TBSラジオ澤田記者さんが2018年9月5日のアフター6ジャンクション(通所アトロク)の「特集コーナー:『高校演劇特集』」のコーナーで大正の日本の女子サッカーに関する演劇である丸亀高校「フートボールの時間」について話していました。



(澤田記者)(高校演劇の)審査員でよく、「高校生らしくない」「等身大じゃない」という批判(評価)がされることがあるんですよ。

(日比麻音子)そう!何なんですかねあれ。

(澤田記者)高校の時は僕も思っていたんです。「何なんですかねあれ。」って。でも、今説明したように、(高校時代の)その時の一瞬にしか思えないことであったり、役と本人が一体化するっていうことって、やっぱりプロの役者ではないからそこまで実はできないんだけれど、等身大の話を書いているときに完全にシンクロする時がある。

(宇多丸)あー。

(日比麻音子)そうかー。

(澤田記者)それを見て、審査員たちは等身大とか、高校生らしいとかそういうことを言っていたんだなと。

(日比麻音子)そういうことかー。

(宇多丸)そのフレーズ自体は「ケッ!」っていう感じがしますけれど、なるほどね。

(澤田記者)そのフィット感のことを言っていたんだなと思いました。
で、実は今年夏に非常にクオリティが高い、あるいみドライブした作品があったんです。それが今年最優秀賞(注:第64回全国高等学校演劇大会)をとったんですが、香川県立丸亀高校が演じた「フートボールの時間」という作品なんです。

(宇多丸)はい。

(澤田記者)フートボール、これテーマになっているのが女子サッカーなんです。
で、2012年にですね、香川県で袴姿の女子生徒がサッカーをしている絵葉書が実は見つかったんです。で、サッカーをしていたのが丸亀高等女子学校、実はこの丸亀高校の前身となった学校の生徒たちなんです。
 それまで、女子サッカーの発祥って戦後の1966年に神戸女学院中学がやったということで普及したということになっていたんですけど、そうじゃなくて(大正時代に)香川で丸亀高等女学院でやっていたんじゃないかという風に説がひっくり返ったんですね。

(日比麻音子)うわー。

(澤田記者)その後、女学生が書いた作文の中に「フートボール」っていう単語があって、本当にやられていたんじゃないか、サッカーとしてフートボールとしてやられてたんじゃないかと。

(宇多丸)フットボールをフートボールと読んでいたと。

(澤田記者)その史実を元に創作されたのがこの、「フートボールの時間」という作品でして。

(宇多丸)なるほど。しかも自分の高校のルーツにも繋がっているし!

(澤田記者)あらすじなんですけれど、舞台は大正時代の高等学校で当時女学校に通えるということは裕福な家庭の出身で、花嫁修業のモラトリアムの期間を過ごすような学校だったんですね。ある時、校長先生と一人の女の先生が「フートボール」というスポーツを学校に伝える。でも当時の空気として、女が大股を広げて球を蹴るなんてはしたないよね、という空気感があって、そう言う先生もいたり、あるいは社会の冷たい視線を浴びながらも、袴姿で「フートボール」を楽しんでいくんです。ところがある日、中心となっていた女の子がいなくなっちゃうんです。そして、学校を退学する。されに、その後ろ盾になってた先生たちも退職したり、あるいは「フートボール辞めろ」といいだす。何故か。
 その後、この女子サッカーというのは、戦後我々が知っている歴史の中では、ワールドカップでなでしこが(優勝したりと)ある種日本のお家芸のような競技になっていきます。だけど、大正時代に既に行われていたのにも関わらず、戦後まで断絶する。この歴史ってなんだというとこまで考えさせられる

(宇多丸)そこまで入り込んでいくんだ!

(澤田記者)そうなんですよ。で、その背景にあるのは女性をめぐる社会状況だったりという。それと同時に、今は女子サッカーができるようになって、ワールドカップに優勝するまでになった。でも、「なでしこリーグ」という名前がつく。「なでしこ」ということを今でも強調している今の社会ってなに?ということまで繋がっていくという話に。

(宇多丸)なるほど。これは誰が書いたんですか?

(澤田記者)これは顧問の豊嶋了子(とよしまのりこ)っていう先生なんですけど、この先生はこの高校のOGなんですよ。

(日比麻音子)おおー・・・

(澤田記者)大学で演劇をやって、高校の先生になって、個々の先生に就任して指導した生徒たちと全国一位になるという、リアル「幕が上がる」に。

 

 

 

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(宇多丸)本当に今俺、それ思った。鳥肌立っちゃった。

(澤田記者)それを体現するのがこの「フートボールの時間」。
で、演劇としては正直、演劇好きからするとちょっと拙いなと思うところがあるにはある。でも、大正時代の女学生の後輩たちが演じていると。

(日比麻音子)そうだー。そしてこれからの未来を担う高校生たちが演じていると。

(澤田記者)それを丸亀高校の生徒たちが演じるという意味ですよね。それを含めてこれは奇跡のような作品であると。

(日比麻音子)すげー!

(澤田記者)これは是非見ていただきたいなと。
これ、東京公演があったんですけれど(8月26日(日) 国立劇場 大劇場にて行われた全国高等学校演劇大会の優秀賞以上の4作品が上演)、緞帳がおりても拍手が鳴りやまなくて、もうずーっと拍手をしているという。

(宇多丸)話を聞いているだけで泣いちゃいそうです。

(日比麻音子)本当に。
(澤田記者)で、高校生たちと一緒に見ていて、「オーーー」っていう感じが伝わってきて。

(宇多丸)すごいですね。あと「フートボールの時間」という目の付け所と着地の見え据えているところもあって、いやらしいことを考えちゃいました。「これ映画化されるんだろうなー」と。

(日比麻音子)あはは!

(宇多丸)TBS金出したほうがいいんじゃないかな。

(日比麻音子)今、今、電話電話!

(澤田記者)先生は、初めはこれは歴史のものとして初めは普通にやろうとしていたらしいんですけれど、ただ今の世の中#metooの話とかが後から乗ってきた来たんですって。それで少し物語が変わったという話があって。

(宇多丸)へえー。

(澤田記者)最後のシーン、今日は言わないですけれど、ある一言を我々に投げかけるように中の子が言うんですよ。それはもうかなり胸に突き刺さる一言なのでぜひこれは見ていただきたいんですが。

(日比麻音子)見たい!

(澤田記者)実はこれテレビで見られるんです。

(宇多丸)先ほど、最優秀賞はテレビで見られるって言っていましたね!

(澤田記者)TBSラジオの人間なんですけれど今日はEテレの宣伝をします。

 

9月9日の日曜日の午後3時30分からNHKのEテレでこの「フートボールの時間」ノーカットで放送されます。その前に総文祭の様子をまとめたドキュメンタリーもやる(9月9日午前0時40分より)と。

 

 高校演劇に興味を持たれた方にも紹介したいことが二つあって、これから全国各地において、来年の総文祭に向けた予選が開催されることになりまして、それを見に行くということはできると思います。それから、演劇の動画配信をしている「観劇三昧」 というサイトがあって、そこが「手のひら高校演劇祭」という企画をやっているんですね。全国の高校演劇部が演じた動画をスマホやパソコンで見れるというサービスもやっているので、そういったもので楽しんでもらうということもできます。

(宇多丸)なかなか全国各地に行くということはできないですからね。

(澤田記者)それで、面白いと思えたら是非劇場に足を運んでください。各地の高校演劇のサイトを調べると、情報は出ていますので。おススメは県大会以上の大会になるとレベルが違いますので。ブロック大会になるとほぼ全国大会と同じレベルになるのでそれは是非見ていただきたいなと思います。





(書き起こし終わり)

笹木香利さんが2018年8月30日のアフター6ジャンクション(通所アトロク)の「【アーセナル】から海外サッカーに入門しよう!特集」(リンク先ページに音声あり)のオープニングでアブー・ディアビ選手について話していました。
 
(宇多丸)アフター6ジャンクション。ここからは特集コーナーです。
 
(笹木香利)はい、宇多丸さん。ここでクイズです。アーセナルを象徴する選手に元フランス代表のミッドフィルダー、アブー・ディアビ選手がいます。大きな体格と強いフィジカル。
 天才的なボールスキルをもち、出場すればピッチで圧倒的な存在感を放っていたこのディアビ選手。アーセナルに在籍していた9年間の間に一体何回怪我をしたでしょうか?
 
(宇多丸)え?9年間。怪我って言っても程度問題ですけど。
 
(笹木香利)まあ、程度はありますが離脱するような怪我。試合に出られないような怪我。
 
(宇多丸)えーー。でも、9年もいてそんなに怪我をして離脱ばっかりしていたら、そんなにいられないっていうのもあるから、そこまで。まあ、やって4回。
 
(笹木香利)4回。
 
(効果音)ブー!
 
(笹木香利)(笑)ちなみに宇垣さんは?
 
(宇垣美里)えー、結構多いんだろうな。でも、そんなこと言ってあまり怪我をすると使えませんからね、選手として。まあ、10回くらいですか?
 
(効果音)ブー!
 
(笹木香利)舐めたらいかんぜよ。
 
(宇多丸、宇垣美里)(笑)
 
(笹木香利)アブー・ディアビ選手、アーセナル在籍9年間のうち怪我で離脱した回数はなんと、42回です。
 
(宇多丸)え?42回も!でもさ、42回って言ったら怪我して復帰してまた怪我して出れませんみたいな。繰り返し。
 
(宇垣美里)怪我しかしていない。
 
(笹木香利)9年間在籍というと日数にして3339日在籍していたんですが、そのうちのおよそ1554日離脱しております。
 
(宇垣美里)半分じゃないですか!
 
(宇多丸)半分出ていない!そんなの許されるんですか?
 
(笹木香利)それでもロマンを感じるんです!
 
(宇多丸)ロマン?あの、そんだけねえ、離脱しているの星飛雄馬くらいですからね。あいつすぐ離脱するんだけどさ。
 
(宇垣美里)もう概念みたいな感じになってきましたね。
 
(宇多丸)とにかくボロボロになりながらも何度も見たいな感じなんですかね?
 
(笹木香利)もう出てきたときの輝きが、プレーが忘れられずに何度負傷してもまた見たい。まだいてほしいってファンは期待してしまうんです。
 
(宇多丸)ファンは怒らないんですか?「お前、いい加減怪我しないプレー考えろよ!」みたいな。
 
(笹木香利)いや、ディアビ選手にっていうよりかは若干、チームは何をやっているんだと。チームのメディカルは何をやっているんだという怒りはありましたけれども、ディアビ選手がいつかパーフェクトな状態で来てくれるんじゃないかというロマンを感じたまま、結局はいなくなってしまったんですが。
 
(宇多丸)いつかは怪我が完治した状態で出てくれるんじゃないかと。

(笹木香利)そう。
 
(宇多丸)ただこれは、かなりキテるなということは伝わりましたけれど。
 
(宇垣美里)大丈夫か?っという感じが。
 
(笹木香利)そういう選手がディアビ選手以外にもボコボコ産まれるというロマンを感じるアーセナル。今回40分近く特集させていただくということでお願いいたします。
 
(リンク先ページに音声あり)
 
この放送の書き起こしの続きは「猿のプレミアライフ」のエントリーで読むことができますので、そちらでお読みください。
 
 

レオック中佐さんが錦糸町フッドボール義勇軍のPodcastの第194回 『推薦図書その弐』で津村記久子 著「ディス・イズ・ザ・デイ」の魅力について話していました。

音源は下記リンクより19:25あたりから。
http://kfg.seesaa.net/article/461263268.html

(レオック中佐)では、次に。

(ライト曹長)あ、これはあれですね。この表紙の絵はJsportsの倉敷さんが大好きな内巻敦子さんの絵ですね。

(レオック中佐)そうです。foot!とかでおなじみのイラストレーターの方です。
 参謀長、先ほどおっしゃいましたよね。芥川賞、直木賞の作家さんがサッカーに寄せて本を書くのは難しいんじゃないかって。

(ライト曹長)えっ!

