心臓も肺臓も、胃腸もいちいち働かそうとして動かしているのではなく、生命(いのち)すこやかなる限り、自然の活動として動いているのであります。
人間の想いもその点同じであるべきなのですが、いつの間にか、そうした肉体的諸器官の在り方と異なってきてしまったのです。
もし人の想いが、心臓の上にばかりあれば、心臓の動きはかえって不調になるでしょう。
肺も胃腸も、肝腎もやはり同じことです。
正調の時は、そうした諸器官に想いがかかることがないのです。
心というものも全く同様なのです。
老子に限らず古来の聖賢は、殆んどが頭脳知識に頼ったり、こちょこちょ頭をひねって、考え考え行動するような態度を否定しているのであります。
ところが、人々はそうは思わず、頭で一々考えて、心を働かせて事に当らねばならぬ、と長い間思いこんでいて、頭脳にある知識経験の範囲で、種々と事を処してゆくわけです。
(五井昌久著・高橋英雄編『日々の祈り』27頁 )
感想・・・頭で考えることが悪いと言っているのではないのです。
現代が肉体頭脳によって栄え、発展して来たのも事実です。
しかし、人間の小智才覚、欲望、現世利益追求によって地球を破壊寸前、人類滅亡の危機に追いやってしまったのも明らかな事実です。
それは肉体頭脳が3次元、肉体界、目に見える限られた世界での範疇でしか働かないからです。
宇宙には、肉体界の他に幽界、霊界、神界(大きくわけて)があります。
神界に意識を合わせると、意識が肉体意識から宇宙意識、神意識、愛意識に変わってゆくのです。
本心と繋がるのでそこから神界、守護神の神智(メッセージ)を受け取るようになります。
肉体頭脳の知識、知恵と宇宙の叡智は、天と地、雲泥万里の差があります。
私たちは肉体頭脳だけではもうにっちもさっちも行かなくなっている
ということは宇宙意識に目覚めるときなのです。
私たちは宇宙の中にいるのではありません。
私たち人間(個人)の中に宇宙があるのです。
なぜなら、我即神也だからです。
『我即神也の印』を組んでいるとそのことがわかってきます。いや思い出されてきます。
『人類即神也の印』を組むと自分だけではなく、他の人も神聖な神の子であるとわかってきます。
そして『神聖復活目覚めの印』を組むと自分が光り輝き、周りの人から「我は神を見たる」と気づかれるようになります。
そして自分もあのように「神々しくなりたい」「光になりたい」「印を組みたい」と伝わって行きます。
そうして地球は光り輝き、真の次元上昇を成し遂げるのです。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命がまっとうされますように
守護霊様ありがとうございます
守護神様ありがとうございます