自他の悪い習慣や不幸災難は、やはり過去世からの悪い習慣、光明世界、神のみ心を離れていた頃の暗黒想念の消えてゆく姿としての現われなのだから、殊更自己を責め裁いても、他を責め裁いても仕方のないものなのです。
それを自分が悪い人が悪い、というように自他を裁いて、悪い想念を分析しても、それはかえってますます暗黒想念の中に入りこんでしまうだけなのですから、悪かった、しまった、憎らしい等々の想いが出たら、その想いを掴んだままでよいから、消えてゆく姿として世界平和の祈りの中に入りこんでしまったほうがよいのです。
そうすると、救世の大光明の光明波動が、その人の業想念を浄めて下さって、いつの間にか、明るい、自信のある想いに、その人をしてくれるのであります。
(五井昌久著・高橋英雄編『日々の祈り』367頁 )
感想・・・反省の省とは、「少な目」と書くのに反省ばかりをしている人はエネルギーのもったい使い方をしていると思うのです。
「あっやってしまった、ごめんなさい、以後気をつけます」とすぐに素直に謝れば大概は許してくれます。
許してくれなければそれは相手の人の心の問題であり、それを「ああだこうだ」「私のことをどう思っているのだろう?」と推し量るのは、無駄なことです。
それは、終わった過去のことに意識、エネルギーが集中しているのです。
意識、エネルギーは今の瞬間、そして未来を明るくイメージすることに使うべきです。
過去に注いでも何の変化も進展もないのです。
エネルギーは過去→現在→未来に流れるのではなく
未来→現在へと流れています。
未来を明るくイメージすると想像したことが創造になります。