(レオック中佐)この著者の方。芥川賞作家です。

(オットナー参謀長、以下 参謀長)マジですか。

(一同)えーーー?

(ライト曹長)本当ですか?そういえば今ちょうど思い出しましたけど三茶のTSUTAYAでね、一人でユニフォームを着てボールもって十年前くらい又吉が歩いていましたよ。

(ロック総統)(笑)

(参謀長)又吉さんね。

(ライト曹長)あいつ悩むと一人で公園でサッカーをやったりしていたんですよ。

(参謀長)それで、津村さんという方の本ですね。

(レオック中佐)はい。著者は津村記久子さんという作家の方なんですけれど、タイトルが「ディス・イズ・ザ・デイ」。


(ライト曹長)「ディス・イズ・ザ・デイ」。

 

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(レオック中佐)日本語で言うと、「これは日です」。

(ロック総統)(笑)

(ライト曹長)もうちょっとあるんじゃない?こう、「なんて日だ!」とか言うやつなんでしょ?

(レオック中佐)そうそう、「今日がその日だ!」

(ロック総統)なるほど!意訳するとそういうことだな!

(ライト曹長)ちょっと受験勉強しすぎましたね(笑)。「今日がその日だ!」なんて書いたら受験勉強で言ったら△になっちゃいますもんね。

(レオック中佐)これ、小説です。

(参謀長)もうこれ、2ページ読んだだけでぐっと来ちゃいました僕は。

(ライト曹長)あ、そうですか!

(レオック中佐)一言で申し上げるなら、超エモい小説です!

(ライト曹長)エモい!

(ロック総統)エロい?

(レオック中佐)違います!

(ライト総長)エモーショナルな。

(レオック中佐)今若い方の間でエモいという言葉が頻繁に使われるんですけれど、個展で言うならば枕草子で「あはれ」。

(ライト曹長)あー、「あはれ」と一緒なんですね

(ロック総統)「もののあはれ」!なるほど!

(レオック中佐)そうです。

(ライト曹長)いとエモし、なんですね。

(レオック中佐)これはですね。朝日新聞で連載されていた小説なんです。

(参謀長)朝日新聞で連載していたんだ。

(レオック中佐)そこに加筆修正がされて、6月にこうして本として発売されたもので、サッカーの話です。

(白岳軍曹)二年くらい前に連載されてたんですよね。

(参謀長)これは大作ですよ総長!

(ライト曹長)え?パラっと見ただけでわかるの?なんで?速読術かなにか?

(参謀長)パッとみただけでわかりますもんこれ、これはなかなかのもんだと。

(ライト総長)あー、これ設定があるんだ!見開きの地図に全国の架空のクラブチームが!

(参謀長)これはなかなかの小説ですよ。読みたいな!

(ライト曹長)「ウミネーゼ栃木」はないんですか?(笑)

(ロック総統)「どげんとせんといかん宮崎」、はないんですか?(笑)

(レオック中佐)この方、もともと書いている小説はOLさん出てくる小説とか、どちらかというと、現代社会で仕事をしている人の悩みとか苦悩を描いている小説を書いていた人なんですけど。

(参謀長)芥川賞をとる方ですからね。

(レオック中佐)ところが今回、ご自身もいろいろなところでインタビューでお話されていますけれど、サッカーもお好きみたいで実際にJ2のクラブ等に取材を重ねて。
 これ、架空の舞台ですけれど、一応J2が舞台となっています。

(ライト曹長)お好きなんですね~。

(レオック中佐)で、先ほどの見開きのところに全国の地図があってクラブの名前が書いてありましたけれど、実在しないチームばかりなんですよ。

(参謀長)いきなり三鷹から始まるんだもん。

(レオック中佐)そうなんです。これが面白いのが、実在しないJ2が舞台とはなっていますが、そのチームの場所が三鷹だったり奈良だったり。

(参謀長)JFL感が満載ですね!

(レオック中佐)そうなんです。

(ライト曹長)通の心をついてくる感じだ!

(ロック総統)「松江04」って「松江シティ」じゃん!

(レオック中佐)実際にはJFLと地域リーグを舞台に選んでいて。

(参謀長)これでタイトルの意味も分かりますね。「ディス・イズ・ザ・デイ」。

(ロック総統)かっこいいな!「桜島ヴァルカン」って。「鹿児島ユナイテッド」を「桜島ヴァルカン」にしたんだ。

(ライト曹長)なんで、こんな芥川賞作家でサッカーファンに響くようなものを書いているにもかかわらず今まで僕らが知らなかったのかと。何なんですかね。

(参謀長)全然知らなかった。

(レオック中佐)違うんです。情報が本当に多すぎるんですよ!いろいろなものがあるじゃないですか。本も雑誌も、それ以外にも。

(参謀長)新聞で連載していたんだからだいぶ長い期間やっていたはずなのに。

(ライト曹長)僕ら界隈の人からしたら、この本ってクソエロいエロビデオじゃないですか!好み通りの!

(参謀長)「参謀長見てください!」みたいなね(笑)「普段参謀長が言っているようなことが!」みたいな。

(ライト曹長)これがおすすめリストにスマホで出てこないということが、まだグーグルも甘いね。

(参謀長)このおすすめポイントをお願い致します。

(レオック中佐)これは、言葉にするのも勿体ない!

(ロック総統)おおお!

(参謀長)批評家っぽいですね、今の。

(レオック中佐)先ほどの受験英語で言うならば、「beyond the description」。

(ライト曹長、参謀長)筆舌に尽くしがたい!

(ライト曹長)でも、できるだけ早くas soon as possible 言ってください。

(レオック中佐)著者の方がインタビューでお応えしているんですけれど、スポーツを見ることの魅力について語っていらっしゃって、「効率とかは度外視で、何かの当事者になって見るところから始める人たちの豊かさがスポーツを見ることにはあって、そこに楽しさがある」。

(ライト曹長)すごいな。五行でロック総統とかの素晴らしさをね、我々の語りつくてきたことをね。

(レオック中佐)そう、まさにロック総統がおっしゃっていることを、この方も言葉をかえておっしゃっていて。

(ライト曹長)この言葉に集約されている感じがすごいですよね。
総統先週なんて言っていましたっけ?「言語化できない」って、五年間やってるんですけれど。やっぱり芥川賞の作家さんはすごいですよね

(レオック中佐)「効率とかは度外視で、何かの当事者になって見るところから始める人たちの豊かさがスポーツを見ることにはあって、そこに楽しさがある」。

(ロック総統)こういうことを言いたいんだよ僕は(笑)

(ライト曹長)(笑)

(白岳軍曹)僕、この奈良編を新聞で読んだんですけれど、最初の何行かで想像させるんですよ。どういうサポーターでどういうチームを応援しているのかっていうのが、全然説明的ではないんですけれど、どんどんイマジネーションが膨らんでいくんです。

(ライト総長)阿久悠さんと一緒ですね。Bメロ行く前に全部描いちゃうから、心象風景から。バカな作詞家って青い空、白い海とか言っちゃうから(笑)

(白岳軍曹)そういうんじゃないんですよ。説明的ではなくて。多分、地域リーグとかを応援してる人じゃなくてもきっと下部リーグのサポーターってこうなんだろうな、凄く感じられる書き方をしている。

(ライト曹長)「ディス・イズ・ザ・デイ」。津村記久子さん。読みたい!

(レオック中佐)全国でそれぞれのチームを応援しているサポーター達の日常と、そこにスタジアムとか練習場とかのサッカーが一瞬だけ交差する時間、みたいなところを切り取って書いていらっしゃるんですけれど、これがサッカーを応援している人にとって、刺さる刺さる!

(ロック総統)なるほど!

(ライト曹長)ご自身もサッカーが好きで、当事者だから書けるってことなんでしょうね。

(レオック中佐)たまたまご自身がサッカーをお好きでテーマで選んでいるんですけれど、そうじゃなくても、サッカーを好きじゃなくても、わかる。日常の悩みとか葛藤とか、そういうものと向き合いながら興奮とか出会いとか意外性とか非日常性とかがスタジアムにはあって、そこから何かをどう感じるかというものが問いかけられているという。

(参謀長)ちゃんと読んでいないですけれど、チラ見しただけですけれど。まさに地域のカルチャーとフットボールのカルチャーを本当にうまく丁寧に表現していそうで。すぐ読みたいですね!これ。これはやられたっていうくらい読みたいですね。

(レオック中佐)これは日本全国のあらゆるサッカー好きにとって必読です!

 

 

 

 

今回の音源は下記リンクより19:25あたりから。
http://kfg.seesaa.net/article/461263268.html


 

推薦図書第1回のyoutube

吉田麻也さんが2018年8月9日のオールナイトニッポンの中で理想のサッカー解説者などについて話していました。
 
 
Q.答えずらい質問かもしれませんが、吉田選手的に言ってることについて、ちょっと納得いかないなと思っているサッカー解説者はいますか?
 
(吉田麻也)
 うわあ(笑)
 
Q.今回のワールドカップは外野からいろいろなことを言われて納得いかないこともあったかと思います。個人的に、名前が「セ」で始まり「後」で終わる方は、あまり好きではありません。吉田選手にとって、理想のサッカー解説者とはどんな人でしょうか?
 
(吉田麻也)
 やめてよ!ついさっきセルジオさんと、あっ、言っちゃった(笑)
 ついさっき、「セ」で始まり「後」で終わる人と、ばったり会って写真撮ったんだから。
 ほんとにねえ(笑)。答えづらすぎるだろ!
 
 えーと、理想の解説者というのはちゃんとサッカーを見ている人じゃないとダメだし、当時自分がプレーをしていた感覚と、現代フットボールをしっかりリンクさせて話ができる人じゃないとダメで、やっぱり当時の感覚と考え方だけで、いまも同じようにサッカーを見ている人はなかなか難しいなと個人的には思います。
 
 サッカーは日々進化をしていて、4年たって次のワールドカップになったらサッカーのトレンドは全然違うものなので、そういうのをしっかりと追えている人、サッカーをしっかり見ている人じゃないと正しい解説はできないと思うし、実際、現役の選手からすると、この人ちゃんと下調べをしているな、していないなというのはすぐにわかるんで。そういうのは目につくことは多いなと思います。
 
 批判については、僕はいいと思います。批判の声は僕らにも、もちろん届いていましたし、ネットを見ても普通にニュースを見ていても批判は流れていましたし、それはプロでやっていてこれだけ注目される舞台に立っている者の責任であって、当たり前のものなんです。
 
 ただ、ネットなどで匿名で何かを言ってくるのについては不快でしかないですね。SNSなんかで。サッカー選手なのでサッカーをしていなければならないというのはもちろんそうなんだけれど、例えば誰かとご飯を食べに行った、おなかすいた、その写真を撮ってアップした。それについて「お前遊んでいる場合かよ、練習しろよ」と。
 いやいやいや(笑)、朝練習するやん、昼ごはん食べるやん、昼寝するやん、ちゃんとrestもとって、そこからたまたま友達と会ってお茶して、写真上げたら「練習しろよ」って。
 おい、二部練習させるのかって。おかしいやろと。
 僕らは、そういうピッチ外で「こういうこともありましたよ」という点を見てもらえたらと思っているのに、そういうところをつつかれるのはちょっと悔しいなと思いますね。
 
 ただ、お金を払ってスタジアムにきて、期待していたプレーを選手たちができなかった。それに対する批判というのは僕らは受け入れますし、サポーターの皆さんは批判する立場にあると思います。その権利があると思うので、スタジアムに僕にどれだけ罵声を浴びせようが、僕はすべて受け入れるつもりでいますけど。
 
 お金も払ってない、試合も見ていない、なのにワンプレーだけ見てグチグチ言うっていうのは僕としては納得いかないなーっていうのはありますね。
 

(書き起こし終わり)  
       
 
 
笹木香利さんが2018年6月28日のアフター6ジャンクション(通所アトロク)の「ザ・コンサルタント」のコーナーでティエリ・アンリ愛とアトロク愛について話していました。
 
(宇内梨沙)ここからは、番組の意識向上のため各界の有識者を招いて有益なアドバイスをもらう「ザ・コンサルタント」のコーナーです。
 が、宇多丸さん。この曲を聴いてわかる通り、今日11時から日本VSポーランド。運命の瞬間ですよ!
 
