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どうもこの地球世界では、右だ左だと、景気よく自己主張している人のほうが、なんだか頼り甲斐のあるような気がして、そうした業想念波を超越した世界から、この世の救いに起とうとしている、真人の声などは、なかなか耳に入ろうとはしないようだ。
それはちょうど老子が、聖人は百姓を芻狗(すうく)のように扱って不仁に見える、といっていると同様に、すぐにこうだ、ああだと手をさし伸べて、その人々に直接利益になるような処置を取ってやるようなことを、本心開発の道を説く人々はあまりしないからである。
私たちの在り方は、なるべくはすべての人々を芻狗のように扱わず、すべての人々に直接利益を与えながら、しかもその人々の本心開発に役立ち、世界人類の天命開顕にも役立つ方法を提唱している。
それが世界平和の祈りとして誕生しているわけである。
(五井昌久著・高橋英雄編『日々の祈り』34頁 )
感想・・・すうくとは、藁で作った犬の飾りのようなものらしいのですが、祭りなどが終わると無残に捨てられるのです。
聖人は感情的(勘定的)になって小さいどうでもいいことに、「ああでもない、こうでもない」と言っている人を簡単に助けたりはしないのです。
それはその人の魂の成長には役立たないからです。
みなさんも世間や人に甘えている人をみて、「もう少し頭を打った方がいいな」と思われることがあるでしょう。
しかし、肉体を纏った人間はその試練に耐えられる人はそういるものではなく、五井先生もご指導に苦労されたと思います 。
末法の世になり、世間は強引にでも自分の意見を持ち、引っ張ってくれる人を求めます。
「どこかおかしいな」と直感でわかっても、力強さに引っ張り込まれてしまうのです。
こんな時は、〝守護霊さん〟が人を介して「あいつと関わるのはやめておけ」と何らかのメッセージをくださいます。
それに(神智)に従わず、そのままにしておくと大変なことになります。
宇宙法則が狂うからです。
私たちは宇宙人であり、宇宙神(我即神也)そのものなのです。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命がまっとうされますように
守護霊様ありがとうございます
守護神様ありがとうございます