凍る歩道をおっかなびっくり歩きながら、秋田市民市場へ。
観光客向けに寄り過ぎていない感じがイイ。しかしのっけ丼の販売は9時からだった‥。
仕方ないので、朝からやっている定食屋で朝からビールとマグロ丼。旨い。
秋田城跡に来た。街中の久保田城跡よりも、私はこちらですな。紫波城が古代最北の城柵だと思っていたが、秋田城のようだ。
733年に庄内地方?からこの地に遷された出羽柵が始まりで、760年頃から秋田城と呼ばれ始めた。
清水が湧く丘陵地帯だから高清水と言う地名。日本酒の高清水ってココからだったのか。
復元土塀。
政庁跡。ここでも蝦夷を饗応した。
古代水洗厠舎(復元)。中は冬季閉鎖中。
汚物は木製の配管を通って一旦溜められ、比較的キレイな上澄み部分だけ沼に流されたそうだ。上澄みとは言え、キレイか‥?沼もそう大きくはないから、臭いや汚染はどうだったんだろう。
資料館にあった模型。当時としては、かなり先進的な施設だったらしい。
外国使節団(渤海使)の来庁に合わせて増設されたり、廃止になったりしたと。
くそベラ。現トイレットペーパー。古代人がこれでケツ拭いた。
謎の土器。類似のものが城内から見つかっておらず、大陸人が持ち込んだ可能性があるとのこと。
発掘された井戸枠。ここから出た木簡の「天平6年」(734年)が、ここが間違いなく出羽柵であると、古文書と考古物を結びつけて確定させたと。
個人的にはこちらがシンボル展示かな。
発見された木簡や紙類。紙は、不要になって役所から漆職人に払い下げられた行政文書を漆容器の蓋紙で使ったもの(紙は当時貴重だった)。漆が染み込んだから現代まで残り、特殊な機械を通すと文字も判読出来るらしい。
上司への業務の伺い文。行政組織の動かし方って、この頃から全く変わっていないと思う。
こちらは戸籍。
中央から見れば律令国家最北の辺境だが、大陸や渡島(北海道)やオホーツクとの交易の最前線だった。
中世以降の遺跡は発掘されていないが、鎌倉時代にも秋田城介と言う役職があったり、その後どのようになったのかは謎とのこと。
中々面白かった。

