(宇多丸) まあ、決勝トーナメントに進めるかどうかの、分け目ですもんね。それくらい私も知っていますよ!応援していますよ!
 
(宇内梨沙)そうですか失礼しました(笑)
 そこでこの番組とワールドカップのコラボレーションを実現するために、この方にアドバイスをいただきます。
 タレントで歌手、ライムスターファンでウィークエンドシャッフル(注:アフター6ジャンクションのメインパーソナリティである宇多丸の前番組、通称タマフル)の時からのリスナー。また、日本を代表するグーナーでもあるという笹木香利さんです!
 
(宇多丸)グーナー?
あ、お電話繋がっているんですね。笹木さん、どうもよろしくお願いします。
 
(笹木香利)笹木です。初めまして。よろしくお願いします!
いやー、本当にタマフル、ヘビーリスナーだったので。
 
(宇多丸)あ、そうなんですか!ありがとうございます!
 
(笹木香利)今この、アトロクの中に私の声が入っているということがもう考えられなくて。
 
(宇多丸)いやいやいや。
 
(笹木香利)もう、「ア↑コガレ」の場所に!「ア↑コガレ」の人と。
 
(宇多丸)文脈が(笑)いやいやいや、そうですか。ありがとうございます!
 
(宇内梨沙)笹木さんのご紹介をさせてい頂きますね。
 タレントで女優。2018年ミス日本酒 東京代表の笹木香利さん。愛称はカオリン。ということですね。
 
(宇多丸)ということで、笹木さんはウィークエンドシャッフルリスナーでいらっしゃって、それと同時にめちゃくちゃサッカーにお詳しいということなんですね?
 
(笹木香利)はい、好きなんですよ。あの、古川さんお久しぶりです!
 
(古川耕)どうもごぶさたてしております!
 
(宇多丸)え、お久しぶりって。なんでなんでなんで?
 
(笹木香利)古川さんと同じチームのアーセナルというチームがすごく好きで、ご一緒させていただいたことも。
 
(宇多丸)え?お仕事をしたっていうことですか?
 
(笹木香利)(笑)お仕事ではないんですけど。
 
(宇内梨沙)アーセナルファンの飲み会ですか?
 
(笹木香利)はいそうです(笑)
 
(宇内梨沙)えーーー!
 
(古川耕)先ほどから出ている「グーナー」というのは、アーセナルファンのこと。
 
(宇多丸)あっ!そうなんだ。
 
(笹木香利)通称グーナーっていうんです。
 
(古川耕)「GUNNER」って書くんですけれど。
 
(笹木香利)私この業界に入る前からタマフルリスナーだったんで。「OKB48」の握手会(注:お気に入りボールペン総選挙のボールペンの試し書き会のこと。プロデューサーが古川耕)も行っていますし。
 
(宇多丸)あらあらあら、そうですか。
 笹木さんがそこまでサッカー、特にアーセナルにハマるきっかけとなったことってなんなんですか?
 
(笹木香利)きっかけはTBSの「スーパーサッカー」で、あるサッカー選手の特集をやっていたことなんですね。
 
(宇多丸)ある選手?
 
(笹木香利)そこで、ティエリ・アンリという、当時アーセナルにいた選手なんですけれど。その選手の特集をやっていて、そのあまりの格好良くて。膝から下が格好良くて。
 
(宇多丸、宇内梨沙)膝から下!?
 
(宇内梨沙)顔ではなく?
(宇多丸)ピンポイント。
 
(笹木香利)もちろん、顔もスタイルもいいんですけれど、膝から下のフォームとそこから生み出されるシュートが素晴らしすぎて、感動してサッカーファンになりました。

 
(宇多丸)へえー。でもこれは、入り方としては1人格好いい人を見つけてというのは、全然いい方法ですからね。北沢理論っていうやつですね、これね。
 
(笹木香利)(笑)
 
(宇多丸)でですね、ワールドカップについて色々な番組で解説や
話をしてお忙しい中だとは思うんですけれど、特にこの私はサッカー弱者でございまして。
 
(笹木香利)とんでもございませんよ。
 
(宇多丸)なので、うなポン(宇内アナ)は番組でスポーツの解説などもしてますから詳しいし、私もその話もチョイチョイ聞くんですけれど、なかなか私は罰ゲームの一つでもしないと、乗っかれないという男でございまして。
 なので、私にプレゼンをする余地があるかなという。
 
(笹木香利)なるほど。まず、今日の日本VSポーランド戦に関しては全力で乗っかって大丈夫だと思います。
 もう、いいんですよ、ちょっと乗ると「便乗」とか「ニワカ」とかいう人がいますけど、乗りましょう!
 
(宇多丸)乗っていったほうがいいですかこれは。
(宇内梨沙)恥ずかしがらずに!
 
(笹木香利)今の日本代表は映画や漫画だったら話ができすぎていて、ご都合主義って言われるくらい話ができすぎているんですよ。
 
(宇多丸)それこそ、ダメだダメだって、あまり期待されない状態からどんどん来ていますからね。
 
(笹木香利)はい。だからここは乗っかっていって全力で応援していって大丈夫だと思います!ユニホームを着て渋谷に行って大丈夫だと思います(笑)
 
(宇内梨沙)(笑)いきます?
 
(宇多丸)どうなんですか、今日のポーランド戦の勝算というか。
 
(笹木香利)勝算ですか。確かにポーランドには世界的に有名なFWのレヴァンドフスキという選手がいて、かつ3戦目に強いんですよポーランドは。
 
(宇多丸)三戦目に強いんだ!
 
(笹木香利)負け、負け、ときて、その後の3戦目が強いんです。
 
(宇内梨沙)8年前も4年前もそういった勝ち方をしてますもんね。
 
(笹木香利)そういう統計があるんですよ。
 
(宇多丸)負けが続いても、落ち込むんじゃなくてナニクソと奮起しちゃうタイプなんだ。
 
(笹木香利)そうなんですよ。ですが、そこは運も味方につけている日本代表なんで。
 
(宇多丸)勢いがありますからね!
 
(笹木香利)あとこのグループを通過できたら、その先のトーナメントは可能性があるんじゃないかと言われていて、次に戦うのもイングランドかベルギーというチームなんですが、それに勝ってベスト8も夢じゃないと。
 
(宇多丸)私、ド素人ですが、ベルギーやイングランドってすんげー強いんじゃないの?
 
(笹木香利)すんげー強いです(笑)
 
(宇内梨沙)(笑)ベルギーって世界ランク3位とかですよね。
 
(笹木香利)そうです。しかもベルギーには私がサッカーにハマったきっかけである、ティエリ・アンリがコーチとしているんですよ。
 
(宇多丸)あ、そうなんだ!
 
(笹木香利)ですので、ベルギーにも注目してほしいという気持ちもありつつ、ベルギーVS日本の戦いが見れたらいいななんてことも思っています。
 
(宇多丸)なるほど、そうすれば僕たちもティエリ・アンリの膝の下に注目できるということですね。今、ティエリ・アンリの写真を見せてもらってますけれど。
 
(宇内梨沙)膝から下長い!
 
(笹木香利)長いんですよ~~
 
(宇内梨沙)長いんですよ~(笑)
 
(宇多丸)スキンヘッドですよティエリ・アンリ。
 
(笹木香利)そうなんですよ!そこ、宇多さんとの共通点だと思って!
 
(宇多丸)あと、僕、割と膝下ながいほうだとおもうんですけどねー。
 
(笹木香利)お!じゃあ、ヒップホップ界のアンリですか?
 
(宇多丸)いや、それは知りませんけど。
 
(宇内梨沙)宇多丸さん、ユニフォーム似合いますよ絶対!
 
(宇多丸)いける口ですか?中学サッカー部の時は本当にクッソ見たいな感じでしたけどね、いろいろな意味で。
 
(笹木香利)(笑)もう、中学サッカー部のころは更新していきましょう!
 
(宇多丸)その思い出は更新していかなければならなというね。よくご存じだと思いますけれど、笹木さんは。
 じゃあ、日本を応援するのはいいとして、ワールドカップ的に私宇多丸が興味を持ちやすい入口は何かありますか?
 
(笹木香利)まず、TBSさんで今度、フランスVSアルゼンチンが放送すると思いますが、フランスとアルゼンチンは世界で活躍している選手がいて、宇多さんでも知っているメッシとか。
 
(宇多丸)メッシわかります。
 
(笹木香利)フランスではグリーズマンとか本当に有名な選手が沢山いるので。
 彼らはボールのトラップとか足首の柔らかさとか。本当に足元が知的なので、世界レベルのサッカーをみて、サッカーにハマるきっかけにしてほしいなと思います!
 
(宇多丸)なるほど。足首がしなやかとかそういうことがあるんですね。
 
(笹木香利)サッカーをあまりご覧になってない方だと、渋谷でワーワーやっているのがサッカーファンの代表みたいになると思うんですが、それだけじゃないんで。
 
(宇多丸)はい。
 
(笹木香利)私結構テレビの前でスコアブックやサッカーノートをチマチマ書いて、一人で観戦するのが私のサッカーのスタイルなんで。孤高(kokou)なスタイルでもサッカーは楽しめるんです
 
(宇多丸)孤高。KOKOUでも行けると。
 でも確かにわかるんです。古川さんがまずハマった時点でこれは僕が好きになる要素もきっとあるんだろうなと。
 
(宇内梨沙)そうですよ。
 
(宇多丸)あと、最近西寺郷太君がここにきてサッカーにドハマりしていて、彼もまさにノートがもう異常なレベルに。
 
(宇内梨沙)ダジャレで覚えるとかやってましね。
 
(宇多丸)似顔絵を描かいたり、もちろんデータを書くとか、彼自身研究癖があるのでハマっていて、好きになれば面白いんだろうなっているのはあるんだろうなと思っているんですよ、笹木さん!

https://www.tbsradio.jp/266301

↑西寺郷太さんのノート

 

(笹木香利)まあ、まずはこの世界レベルの戦いを見ていただくおとで、ハマるきっかけが必ずあります!
 
(宇多丸)ちなみに今、古川さんが差し紙を出していて「そんなことよりポーランドのキーパーのあいつどう思います?」って。我々よくわからないんですけれど。
 
(笹木香利)(笑)ポーランドのゴールキーパーは、シュチェスニーっていうんですけれど、
 
(宇多丸)え? (宇内梨沙)シュチェスニー。
 
(笹木香利)元アーセナルの選手なんですが、アーセナルでのルールを破ったりとか
色々ありまして。
 
(宇内梨沙)例えば、一つ挙げるとすれば?
 
