今、ビジネス(商売)をしている人と決まって話すこととは、
「もう本業だけではやってはいけない、何とかしないと・・・」
なのです。
これは余程特化した仕事、職業の人以外は共通の悩みだと思います。
インターネットは加速度的にいろんな職(食)を奪っていきます。
本業を一生懸命にやっていても利益の上がる(旨みがある)ところには群がってきます。
隙間産業にもみな目を光らせている。
大手も多様化し抱き合わせ、セットで売ろうとする。
限りあるお金をみんなで取り合っている状態です。
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では、私たちはどうしたらいいのか?
核になる本業のスキルは磨き続けながら、SNS等を利用し、出来るだけリアルに人に会うようにし、情報交換ならび、共通点を見つけて、仕事を回し合うようにする。
自分中心のコミュニティーを作ってそこでお金や情報、サービスを回す、価値観をシェアする。
常にアンテナを張って、チャンスを見逃さず、自分に出来ることは自分のものにしてゆく。
これしかないように思うのです。
そのためには、肩書きは多数になります。
昔のお百姓さんになるのです。
百姓とは、農業だけをやっている人ではありません。
畑を耕すだけでなく、草鞋(わらじ)を編み、薪(たきぎ)を拾い、行商をし、庄屋さんの手伝い(便利屋)に行き、閑散期には出稼ぎに行く。
この時代のお百姓さんは、仕事をたくさんもっており、周りの人は何をしている人かわからなかった。
「百の姓(名前)を持っているようだ」・・・・から百姓という言葉は生れたのだそうです。
自分で出来ることは限られてる。
だから自分の分身のように動いてくれる人、人の役に立ってくれる人を探す。
ただ、そこには信頼関係がなければいけません。
本業をいい加減にしている人を紹介したら、自分の信頼を失うからです。
これからはたくさんの人と繋がることが安心感、安定感を得ることになります。
最初はゆる~いつながりから始まります。
ゆるい細いつながりをどれだけ太いつながり(信頼関係)に換えていけるか?
そこに生き残る道はかかっています。
お薦め図書
『僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない』 岡田斗司夫著
追伸・・・・私の持論ですが、自分の本業は2そくのわらじにひかえて、98人の本業をしっかりとしている信頼出来る人がいればいいと思います。(2頭を追うものは一頭も得ず)