愛というのはどういうことか、というと、陰陽に分かれたのが相寄るときに起こる感情なんです。
たとえば前世において、直霊から分かれた分霊同士がここで会いますね。
そうすると、ああ親しいな! 懐かしいな! と愛を感じます。
愛情を感じる。
それで結ばれてゆく。
それは昔は一つだったからね。
昔は一だったものが分かれていて、それが会うから愛を感じる。
人類愛をいうのがありますね。
それはどういうことかというと、人類はみな一つです。
大神様において一つなんだ、一つのいのちだったものだから、ああみんなが救われますように、みんながよくなりますように、とこう思う。
世界平和が出来ますように、と思う。
これは人類愛です。
その人類愛というものは、世界人類の中に自分が入ってしまう。
飛び込んでいってしまうことなのです。
ということは、神様のみ心の中に入ってしまうことなのです。
分かれたものが世界人類の平和を祈る時には、世界人類の中に自分が入ってゆくのです。
その時に愛が起こる。
それを人類愛という。
大きく言うと人類愛、個人的ならばふつうの愛情なのね。
自分が楽しむために、男の子や女の子がデートしたりするでしょ。
それは愛じゃないんです。
業なんです。
業をその時々消していると、本当の愛が出てくるんです。
古事記のイザナギ、イザナミではないけれど
“ああいとしき人よ” と分かれていたものが一つになる、そういう時は本当の愛が起こる。
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神様にまかせきる 五井昌久