(笹木香利)喫煙をされたりとかですね。
 
(宇多丸)へー、アーセナル禁煙なんだ。
 
(笹木香利)で、アーセナルを出たんですけど、イタリアの名門クラブで活躍していて満を持してワールドカップに出たんですけど、今のところ良いところ見せられていないんで、アーセナルファンとしては出ていった選手なのでその成長を見たいという気持ちもありつつ、でもそのシュチェスニーから日本代表がゴールを奪ってほしいという気もありつつっていう。色々な目線でサッカーを見ています。
 
(宇多丸)でもそれ、面白いですよね。両チームにちゃんと思い入れがあって、見どころが見つけられるというのは豊かなことですよね。
 
(宇内梨沙)外国VS外国となると、好きな選手、思い入れがある選手がいないと興味がわかないじゃないですか。大事ですよね、思い入れをひとつずつ作っていくのは。
 
(宇多丸)ポーランドのシュチェスニーですね。見どころの一つは。
 
(宇内梨沙)あと、ベルギーの膝下が長い。
 
(笹木香利)アンリですね。コーチですけど。
 
(宇内梨沙)あ、そうか。
 
(笹木香利)ベルギーも足首が柔らかい選手が沢山いるんで。
 
(宇多丸)さっきから、足首や足の話が多いですね!
 
(笹木香利)(笑)
 
(宇多丸)でも、さすがウィークエンドシャッフルの古くからのリスナーということもあって、私の好奇心をくすぐるポイントがお分かりで。
 
(笹木香利)大丈夫ですか?
 
(宇多丸)とりあえず、今夜はシュチェスニーに注目ということで。いずれにしても今後は笹木さんをスタジオにお呼びしての「宇多丸よ!〇〇を知らないやつは、バカだ」シリーズとか。とにかく私は鞭を打たれると輝くタイプでして。
 
(笹木香利)色々な種類の鞭を用意していきます!(笑)
 
(宇多丸)是非ちょっと叩き込んでいただきたいと思います。ということで、今後ともよろしくお願い致します!笹木香利さん、ありがとうございました!
 
(笹木香利)ありがとうございました!

 
この記事の元音源はラジオクラウドのアプリをダウンロードすることで、聞くことができます。
アフター6ジャンクション ザ・コンサルタント:笹木 香利さん https://nhsw9.app.goo.gl/Q3Wf
(書き起こし終わり)

サッカー日本代表の吉田麻也さんが20188月9日のオールナイトニッポン(キラーパスクエスチョンのコーナー)の中でハリルホジッチ解任の件などについて話していました。

 

Q.私はハリルホジッチ監督の解任についてとても残念に思っています。あの解任で日本代表の勝利を素直に願えなくなってしまった時期もあり、サッカーファンとしてこのような思いになってしまうのかとショックを受けました。今回のワールドカップは選手の皆さん、スタッフの皆さんの個々の努力と覚悟の賜物だと思います。もしお答えいただけるようであれば、ハリルさんの日本サッカー界への功績と、解任についてのお気持ち、解任が与えた良かった点と反省すべき点をお答えできる範囲で伺えればと思います。

 

 

(吉田麻也)

 いきなりガチのやつくる?いきなりキラーパスくる。もー、イニエスタって呼ぼうか(笑)

 

 えーとですね、まあ、そうですね。これはサッカーというか、プロスポーツにおいて付き物だと思いますけど。まあ、成績が出ないが故に監督を代えるという。

 

 で、ですね、チームの状況が良くない中でやれることというのはいくつかあって、まずは当たり前ですけれど選手を代えていく。選手を代えるというのは一番手っ取り早いことかなと。それでもうまくいかない、じゃあフォーメーションを変える。システムを変える。戦い方を変える。それでもうまくいかない、にっちもさっちもいかない。時間がないぞ、これどうしようというときに、最後の大ナタというのが監督解任だと思うんですよね。

 

 今回日本代表もハリルホジッチ監督を解任しましたが、もちろん僕たち選手にも責任があります。ワールドカップ予選突破を決めた次に試合から全く勝てなくなり、チームの雰囲気ややり方への不安だったり、疑問点がどんどん膨らんでいって、なかなか好転できる可能性が低いなとサッカー協会が判断したから今回の解任に踏み切ったということなんですが。

 

 うーん、まあハリルさんは本当に正直な人で、正直であるがゆえに衝突することも多々ありましたけど、まあ間違いなく若手の選手の意識は変わったと思うし、球際の部分での強さを出していくということが求められてよくなってきた選手、そこから出てきた選手、まあ井手口選手であったり、柴崎岳選手もスペインにいって変わったと思うし、いろいろな選手の意識を変えてくれたんじゃないかと思います。

 

 ただね、まあ解任について反省すべき点というのは、その時期が本当に正しい時期だったのかという点はあるのかもしれません。残り2か月の時点では、普通では考えられないのではないかと。まあ、ただ良かった点というのは結果的にチームがまとまって、ワールドカップを戦った結果、ベスト16に行けたということがすべてではないでしょうか。

 

 もちろん、監督が代わっていなければ予選通過してなかったかもしれないだとか、監督が代わっていなかったらベスト8に行けていたかもしれないとかありますけれど、プロの世界は結果論なんで、結果を出したもの勝ちということで。うーん、そういった意味では最低限の結果を出した日本代表、そしてサッカー協会の勝ち。勝ちという言い方はよくないですけれど、そちらが正しかったということは最低限証明できたんじゃないかと僕は思っています。

 

 こんなんでどうでしょうか。滅茶苦茶緊張する、この質問。厳しいよ!いきなりこの質問(笑)

 

(書き起こし終わり)

 

https://youtu.be/h9m2AIYCG0M?t=9m6s

(↑元の音源)

吉田麻也さんが2018月9日のオールナイトニッポンの中で2018年ワールドカップ3戦目の戦い方の件などについて話していました。

 

Q.ポーランド戦でフェアプレイポイントで勝ったんですよね(注:ワールドカップグループステージ三戦目のポーランド戦は0-1で日本が敗戦したが、同組のセネガルとは勝ち点が同一となり、フェアプレイポイントの差で日本が予選突破)。でも残り時間で、ボールを回して時間をつぶすという作戦があったじゃないですか。あれ、試合の前から決めていたんですかね。長谷部選手が入ったときにわかったのか、それとも試合前から想定していたのかどっちなんですかね。正直この作戦どうなんだろう。あれはないんじゃないのか、と。吉田選手はどうおもいましたか?あの作戦はどうだったんだろうってことを教えてほしいです。

 

(吉田麻也)

   はい。ポーランド戦は非常に難しいなる可能性があるということは事前に分かっていたので1-0、0-0、0-1.色々な状況に対応できるように準備をしておこうという話はもちろんありましたし、ただ、元々最後攻めないとかそういう作戦というのは立てていなくて、ベンチからの指示待ちだったんですけど、まあ長谷部選手が入ってきたときに「ボールを回せ」という指示と「イエローカードをもらうな」という指示があって、僕もその状況ではこれで大丈夫かというのはわからなかったんですけど、電光掲示板にでたんですよ、大きく日本のファンが携帯を見ている映像が。で、そこに1-0って書いてあって、ああ、1-0(注:コロンビア1-0セネガル)なんだ。で、回せって言われたから回せばいいんだと。で回しました(笑)。

 

  まあ、個人的に言えば正直、あのモチベーションが低いポーランドには勝たなくてはいけないと思っていたので、回す回さないは関係なしにあのチームに負けたということの悔しさは非常に残りますけど、戦い方については全く問題ないと個人的には思っています。

 

 というのは、日本代表がこれからアジアを越えて世界を戦っていく、世界の強豪になっていくためにはやっぱり経験が必要になっていくんですよ。経験を積むためには予選通過は最低限しなければならないと。コンスタントにベスト16に行けるような力をつけてこそ次のところが見えてくるんで、まあきれいごとではなくまずベスト16に行ってその経験を積むということが未来の日本のサッカーにつながるので。

 

 もちろんあの試合だけを見れば、本当にそれがフェアプレーかとか、チケット代を払って見に来てくれた人に失礼だろうというのももちろんわかりますけれど、僕らの後ろにはいろいろなものを背負っているという自覚もありますし、責任があるので、仮に僕だけ急にドリブルし始めるとかそんなことは許されないんで。サッカーとはそういうところでもチームスポーツなんだよと伝えたいですし。

 

例えば「南アフリカ(注:2010年南アフリカワールドカップ、日本はベスト16)」、本田(圭介)選手や遠藤(保仁)選手がフリーキックを決めてグループステージを突破したというすごくいい思い出が日本の皆さんには残っていると思うんですけれど、じゃあ(グループステージ)二試合目はオランダとやったんですけれど何対何の結果だったのかということは誰も覚えていないんですよ。実際これは負けたんですよオランダに。でもこれは誰も覚えていないんですよ。でも、予選を突破して、あの全然強くなかったチームが予選を突破したという記憶、記録だけはみんなの心と体に刻まれているんですよ。だから、どこで戦ったかということは全然覚えていないけれど、どこまで行ったかということはみんなが覚えているんで。

 

 大事なのはどこに行くかなんですよ。

 

ていうプロっぽいことを言ってみました(笑)。プロなんで一応(笑)

 

(書き起こし終わり)

 

https://youtu.be/2Jszwe9IqFE?t=28m

(↑元の音源)

マツメイラス松田(松田勇希)さんがPodcastハトトカの中で高校時代にのイングランド4部でセミプロデビューをした件などについて話していました。今回の文章はその様子をインタビュー風にアレンジした文章として書き起こしたものとなります。


記事元

http://hatotoca.com/podcast/0013_england_mazda02/

 

【インタビュイーのご紹介】 マツメイラス松田(松田勇希)1982年生まれ

フリーランスサッカー実況解説者。サッカーエンタメ番組「シュウアケイレブン」MC FRESH!/JFL・地域リーグ」実況解説(FRESH!/「ハトトカ」MCpodcast/ 映画「ホペイロの憂鬱」サッカーアドバイザー(一部出演)/

Twitter @mazda16

 

―――では、ホストマザーのところから引っ越したんですね
 
(松田)引っ越しました。肉の食べられる生活が始まりました。するとコンディションが著しく良くなったんです。
 
―――フィジカルトレーニングたくさんしているのに、肉なしの野菜だけの食事では無理ですよね。適切な栄養を取ることが大切ですから。
 
(松田)タンパク質をとるようになってから、フィジカルが向上した結果、キック力もついてきたし、プレーに俊敏性も生まれて、闘える体になってきたんです。
 
―――なるほど。
 
(松田)チーム内で重要なのは、練習中にこそ本気を見せることなんです。試合ではやれて当たり前なので。試合に出るために練習中にどれだけ実力を見せつけて、サブメンバーからスタメンに上がるためには大切なんです。だから、特にセミプロ契約を勝ち取ってから、練習中からファイティングスピリッツを出すようになりました。
それまでの高校1年までは「俺なんてどうせ」とか思っていたのが、そういうのはなくなくなったんです。チーム内でいやがらせ的なことをしてくるライバルもいたのですが、全然へこたれなくなりました。そういうことがあっても「ふざけんな」とか思って対抗できるようなキャラクターになったんです。
 
―――よかったですね。
 
(松田)そういったテンションになれたのは、初めて彼女できたというのも理由の一つだと思います。男としての自信がついたというか(笑)
 
―――え、イングランドで彼女もできたんですか?
 
(松田)彼女できました。オペラハウスの恋」の話してもいいですか?
 
―――なんなんですかそれ(笑)
 
(松田)ロイヤル・タンブリッチ・ウェールズは、やはり「ロイヤル」だったので、昔は栄えていてオペラを上演する劇場があったんです。そこの中身を改装して「銀座ライオン」のような雰囲気の飲み屋があったんです。もちろん銀座ライオンよりもだいぶ大きいんですけど。そのオペラハウスで飲んでいた時に、依然通っていた語学学校に今現在通っているというアルゼンチン人のグループがたまたま居合わせてたんです。そのグループの人たちは男4人・女子2人の、2~3か月の短期留学のグループだったんですけど、年齢は僕と同世代だったんです。で、僕の所属しているチームにアルゼンチン人がいたので、ラテン語に気が付いて話しかけに行ったことをきっかけに、同世代ということで引き合わせてくれて交流を持つようになったんです。
 
―――そのうちの2人のどちらかと付き合ったんですか?
 
