人生を悠々と生きてゆくには? | グッドムーンのブログ

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【ここがポイント(二)】

これがわかれば悩みなく人生を悠々と生きていけます

(二)

肉体人間というものより

霊的人間のほうが非常に感受性が強い

運命の危険な線も避けることが出来るようになる

守護霊や守護神の注意が速やかにわかるのです

自然に危機というものを避ける力が強くなる

たとえば

放射能というものがある

放射能の波はやはり物質の波ですから

放射能を受けてもあまり感じなくなる

ということになるでしょう

住んでいる次元が違ってくるわけです

肉体にいながらも

自分の住んでいる世界は霊界になってしまう

そういう人がたくさん出れば

不幸がそれだけなくなるのです

人間は物質だ肉体だと思っている

その意識はなかなか消えません

相当長い期間 つめこんで聞かされないと

人間は肉体だと思っています

人間は物質だと思っています

頭が痛い ああ病気と思います

ところが私どもの世界では

頭が痛くても 腹が痛くても

別に病気だと思うことはありません

波がかかって来て 消える姿だと思っているんです

みんな波だと思っているんですよ

全部現われがすべて波だと思っている

科学でも今は波動説でしょう

私はすべて波動だと思っている

波にも汚れた波と 光の波とがある

光の波の中に自分が入っていれば

汚れた波に感染しないから

自分は病気にもならない

たとえ病気になったとしてもすぐ消えてしまう

すぐ治ってしまう

私は朝から晩まで拍手を叩いて浄めています

三百人やろうと五百人やろうと同じです

そんなに疲れはしません

なぜ疲れないかというと

疲れるというのは物質の波動なんです

その波を超えていますから

いくら物質の波が ぶつかって来ても

スッと光の波の中に入る

降りちゃ上り 降りちゃ上りしている

ということは

物質の波 肉体の波の中にいながら

いつでも光の波の中にいるのです

だから皆さんも

人間というものは光なんだ

太陽と同じような光なんだ

ということを

いつも頭の中に思わなければいけません

太陽のような光

それは神さまなんだ と

光が小さいか大きいかは別として

自分は光の体なんだ

といつも思っていることです

だからお腹が痛もうと頭が痛もうと どこが痛もうと

病んだということは

病気ということは

過去の因縁が消えてゆく姿なんです

自分の本体はいつも光なんです

ある人が 「まだ自分の心が足りないからこうこうなる」 とおっしゃるから

それは違う

自分が悪いからこうなった ああなったじゃないんだ

と説明しました

普通の宗教では

あなたが悪いからこうなった お母さんが悪いから子供がこうなった

良人が悪いから妻がこうなった

ということになるんだけれども

それは嘘なんです

悪いものはみな消えてゆく姿

今のその人が悪いわけじゃないんです

今現われている不幸というものは

今現われている悪い想念 嫌な感情というのは

今つくったんじゃないのです

ここを間違えてはいけません

たとえば今ご飯を食べているとすれば

そのお米は去年作ったお米ですね

今作って 今食べるわけじゃない

人間の口に入る時には

自分の目の前に現われる時には

過去に作ったものが現われる

それと同じように

人間の想いというものは 今現われている想いというものは

今現われている環境というものは

それは今作ったもんじゃなくて

過去世の因縁が過去世の想いの波が

今ここに現われて

その人の環境になっているんです

だから今現われている環境をとやかくいったって始まらないでしょう

食べちゃったものを

お前こんなもの食べちゃって!といったって

あとは出るだけの話です

食べたものは出る

やったことは必ず自分に帰ってくる

これは原則です

だから今の不幸とか今の喜びとか今の悲しみとか

今の想いというものは 今あるように見えるけれども

それは消えてゆく姿としてこの世に現われただけであって

今作ったのではないのです

いいですか それをよく頭にしみこませてください

今作ったんであればその人を責めることが出来ます

ところが今作ったんじゃなくて

過去において行った想い お互いの想いが

ぶつかって喧嘩になり争いになるのです

だから

争った場合 あるいはいじめられた場合

こちらが全然悪くなくて

いじめられたり 悪口をいわれたりするならば

それは相手が悪口をいったように見えるけれども

悪口をいわれているほうが過去世において相手をいじめた

その波が向こうからうつって今 自分に帰って来ているところなのです

それでいじめられているのです だから

今のその人が悪いわけじゃなく

今いじめられている自分が悪いわけじゃなく

神さまを離れたお互いの想いが

そこでぶつかって消えてゆく姿なんですよ

わかりますね

そういうのが本当の宗教というんです

人間は神の子なんです

みんな神さまなんです

この世は神さまの世なのです

神代から初まっているのだから

その神代のことを説くのが日本神道です

人間は神だ 神の子なんだ と日本では初めからそういっているわけなんです

それが今改めてハッキリ説かれているんです

私の話していることは 神道らしく話さないけれど神道なんです 法華経なんです 

法華経を超えて神道なんです

それをやさしく説いているんです

人間は神の子なんだ

光明燦然としているものなんだ

悪はないんだ

と説いたらば

もうお前の心が悪い そんな心の影だよ

などという心の法則は一切いらないんです

それがあったら人間は神の子でなくなっちゃう

お前は神の子なんだ 仏の子なんだ

光明燦然としているんだ

どの宗教でも教えていながら

お前が悪い とこういうのです

それは悪をいつまでも抱えていることになる

お前が悪いというのは一切いらないんです

お前が悪く見えるのも すべて

みんな過去世の因縁が現われて消えてゆく姿で

今のその人は悪くないんだ

こういう見方をしませんと

本当に人間の世界は幸福になりません

『大決意』 五井昌久 白光出版