのおかげで今僕はサッカー解説者になれました」と言いに行きたいんです。
―――サッカークラブのいいところは地域の人々の人生であるということだよね。日本のように高校までで終わってしまうと「先生の人生」ということになってしまい、「プレイヤーの人生」ではなくなってしまう。イングランドでは、日本から来た高校生がサッカーをやりたい、と言って見込みがあると思ったら、大赤字のお金でアパートを貸すということもできてしまう。そこまでして、自分のクラブに入れ込んでしまう。やはり、まだ日本ではまだまだ、こうはいかないかなと思うね。
(松田)たしかにそうですね。日本の高校サッカーでは「最後のロッカールーム」という番組をやりますけど、高校サッカーの終わりを「最後」と捉えてはほしくないです。
―――もちろん、その中に松田さんの魅力というものがあるのだと思うけど。2014年のブラジルワールドカップの時でも各地でいろいろな交流をしていましたよね。フェイスブックに上がっている文章も秀逸だと思うんですが、いろいろなものを「引き寄せ」していると感じるね。どこか、心をざわつかせる魅力があるんですよね。
(松田)いま社会人になってみて、イングランドでのサッカーの経験が自分を形作っているものであるということに気が付いて、どうしてもサッカーの仕事がしたい、サッカーを通じて、地域の人々の営みを伝えたり、文化的な交流をすることのお手伝いをしたり、という仕事がしたいと思うようになりました。サッカーアソシエイターとでもいうんでしょうか。とはいえ一番やりたいのはやっぱりサッカー解説者なんです。
―――僕も松田さんのサッカーの話や試合を見ながら解説を聞くことがあるけど、視点が面白いんですよね。サッカー解説者には、日本代表とかのきらびやかな経歴を持つ人が多いですよね。ただ、松田さんは結局プロになれなかったけど、それでも面白いと思うから。特に、プレイヤー目線で話す話は面白いと思います。
(松田)一応プレイヤーではあったんで、その頃の自分と重ね合わせて話しているというのはあります。
―――挫折をしているのがいいかもしれませんね。解説者の多くは挫折を経験することなく日本代表にいた人も多いから、そのような人とは違った視点で語るというのがいいかもしれません。
(松田)こんな僕ですが、これから、本気でサッカー解説者を目指して頑張ります。応援のほどよろしくお願いいたします。