(松田)最初はその2人の中のインド系の顔をした「アドリー」という娘が僕のことを好きだって言ったらしいんですよ。チームメイトのアルゼンチン人が冗談で僕のサッカーの実力を大げさにアピールしてくれたおかげで。
 
―――あれ?なんでこんな話聞いているんだろ。
 
(松田)いや、この話もサッカーに関係ないこともないので話させてください。もう1人のアルゼンチン人の娘は「カロリーナ」っていうんですけど、その娘はオードリー・ヘップバーンに似ていました。
 
―――それは絶対可愛いですね。
 
(松田)僕はカロリーナを可愛いと思っていたんですけど、アドリーの方がぐいぐい来るんですよ。だから、僕はアドリーのアタックをかわしつつも、カロリーナと話さなければいけないという、難しい日々ことをしなければならなくて。
 
―――はあ。
 
(松田)一週間後くらいのある日、カロリーナがパブに呼び出してきたんです。実はあっちのパブって飲み屋というよりは、ファミリーレストランに近い雰囲気で子供とかも結構普通にいるんです。
 
―――田舎のパブにはフーリガンがいるイメージがあるけど、そういった感じではないのですか?
 
(松田)イングランドの田舎のパブは実はだいぶファミリーライクなとこで、庭のあるパブとかもありますよ。そこで、カロリーナと2人で話をしたんですけど、カロリーナ曰く「アドリーはあなたのことがすごく好きで、もう勉強が手につかないらしい」とかいう話になっていて。
 
―――映画の「耳をすませば」みたいな話ですね。
 
(松田)僕はその時は、セミプロ契約を勝ち取ってファイティングスピリットにあふれていたから、カロリーナがアドリーを応援していたとしても、自分としてはカロリーナを好きだということを素直に伝えなきゃと思って、「俺は君のことが好きなんだ、カロリーナ」って言ったんです。
 
―――すると?
 
(松田)カロリーナが「No!」って。
 
―――「№」って、ダメってことですか?
 
(松田)それは、いわば「Oh!my god」のニュアンスだったらしいんですよ。だけどその時は、「一瞬で振られた!と思って意気消沈しました。ただ後から聞いたんですけど、カロリーナも僕のことをそんなに嫌いじゃなかったらしいんです。でも、アドリーが先に好きっていっていたから、「どうしよう!」と思っていたらしくて、その時は何もいえずに2人でずっとオレンジジュースを飲んでいました。
 
―――青春って感じですねー(棒)
 
(松田)それから3日くらいしたあと、今度はアドリーがやってきて「私のことはいいから、カロリーナにもう一度気持ちを伝えて」って言ってきたんですよ。
 
―――アドリーはいい娘ですね。
 
(松田)いつも集まっていた男4人、アドリー、カロリーナ、そして松田というメンバーで「踊りにいこう!」ってクラブに行くことになり、その際に、カロリーナと僕で2人きりにしてくれたんです。そこで、改めて告白して、日本でいう「付き合う」ということになりました。
 
―――はあ、よかったですね。
 
(松田)このように、恋愛が成就したことが僕のサッカーに対する自信に好影響を与えることになるんです。そうして、ついに僕はスタメンを勝ち取ることになるんです。
 
―――トップチームで?すごいですね。
 
(松田)そうなんです。やはり、カロリーナが「試合を見に行くから」というから、「これはスタメンを勝ち取らないと」と思うわけです。
 
―――愛の力ですねー(棒)
 
(松田)それで、ついに2トップの1角として。スタメンとして試合に出ることになりました。もう一人の2トップはナイジェリア人のマイケルで、身長が高くてフィジカルも強いという選手で、基本的にマイケルにマークが集中することになるから、僕としてはなるべくマイケルの周りでボールをもって、マイケルをフリーにさせる役割を与えられたんです。つまり、影武者のような役割で、マイケルをいかに活かすかという役割でした。そして、2列目にはアルゼンチン人の選手がいて、そいつも物凄くうまい選手だったので、そのナイジェリア人とアルゼンチン人でガンガン点を取りに行こうという作戦で始まりました。前半は、気持ち空回り気味でした。カロリーナも見に来ていたので、いいところを見せないと、という気持ちもあって(笑)
 
―――でも、そういう時はあまり力が出せないですよね。
 
(松田)ただその試合、その当時は日本人が珍しかったのか、観衆はとても盛り上がっていました。
 
―――どのくらいのサポーターがいたんですか?
 
(松田)4部のチームでしたが、200人くらいはサポーターがいました。その盛り上がりは、どうやら僕に家を貸してくれた大家さんが観衆をけしかけていたみたいでした。だから僕にボールがくると「ワッ!」と観衆が盛り上がるんですよ。その大家さんのことだから、また下駄をはかされたふれこみが観衆の中に広まっていたみたいで(笑)。「この日本人何をするんだ?」という期待があったみたいで。でも、大した活躍ができないまま前半が終わって、「ああ、これは交代かな」と思ってました。
 
―――前半は、あまりうまくいった印象ではなかったんだ。
 
(松田)でも、それでハーフタイムでベンチに戻ったら、「YUKI!良かった。マイケルをフリーにすることができている。作戦通りだ。」と監督は言ってくれたんです。どうやら、観客が僕がボールを持った時に盛り上がってくれたおかげで、僕がなにやら重要な選手であると思ってくれたらしくて、マークを僕に集中することができていたらしいんです。
 
―――そもそも、そういう役割で送り出した監督としては作戦通りだったんですね。
 
(松田)そうなんです。そうして、後半に向かう円陣を組んだ時に「後半、YUKI、わかってるな?」とそのヘイズスっていうアルゼンチン人選手に言われて、「OK」と返したんですけど、それから後半の20分くらいは全然覚えていないんです。「やらなきゃ」という気持ちから、集中力が高まって、観客の声が聞こえなくなる、いわゆる「ゾーンに入る」状態になったんです。そんななか、偶然ではあるけれど、そのヘイズスから「こんなに低くて強いパス止められない」というくらい、非常に強いパスが来た際になるべく勢いを殺すために、左足の甲でトラップしたんですけど、勢いを殺し切れずに玉が浮いてしまって僕の頭上くらいに上がってしまったんです。その際に、実は後ろから相手ディフェンダーが猛スピードで寄せてきていて、そのトラップミスで偶然ボールが浮いたことが、絶妙に相手ディフェンダーをかわす形になり、そのことにより観客が「わっ!」と湧いたんです。
 
―――観客は、うまくかわしたと思ったんだ(笑)。闘牛みたいな形になったんですね。
 
(松田)ヘイズスが強いパスを出したのも、ディフェンダーが寄せていたという理由もあったんですよね。ただ、トラップミスではあるんですけど、ゾーンに入っていたから、自分の心理状態としても「これが当然だ。当然相手をかわせて、当然前を向けて、当然これからゴールを決めるんだ」というイメージをもてたんです。
 
―――それはわかります。本当に集中しているときって、思った通りのプレイできるんですよね。
 
(松田)そのプレイは右サイドで起きたんですけど、ディフェンダーをかわしたということは、その時点でゴール前ががら空きだったんです。
 
―――じゃあ、あとはゴールまで走るだけの状態ですね。
 
(松田)ただ、そこで前を向いて、ゴール前がガラ空きであることを認識した時点で、集中力が一瞬切れてしまったんです。そして、走り出すんですけど、すごく遅くて集中力が切れているから「何をしよう?」とか考えてしまったんです。
 
―――これはゴールを外すパターンかな?
 
(松田)ただ、ここで改めてゾーンに入り直すきっかけがあったんです。ヘイズスが「YUKI.No man!」と叫んだんです。
 
―――「No man」ですか。
 
(松田)つまり、「誰もいないよ」って言ってくれたんです。これが、正しい英語とは言えないかもしれないんですが。実はその瞬間も後ろから相手が追ってきていたんですけど、ヘイズスは僕が緊張していることを知ってか嘘をついたんです。通常なら、その状態では「Man on」っていうんです。「誰かお前についているぞ」と。だけど、ヘイズスは「No man」と言って、その意味が「心配するな」とかそういう意味に聞こえて、その時にものすごく安心できたんです。それがきっかけで、集中力が高まって、スピードも上がって、キーパーと1対1になってもキーパーが何をしようとしているか、完全に「見える」状態になったんです。
 
―――本当にゾーンに入った状態だったんだ。そういう時は、相手が何をしようとしているかわかるっていうよね。
 
(松田)そうなんです。その時は本当にわかったんです。僕から見てゴールの左側に大きなスペースがあって、僕は左利きなので、左足の内側、インフロントでこすりあげるように蹴ったら、キーパーには取れないけど曲がってゴールに向かうというテクニカルなシュートを「パンッ」って打ったんです。そうしたら、芝生の上をボールが綺麗に転がって、「ファサッ」ってゴールに入ったんです。
 
―――おお!
 
(松田)「うおお!」とかいう感じではなく、「あ、なんか入った」という気持ちだったんですけど、その瞬間後ろから大勢の味方がなだれ込んできて、折り重なってきました。味方だけど、16歳の僕からしてみたら巨人たちですから、なるべく潰されないように身を縮めてました(笑)。それが僕の初ゴールだったんです。
 
―――16歳の日本人がイングランドで、4部とはいえトップチームでゴールを決めたんですね。
 
(松田)今でもそのキックの瞬間の感覚や、芝生の色。いつでも思い出せます。そして、ヘイズスが「YUKI.Yes man!」って言ってきたんです!
 
―――「No man」の逆だ。ヘイズスはニクイですね。むしろ、策士ですよね。日本はサッカーのレベルが未だ低いということが話題になるけど、世界との違いはここでいう「No man」の一言がいえるかどうかの違いかもしれませんね。今の話の「No man」というか「Man on」というか、というちょっとした差が、大舞台で明暗を分けているのかもしれません。
 
(松田)日本ではよく「フリー!」というんですが、おそらくその場面で「フリー」といわれても、僕がゾーンに戻ることはなかったかもしれません。「No man」の「No」が強い言葉だったんで、僕の頭の中にスッと入ってきたんです。
 
―――「フリー」だと、気合は入らないかもしれませんね。この「ゾーンに入る」という感覚は重要ですよね。なぜみんながスポーツをやるかというと、この「ゾーンに入る」というものすごく集中して、自分の体がいつもよりうまく操縦できる感覚、チームが一つになっている感覚を味わうためですもんね。ただ、「ゾーン」から抜けて、新たに入り直すというのはあまり聞いたことがないです。
(松田)僕もあの時が最初で最後だと思います。それで、試合はそのまま1-0で終わるんです。僕の得点だけで勝ったんです。こんなに気持ちいいことないですよ!
 
―――決勝点だったんですね。
 
(松田)今でも芝生の匂いを嗅ぐと、僕にとってとてもいいイメージを思い出すんです。何せ、そのゴールの瞬間、背中からチームメイトの皆が覆いかぶさってきたときの感覚を思い出して、その際の皆の笑顔を思い出せるので。
そして、客席に行くと「Come on,lads!(ガキ!こっちこい!)」って、大家のマシュー爺さんが言ってくれて、飛びついて抱擁して、カロリーナにも「やったぜ!」って。
 
―――それはすごい体験ですね!
 
