本文
“愛はすべてを癒やすのである”すべての不幸を打開するのは、愛の心が根柢にある行動である。
私の祈りは、愛の祈りである。
智慧は愛のうちに含まれていると私は思っている。ただし、愛とは情ではないことを申し添えて置きたい。
情は愛から生まれたもので、愛情と一つに呼ばれているように、愛とは切っても切れぬ関係がある。
そのため、仏教では、愛さえも業と呼んでいて、迷いの本体である、と説いている。そして神の愛を慈悲と呼んでいる。
私が今まで愛と書いてきたのは、情(執着)ではなくて、英語でいうCharity(大慈悲心)のことである。
しかし、愛は善で、情は悪である、と簡単に割り切ってもらっては困る。
この現世では光に影が伴うように、愛には情がつきまとうのである。
切りがたい情を涙を呑んで断ち切ってゆくところに、人間の美しさがあり、愛の輝きがますのである。(五井昌久『神と人間』95,96頁)
感想・・・・・ほんとうの愛とは愛情から情を剥ぎ取ったところにある、とわかってはいるのですが肉体人間はその情(感情)をそう簡単には切り離せないのです。
「かわいそう」「気の毒だ」「相手のためにならないとわかっていても」「自分をかばおうとする気持ち」「執着」「損得勘定(感情)」「愛して欲しい」・・・・・など、肉体界は感情(勘定=お金)で溢れています。感情に振り回されています。
感情が無くならない限りは、戦争も争いも無くなることはありません。
しかし、そう簡単には無くならない
『世界平和の祈り』は一遍に消すことが出来なくても、祈り続けてゆくうちに業因縁や業想念が少なくなっているのです。
これだけでも随分軽くなります。
晴れやかな気持ちになれます、なっています。
心がスッキリ軽くなった心境を
幸せといいます。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命がまっとうされますように
守護霊さまありがとうございます
守護神さまありがとうございます