(松田)ただ、この時が僕のサッカー人生のなかのピークになってしまったんです。今までとは全く違う環境でやれたからこそ知らない自分に出会えたこと、しかも、過去の不登校時代の自分を知る人がいなかったから誰にも気負いすることなくサッカーができたのが良かったんです。セミプロ契約を勝ち取ったというのも登り調子の要因でした。ただ結果としてその気持ちを日本に持って帰ることはできなかったんです。初ゴールの後も、何度かゴールを決められて、ある程度の活躍ができたんですけど、日本に帰ってきてからは、また昔の自分に戻ってしまったんです。
その際にチームメイトから「お前はこうだから、こうした方が良い」とか言われたことというのは、サッカーを見る際にに活かされているんですけどね。
 
―――そうか。たしか、イングランドは1年の留学だったんですよね。
 
(松田)帰らなくてはいけない日が近づいてきて、チームにそのことを告げたら「困る!」と言われたんですけど、母親との約束もあったし、またチームとの契約も正式に書面で交わしたものではなく、GMと口約束をしただけで、給与もポケットマネーだったので、契約に縛られていないから帰れるといえば帰れるということになって、帰ると決めたんです。「お前ならもう少し続けていれば、いい線行くかもしれないのにな」と言われたときは帰るのを躊躇したんですが、やはりそこは母親との約束だったので。
 
―――結構重要な決断ですよね。
 
(松田)そこで帰ることに決めたんですが、帰った方が良かったのか、残れば良かったのは今でもわからないです。ただ、帰る直前にチームがイングランド代表の長袖のユニフォームをプレゼントしてくれました。あれは嬉しかった。
 
―――まだとっておいてあるんですね。
 
(松田)あります。イングランド代表のユニフォームって白いから着れないんですよ(笑)。少しのことで汚れが目立ってしまうので。あの白さがカッコいいんですよ。
 
―――でも、やっぱりあそこで残っていればとか考えてしまいますよね。
 
(松田)でも、そこで割り切れはしました。あそこまでできたのはラッキーすぎたんです。あともう一年同じようにやって、同じ調子で続けて入れたかというと、自分の実力としては初めの一年のようにはいかないということは感じていました。いろいろな偶然が重なって、その上でみんなの支えがあったその最高の結果があの一年だったと思うので。ただ、帰りの飛行機の中では眠れなかったですね。いろいろなことを考えてしまって。その時に思ったのは「地球ができた」みたいな話なのかなって。
 
―――ん?
 
(松田)偶然太陽から適切な距離が離れていて、その中から水ができて、大気ができて、生物が生まれという、まさに「奇跡」。
 
―――なるほど。
 
(松田)それをもう一年やれるかというと、それはできないかなと思ったんです。ただ、腑に落ちたと同時に、飛行機の中でどんどん今までの自分に戻ってしまったんです。日本に帰ってから「英語を話せる」ということも、自信になるというよりは、なぜか恥ずかしいと思ってしまったんです。留学から帰ると、僕は1年休学しているから、留年しているわけで、その理由を聞かれた際に「イギリスに留学をしていた」といえばクラスの人気者になれたかもしれないのに「目立ちたくない」と思ってしまって。元が引っ込み事案だったもので。
 
―――不思議だね。今の話は映画になるくらいの話だったのに。
 
(松田)それからは、どれだけ平凡に暮らすかとか考えてました。とはいえ、また海外に行きたいという気持ちはあって、高校卒業後にすぐに海外に行きたいと思いました。もう一度、あの奇跡は起きないかもしれないけど、僕は海外の方が活きると思う、と母親に行ったんです。
 
―――そもそも、お母さんは初めの留学後にその留学での体験を話してどんな反応だったんですか?
 
(松田)「よかったね。なら高校は卒業してね」という反応でした。
―――ああ、まあ親としての普通の心情かもしれませんね。
 
(松田)そもそもの親の目的としては、高校を卒業させるために英気を養わせたという感じだったので、留学先での成功とかは関係なく、学歴のためだったということなんです。成功するかどうかという博打の話はあまり興味がないというか。だから、結局は高校を卒業した後も親の勧めで日本の大学に行くことになりました。最初は夜間の大学に行くことにしたんです。昼にバイトをしてお金を貯めて、夜に英語の勉強をして、早く海外に行こうという目論見で。「2年で海外に行ってやる」という気持ちで初めはいました。関西外国語大学に入ったんですけど、一般教養とかはあまりない、語学学校のようなところだったんです。そんななか、夜間の非常勤講師の方々が、普段は立命館大学とかで教えているような講師で、一般教養の講義があって聞いてみたら、やはり教養のある人の話はなかなか衝撃的な内容だったんです。夜間に来るような講師は言葉も少し乱暴で、でも教養がにじみ出ていて、そんな言葉で「お前らなんてまだまだ甘ちゃんだ!」とか言われると、説得されてしまい「ああ、俺まだ甘かったんだ。」と思い、教養を付けることも必要であると思い、4年生の過程に入り直しました。そんななか、大学でもサッカー部に入ったりしたんですけど、そこでもずっと2軍でした。
 
―――そうなんだ。2軍になった理由はわかっているんですか?
(松田)言われたことを懸命にこなそうとしたんです。
 
―――それではだめだったんですか?
 
(松田)言われたことを懸命にこなした結果としてイングランドでは結果が出たんです。初ゴールもそれで結果が出たし、その成功体験があったからとにかくコーチに忠実にプレイをしていました。とはいえ、それはイングランドではテクニック的に異色の存在だったから、その中で色を出すことができていたんです。日本だと僕のテクニックは皆とそれほど変わらないから、言われたことだけやっていたら突出した存在にはなれなかったんです。
 
―――結局普通の選手になってしまったんだ。
 
(松田)そうなんです。おまけに引っこみ思案だし。イングランドでは足物の技術はあるほうだったけど、日本のなかでは特にそうではなかったんで。
 
―――確かに、日本は足元の技術は世界でも高い方ですもんねね。それこそリフティングの世界チャンピオンは日本人だし。
(松田)ロングボールだけは海外で特に練習していたから、僕はロングボールだけが極端に上手くて、かつ戦術理解度は高かったのに試合にでたらあまり使えないという選手になっていんです。つまり、使うにはとても難しい選手になってしまったんです。
 
―――うーむ。
 
(松田)しかも、大学は監督がいなかったんです。僕は、ある程度教えてくれる人がいて、ある程度鵜呑みにして、それをものにして、それをアレンジしていくという、ステップを踏んでいくタイプなので、大学のチームは「いきなり応用しろ」というチームだったからうまくいかなかったんです。
 
―――自分を追い込んで、ゾーンに入るタイプですもんね。
(松田)だから、サッカープレイヤーとしては大学でも大成しませんでした。ただ、16歳の時に留学した経験は、社会人になってようやく底力として生きてくることになるんです。高校、大学の時は集団の中で埋もれようとしてしまったんですけど、社会人になり、そこでいい環境、いい上司に巡り合ったことで埋もれようとするのではなく、イングランド時代の僕みたいに、周りを気にすることなく、自分の能力をいかに発揮するかということに注力することが大事ということに気が付いたんです。
 
―――社会人になった先の職場の環境がイングランドに似ていたのかもしれないね。かならずしもすべての会社が個を伸ばしてくれるとは限らないから。

 ただ、聞かされたからには結論を聞きたいんだけど、カロリーナとはどうなったんですか?別れの時のエピソードがあるはずと思うのですが。
 
(松田)「ヒースローの涙」の話ですか?カロリーナは3か月の留学だったので僕より前に帰ることになって、ヒースロー空港に送りに行きました。一緒に来たグループのみんなで帰ることになっていたんですけど、アドリーは気を利かせてくれて「先に行くね」と言って、僕たちを二人にしてくれたんです。
 
―――アドリーいい子だね(2回目)。
 
(松田)その時は、僕もカロリーナも何も言えなくて黙っていたんですけど、僕から「やっぱり距離は埋められないと思う、遠距離は難しいし、君がアルゼンチンに帰ってもし誰か他の人と恋をしたのならそれはハッピーなことなんだと思う。僕はそれを受け入れるべきだと思うし、お互いそういう気持ちで日々を過ごしていった方が良いんだと思う。」と伝えたら、カロリーナは泣いて泣きやまなくて、そこで僕は初めて女性の肩を抱き寄せるという。
 
―――はあ。それに対してカロリーナはなんて言ったの?
 
(松田)「私はそれでもメールを送ります。」と言って帰っていきました。だから、それからもずっとメールのやり取りは続いていたんですけど、僕が留学から帰る少し前くらいに「好きだって言ってくれる人がいる」というメールがきて、「それはいいことだね、だとしたらこういうやり取りはしないほうがいいと思う。返信はいらないから。」というメールをしました。
 
―――なんだかいい話すぎますね。普段から接している松田さんのイメージと少し違うと感じるんですが、英語になったら人格かわるとかあるんですか?
 
(松田)それは英語が抒情的な言い回しになる部分が多いからなんじゃないかと思います。日本語の方がしどろもどろに対応しても通じてしまう部分があったけど、英語だとそうはいかなくて。その時はお互いが英語が母国語ではなかったから、よけい正確に伝える形になったのが理由だと思います。そこで僕たちの恋は終わりました。というか、こんなラブストーリーでいいんですか。
 
―――いやいや、そちらが話したからには最後まで聞きたかったので。ここまでで振り返ってみると、やはり「イングランド」っていう場所が良かったのかもしれませんね。どこでも「サッカー」に繋がることができる場所という意味において。文化的にイングランドほどサッカーに熱い国でないと、そもそも日本人が「サッカーをやりたい」と言っても、ここまですぐにサッカーに繋がることはできなかったと思います。
 
(松田)だから、僕は今よりサッカーに関係する仕事をすることができていたら、ロイヤル・タンブリッジ・ウェールズの人たちに会いに行って「みなさんのおかげで今僕はサッカー解説者になれました」と言いに行きたいんです。
 
―――サッカークラブのいいところは地域の人々の人生であるということだよね。日本のように高校までで終わってしまうと「先生の人生」ということになってしまい、「プレイヤーの人生」ではなくなってしまう。イングランドでは、日本から来た高校生がサッカーをやりたい、と言って見込みがあると思ったら、大赤字のお金でアパートを貸すということもできてしまう。そこまでして、自分のクラブに入れ込んでしまう。やはり、まだ日本ではまだまだ、こうはいかないかなと思うね。
 
(松田)たしかにそうですね。日本の高校サッカーでは「最後のロッカールーム」という番組をやりますけど、高校サッカーの終わりを「最後」と捉えてはほしくないです。
 
―――もちろん、その中に松田さんの魅力というものがあるのだと思うけど。2014年のブラジルワールドカップの時でも各地でいろいろな交流をしていましたよね。フェイスブックに上がっている文章も秀逸だと思うんですが、いろいろなものを「引き寄せ」していると感じるね。どこか、心をざわつかせる魅力があるんですよね。
 
(松田)いま社会人になってみて、イングランドでのサッカーの経験が自分を形作っているものであるということに気が付いて、どうしてもサッカーの仕事がしたい、サッカーを通じて、地域の人々の営みを伝えたり、文化的な交流をすることのお手伝いをしたり、という仕事がしたいと思うようになりました。サッカーアソシエイターとでもいうんでしょうか。とはいえ一番やりたいのはやっぱりサッカー解説者なんです。
 
―――僕も松田さんのサッカーの話や試合を見ながら解説を聞くことがあるけど、視点が面白いんですよね。サッカー解説者には、日本代表とかのきらびやかな経歴を持つ人が多いですよね。ただ、松田さんは結局プロになれなかったけど、それでも面白いと思うから。特に、プレイヤー目線で話す話は面白いと思います。
(松田)一応プレイヤーではあったんで、その頃の自分と重ね合わせて話しているというのはあります。
 
―――挫折をしているのがいいかもしれませんね。解説者の多くは挫折を経験することなく日本代表にいた人も多いから、そのような人とは違った視点で語るというのがいいかもしれません。
(松田)こんな僕ですが、これから、本気でサッカー解説者を目指して頑張ります。応援のほどよろしくお願いいたします。

(前の記事の続きです。)

―――その後新しいチームではどうだったんですか?

 

(松田) 新しいチームでもしばらく練習参加をして、試合にもでられるようになりました。当時、試合会場は遠かったからGMに車で送り迎えをしてもらっていたんですけど、試合に2回目にでた帰り道に、GMが「Yukiが頑張りたいんだったらトップチームっていう可能性もなくはないんだよな。」って独り言でボソッとつぶやいたんです。もちろん英語で。

 

―――またもや急展開ですね。また、その独り言のような英語がわかるレベルの語学力がついていたのもすごいですね。

 

(松田)そうなんです。そこで「勇希は日本でどんな感じのプレイヤーだったんだい?今まで聞いていなかったけれど」と聞かれたので。日本国内のユースチームでプレイしていたということを伝えるためにI played in the national youth team

と言ったんです。そうしたら、GMのテンションが突然上がったんです。「もう、トップチームしかないでしょ。」というような雰囲気になりました。

 

―――理由はなんだったんですか?

 

(松田)その時点ではよくわかっていなかったんですが、どうやら翌月曜日に「トップチームの練習場に来い」という連絡が語学学校の方にも入っていて、先生にこのことを伝えたら、「キミ今「thenational  youth teamって言った?」って聞かれて、「そうです」と応えたら「日本代表?」と。

 

―――(笑)故意ではないけど経歴詐称をしてしまったんですね。

 

(松田)「A national youth team」だと「国内のユースチーム」になるんです。でも「the national youth team」だと「たった一つの」っていう意味になり、つまり国の代表選手という意味になるんです。

 

―――theaの違いでそんなに意味がかわるんですね。

 

(松田)そうして、勘違いをされながらもいきなりトップチームに入れたわけではなく、セレクションを受けました。トップチームの練習参加という形でのセレクションだったんですけど、やはり練習も今までと違ってハードで、GMも「代表のわりには、こんなもんなのか?」と感じていたのがわかりました。セレクションの日は、フィジカルトレーニングの日だったんですが、400メートルトラックを走るトレーニングだったんですけれど、2列で走っていて、笛が吹かれたら一番前の2人がバッと横に出て腕立て伏せを20回して列の後ろに回ってまた走る、そしてまた笛が吹かれたら一番前のやつが同じことをするというトレーニングでした。そして、一巡したら今度は腹筋20回という、背筋20回という。それは、常に元の列に戻っていないとダメなんです。順番が変わってしまったら、その時点で脱落。脱落者はもはや練習に参加しなくてもいいというルールでした。僕は脱落してしまって、脇で筋トレをしていました。

 

―――そうですか。セレクションの結果はどうだったんですか?

 

(松田)先ほどのトレーニングは脱落してしまったんですけど、当然ここまで来たらトップチームに入るつもりなので、その後の持久走を必死でやりました。そもそも、僕は当時からスタミナだけが長所だったので、その点を必死にアピールしたら「まあ、次の日も参加させていいか」という話になったんです。

 

―――なるほど。そういえば、日本代表ではないことは伝えていたんですか?

 

(松田)いや(笑)それは最後までGMには伝えませんでした。だから、フィジカルはなくても、何か別の能力があるのかなと思われたみたいです。で、初日はフィジカルトレーニングの日だったんですけど、翌日はボールを使った練習でした。ただ、イングランドはロングボール主体のサッカーなので、40mくらいのところからシュートを打てと言われ、蹴るんですけど全く届かないという。

 

―――40m?ハーフウェイラインすぐ近くじゃないですか。

 

(松田)そうなんです。ただ、他のみんなは届くんですよ。僕は仕方がないので、ドリブルしてシュートをしてコーチに怒られるということを繰り返していました。

 

―――指示通りやらなかったら怒られますよね。じゃあ、その日もうまくいかなかったんですか?

 

(松田)いや。その後にクロスボールの練習があったんですけど、僕は日本でその練習はたくさんしていたので、そちらの方は大丈夫でした。ピッチの横幅は日本と変わらないんで。イングランドはセンタリングからの美しいゴールに一番燃えるという文化なんです。僕はきれいなクロスボールがあげることができて、しかもそれなりにボールを持つこともできる。「こいつはアリだな」という感じになったんです。GMが言うには「お前にはキック力はないけど、細かいところでプレイしながら遠くを見る能力がある。センタリングを上げる能力もありながら、細かいところもできるから、俺はそこを買うよ」ということになって、無事にセレクションは突破しました。

 

(松田)そのトップチームには、ジャンプをすると頭がクロスバーに届くナイジェリア人がいたんです(笑)。マイケルっていって、背180センチと少しくらいしかなかったのに。

 

―――ということは、プロ契約を勝ち取ったということですか。

 

(松田)セミプロです。チームメイトにマイケルというとてもジャンプ力があるナイジェリア人選手がいたのですが、マイケルはホテルでサーバーをしながら平日5~7時は練習に来て、土日は試合に来るというようなことをしていました。試合に出たら得点給、試合給、能力給をもらえるという契約でした。試合に出なかったら何もないけど、試合に出たら割とちゃんともらえるという契約でした。

 

―――実際問題、給料額はいくらくらいだったんですか?

 

(松田)具体的な数字はいえないんですがある程度試合に出るようになったら、生活が普通にできました。

 

―――16歳にしてセミプロはすごいですね。

 

(松田)セミプロ契約を勝ち取ってから考えたのは、今のホストマザーの家での、肉が食べることができない環境はサッカーをやり続ける俺にとっていいのか」ということです。どうしても野菜中心だとフィジカルが追い付かなくて、「この家を出たい」と考えるようになりました。ただ、イングランドで生活するのに一番値が張るのって家賃なので、住む家が見つかりませんでした。

 

―――家賃は高いんですね。

 

(松田)本当に高いんです。練習場は街の中心地に近い場所にあったのですが、住める場所だと練習場から遠くなってしまうんです。その頃は、試合では後半の最後くらいには出させてもらえるようになっていました。

 

―――そのころ試合では通用していたんですか?

 

(松田)その頃は、試合に出たけれど時間が短すぎて、監督も判断できないという感じでした。僕も試合時間が短くて感覚はつかめないし、点も取れない。監督側からしても可もなく不可もなくというような評価だったと思います。僕の使い方にも監督としても困っているような状態で、ボールを持ってはくれるけど、なにか一歩が足りないなという。

 

―――なるほど。

 

(松田)僕としては、生活の環境が良いとは思えなかったから、もう少し力を発揮するためにも、環境を変えたいと思っていました。ホームステイ先で肉が食べられないことをクラブハウスで愚痴ったら、「このチームの関係者に大家さんがいるから紹介してやる」という話になったんですよ。ある日、ショッピングモールのカフェで、どの大家さんに会ったところ、「お前のことは試合で見ていた。お前には可能性を感じる。」って言ってくれたんです。大家さんは「ここの近くにぼろぼろの俺のアパートがある。テレビ、ベッド、電気はあるし家具も全部あるからそこに住んでいい。」と。

 

―――まさにクラブの「サポーター」ですね。

 

(松田)今の全財産はいくらかと聞かれたんですが、その時にはホストマザーのところをやめると返金ができるというシステムがあることをわかっていたから、返金するとこれくらいだって伝えたら、「月に10ポンドで住んでいい」って言われたんです。月2000円ですよ。

 

―――2000円?すごいですね!

 

(松田)ガスもなにもかもコミコミで。「その代り活躍しろ!」と。あの時がイングランドにいって一番震えた瞬間でした。「ゾゾゾっ!」てなりました。

 

―――生活ができるし、しかもサッカーで認められた瞬間ですもんね。

 

(松田)そうなんですよ!いろいろなことがあいまって。

 

―――すごいサクセスストーリーですね。最初だけですね、英語ができなくて困ったという状況なのが。英語力も飛躍的に伸びているし、サッカーができなくても、人との出会いのなかで、なんとか解決することができていますよね。

 

(松田)そうですね。本当に「何かをしなければいけない」っていう、追い込まれた状況で自分が発揮する能力値はイギリスで量れたっていうのはあります。「これぐらいならできる」っていう自信になりましたし、それは今でも役立っています。なお、僕が「家を出る」ということを伝えたら、結構揉めて出ていくまでに1週間くらいかかりました。ホストマザーとしては、僕が解約して返金するとなると家計的に大打撃になってしまうので。その人は、募集についての要望が非常に多い人だったから新しく留学生を募集をするにしてもなかなか人が来ないんです。だから、出て行かれると困ると思ったみたいです。

 

―――でも結果的に出たんですよね?

 

(松田)でれました。しかも、僕としてはこうなったら、「言いたいことは全部言ってやろう」と思って「あなたは男がどうだこうだ言っているけど、俺はあなたが思っているような悪い人間じゃないし、はじめと違ってこれだけあなたに丁寧に話すことができるようにもなっている。ここを出ていくのもあなたの対応が良くないからだし、家も自分で探してきたんだ。それでもまだ不満か。」と。

 

―――それを英語で言ったんですか!?初日に「thank you」しか言っていなかったのに。

 

(松田)それが二か月目くらいでした。そうしたら、結構ショックを受けたのか「わかった」って、急にしおらしくなって、そこからはそのホストマザーが代理店に電話をかけてくれて、「Yukiが早く出たがっているから、早く手続をしてくれ」って言ってくらたんです。

 

―――おお。よかったですね。

 

(松田)しかも、そのホストマザーはその後男性と付き合います。

 

―――は

 

(松田)もう60歳を超えているのにが新しい恋に目覚めたんです。「Yukiのおかげで男性をもうちょっとちゃんと見てみようと思った」と。パーティーに行ってみたら、すごく気の合う男性にあった人にあったとのことです。男性に対する考えを少し改めてみたら、イングランドなんでジェントルマンに出会えたようなんです。

 

―――本当ですか?話、盛ってるんじゃないですか?

 

(松田)本当です。そのことは、メールで伝えて来たんですけど、そのメールの最後に「Thank you(これはあなたが私に最初に言った言葉ね)」って書いてありました。

 

―――やっぱり、盛ってるんじゃないですか?いい話すぎますよ。

 

(松田)ですよね。こうして、1人暮らしが始まりました。

 

 

 

 

マツメイラス松田(松田勇希)さんがPodcastハトトカの中で高校時代にのイングランド4部でセミプロデビューをした件などについて話していました。今回の文章はその様子をインタビュー風にアレンジした文章として書き起こしたものとなります。
 

元のページ

http://hatotoca.com/podcast/0012_england_mazda01/

 

【インタビュイーのご紹介】

マツメイラス松田(松田勇希) 1982年生まれ

フリーランスサッカー実況解説者。サッカーエンタメ番組「シュウアケイレブン」MC FRESH!/JFL・地域リーグ」実況解説(FRESH!/

Twitter @mazda16 

 

(松田)イングランドへは大韓航空で行ったんですけども韓国に2~3時間ぐらいで到着して、トランジットしてロンドンに向かいました。ただ、そこで寝てしまって起きたらもう、ロンドンのヒースロー空港でした。僕としては、ドラマチックな飛行機の旅で、不安と期待にかられながら到着するということを期待していたんですけど(笑)。

 

―――確かにそれは残念かもしれないですね。

 

(松田)気が付いたら回りが英語しかなくて焦りました。しかも、当時の僕の英語能力はとても低くて、高校一年生の英語のテストで20点ぐらい取れないくらいでした。知っている単語は「Thank you」と「yes」と「No thank you」だけだったんです。

 

―――「hallo」も知らなかったんですか?

 

(松田)「hallo」も知らないくらいの英語力でした。会った人に「yes」って言ったら「yes」って返してくれたことを覚えています。(笑)

 

―――そんな英語力でイングランドに着いた後はどうしたんですか?

 

(松田)空港を出たら日本の留学斡旋代理店と提携している業者の人が車で 待っていてくれました。ホームステイ先はRoyal tunbridge Walesという、空港から南東に車で50分ほどの街です。

 

―――あまり聞かない名前の街ですけどどんなところなんですか?

 

(松田)確かに、日本では有名な場所ではないですよね。「Royal」の名がつくということは、19世紀後半のヴィクトリア王朝時代に栄えたという街で、日本の留学生はあまりいない街でした。ホストマザーの家は、レンガ造りの軒が連なっている家の中の一角でした。

 

―――横浜の赤レンガ倉庫のようなものですか?

 

 

(松田)そうなんです。結構オシャレな家でした。こうして、いよいよ「イギリスでの生活が始まるぞ」と思いながら家のチャイムを鳴らしました。そうしたら、白髪のおばあちゃんがホストマザーだったんですけど、僕の姿を見た途端いきなり激昂し始めたんです。

 

―――えっ?なぜですか?

 

(松田)もちろん、英語がわからないので僕も全く分からないんですよ。その理由が。訳が分からないなりに謝ろうとしても、当時「アイムソーリー」すら知らないから、ずっと「thank you.thank you.」と応えるしかありませんでした。そういったやり取りして10分たってからその人は家の中に入っていっちゃったんです。しばらく僕は茫然自失で立つくしていました。

 

―――それは大変なスタートですね。家を間違えたわけではないんですよね。

 

(松田)間違っているわけではなかったんです。少ししたら、相変わらず怒りながらも、中には入れてもらえました。ただ、僕としては何が何だかわからなくて戸惑っていたら、そのホストマザーがメモのようなものを渡してくれました。元々英語力がなかったのですが、その最後の言葉の「I hate you」だけが「見覚えがあるな!」、と思ったのを覚えています。

 

―――「I hate you」って相当強い言葉じゃないですか。具体的にはなにがかいてあったんですか?

 

(松田)まずメモだけをわたされて、「部屋は二階の奥だ」って言われて、そこに押し込まれたんです。しょうがないから、英和辞典を持っていたから一文字一文字を夜な夜な全部日本語に直した結果、どうやらそのホストマザーは留学を受け入れるのは、女性のみと決めている方だったようで、男の僕が来たことに怒っていたようなんです。

 

―――それは、旅行代理店が性別を間違えていたということですか?

 

(松田)そうなんです。つまり、僕の名前は英語表記で「Yuki」と書くんですが、同じYukiと書く女の子が留学から帰る日に僕が入ってきたので、名簿の女のYukiと男のYuki (勇希)が混乱を招いた結果だったようです。後で聞いた話ですけど。

 

―――そうはいっても雑ですね。

 

(松田)そして、そのホストマザーはそもそも男性が大嫌いなので、女性しか留学を受け入れないと決めていた人だったんです。そのメモを読み終えたときは、既に翌朝の5時くらいだったんですけど、その時は本当に困りました。なんにせよ、この先のことを考えた時に、どうやったって好かれないなと感じたので。

 

―――確かに、自分ではどうしようもできない「性別」という点で嫌われているわけですもんね。

 

(松田)とにもかくにも、そんな波乱から僕のイギリス留学はスタートしました。

 

―――大変なところからはじまりまったんですね。イギリスの生活が。

 

(松田)その人の口癖は「because you are man」です。「男だったらみんなひとりでできるんでしょ?男はみんなそういうからね」みたいな皮肉から入るんです。ただひとつだけ良かった点は、僕はなんて罵られているか知らなきゃいけなかったんで、ものすごく勉強して、英語が上達するのが早くなったんですよ。

 

―――なるほど。英語を理解する必要性があったんですね。

 

(松田)やはり、当時「I hate you」がどれくらいなものかよくわかっていなかったんですが、「ひょっとしたら命の危機もあり得るのかも」とすら感じるくらいだったので、これは訳して理解しておかないといけないと感じていたんです。

 

―――英語の勉強としては非常に良い環境かもしれませんね。

 

(松田)そうなんです。学校の勉強以上に、今日なんて罵られたかを調べるというのが大切な環境でした。つまり、学校で勉強をした英語を活かす場所がすぐ帰ったホームステイ先に有ったわけです。しかも、イングランドのお年寄りなので、物凄く綺麗で上品なイギリス英語で罵ってくるんです。スラングとかは使わなかったのでそこは正しい英語の勉強になったかもしれません(笑)

 

―――それは得難い経験でしたね(笑)

 

 

(松田)例えば、初めのころ「I want to ~」という言葉を使ったらホストマザーにひどく怒られたんです。それは、その言葉が子供っぽい言い方だからなんです。ただ、怒られたときは「あ、欲してはダメなんだ」と思ったんですけど、学校で丁寧な言葉づかいである「I would like to ~」という言葉を覚えたときに、怒られた理由がわかりました。

 

―――ちなみに、学校では日本語を使えたのですか?

 

(松田)学校ではすべて英語でした。そこは、初めは語学学校で、ある程度のレベルに行くと高校に編入ができるというシステムでした。「I would like to ~」を覚えたので、当時食事に野菜しか出てなかったから、留学2週間目にしてようやく、丁寧に「肉が食べたいです」と要望したんです。そしたら、怒られはしなかったんですけど「肉はない」と言われました。でも、明らかにもう一人いたホームステイの中国人の女の子は肉らしきものを食べているんです。

 

―――もう一人いたんですね。じゃあ、言葉は通じたけど、肉がでないことが単なる意地悪だったということがわかったということなんですね。

 

(松田)そうなんです。ただ、飛躍的に英語力は伸びていたと思います。だから、その辺は仕方ないとして、既に述べたとおり僕の目的には、イングランドでサッカーをするというのがありました。だから僕は、留学をする際に事前に留学代理店の人に「滞在先としてサッカーができるところ」をリクエストし、代理店からは「滞在先はサッカーコートがすぐ近くにある家で、なおかつ、そこにあるサッカークラブとも契約しました。」 という話になっていました。

 

―――はい。

 

(松田)しかし、一向に誘われなかったため、そこがずっと気になっていました。サッカーをしたいという気持ちは強くて、コートは近くにあったからずっと一人で練習はしていたんです。そこで、ようやくある程度英語で要求を述べられるようになったので、その点はどうなっているのかを代理店に尋ねたところ、

留学代理店がそもそも性別を間違えて女のYukiだと思っていたから男のYukiのサッカー留学系の話は全部なかったことになっていて、僕の契約は全部白紙になっていたんです。

 

―――それはまた、波乱ですね!ヒースロー空港は世界で一番ロストバッゲージが多いという話は聞いたとことがあるので、意外というわけではないのですが。

 

(松田)こうして、サッカーの環境も自分で探さなければならないということになったんです。

 

―――それはハードですね(笑)

 

(松田)そのことを語学学校の先生に相談したら、先生の彼氏がたまたまホームステイ先の近くのグラウンドでサッカーをしているということでした。地域振興の一環として2時間1ポンド(当時約200円)という格安価格で参加できる場所でした。フットサルのようなコートが3つあって、そこでいわゆるギャザリングという知らない人同士があつまって、 今で言う「個サル(個人フットサル)」のような形でサッカーをする場所でした。そこを先生に紹介してもらいました。

 

―――結構すぐにサッカーできる環境がみつかったんですね。

 

(松田)やはりそこはイングランドだなと思いましたね。たしか初めて行ったのが水曜日の夜で。19時から21時、ナイターで2時間6試合から8試合ぐらいやっていました。そこのプレイヤーレベルは地域振興なのでとてもうまい人もいれば、大した事もない人もいるような状況でした。その中で、その場所を紹介してくれた語学学校の先生に僕のプレイが気に入られたんです。

 

―――気に入られた理由はあるんですか?

 

(松田)イングランドのサッカーってパスを細かく繋のではなく、大きくボールを蹴りだすような傾向があるんですけど、そこの小さなコートではその戦法は効果的ではない部分があって、そんな中で僕はフジタでの狭い中で繋いでいくような練習をフジタ(当時ベルマーレ関連)でしていたので、その時の経験がとても活かされてそこでは結構活躍できたんです。

 

―――なるほど。

 

 

(松田)しかも、僕を招待してくれた語学学校の先生の彼氏は、母親がスペイン系だったので、バルセロナとかのスペイン系のサッカーが好きな人だったんです。

 

―――なるほど。じゃあ、パスを細かく繋いで美しく回して崩していくというスタイルが好きな人だったんですね。

 

(松田)そうなんです。技術としても一人で必死に練習していた力をここで発揮することができました。そこでは日本人特有の細かい技術が異才だったんです。そこで気に入られることで、フルコートでやるような別の場所でのサッカーにも誘われるようになり急に毎日サッカー漬けになりました。

 

―――それは良かったですね。

 

(松田)そうやって,小さな街のローカルなサッカー場でしたけど、成功体験を経ることにより生活もイキイキとしてきました。そんな中で「サウス・イースタン・ワンダラーズ」というチームのユースチームに誘われました。そのチームはトップチームがないユースチームだけのチームだったんですけど。

 

―――また急展開ですね。それはどういった経緯があったんですか?

 

 

(松田)イングランドでは街の草サッカーでも普段からスカウトが見に来ているんです。街にクラブチームが根付いているので、クラブチームのお偉いさんが散歩するルートが常にサッカー場だったりするんです。そういう人はやはりサッカーが好きなので。

 

―――なるほど

 

(松田)その辺でぼーっ試合をみてるおじいさんが別のサッカーチームの一番偉い人だったりGMだったりということが多いんです。

 

―――それはイングランドならではですね。

 

(松田)そうして、土曜日にそのチームの試合場に行ったらすぐに試合に出してもらえました。そうすることで、ついに同世代の相手とのバチバチのサッカーを体現することになりました。印象的だったのはアタリの強さが日本とは全然違うということです。日本では体が当たることがあまりなかったので新鮮でした。

 

―――日本でも草サッカーで荒っぽい人はいると思うんですけど、そういうのとは違いがあるんですか?

 

(松田)あちらのあたりの強さは「クリーンに強い」んです。クリーンじゃない選手は、大げさにいうと相手に怪我をさせてもよいというような、凶器のタックルをしてくるものなんですけれど、それとは違うんです。正当なタックルをしてくるんだけれども、明らかに僕の方がフィジカルが弱くて完全にふっとばされるんです。だからファールにもならないんです。

 

―――なるほど。

 

(松田)その時僕が覚えなきゃならなかったのは、急激にフィジカルを強くするというよりは、それを避けるという方法でした。したがって、その技術が急激に発達していったんです。ボールをもらう前にある程度離れていたら当たって来ないとか、いろいろな小技を学習していきました。そうして、そのチームである程度活躍できるようになったとき、また別のチームに誘われました。

 

―――それは前回と同じようにスカウトされたんですか?

 

(松田)そうです。たまに、試合を見に来ていたおじいさんがそのチームのGMだったんです。当時の監督が「この人がトップチームのあるユースチームにはいらないかと言っている。うちはトップチームがないから ここで頑張ってもユースのままだけど、移籍して頑張ればトップチームに上がれる可能性があるぞ。どうだ。」って監督が言ってくれて移籍を即決しました。トップチームは当時イングランドの4部に相当するチームでした。そのチームは、ほぼ毎日2時間練習があって大変でしたけど。練習場も遠かったので、語学学校の先生の彼氏に自転車を借りて通っていました。

 

―――大変ですね。でもだいぶ鍛えられたんじゃないですか。

 

(松田)その当時は野菜しか食べられていなかったので、筋力はつかなかったです。

 (文字数の関係上続きます)