大洗磯前神社。立派。
万人が触れない公然の矛盾、平安期に大己貴命・少彦名命様二柱が太平洋から降臨?されたのが御由緒とのこと。敬すべき神々には違いないが、真実は如何に。
この瞬間だけ雨が上がった。神磯の鳥居。サギ?が横で獲物を探している。
光圀公もこの景色を愛で、歌を詠んだとか。
軍艦那珂忠魂碑。那珂川に因んで付けられた艦名。トラック島で撃沈。
摂社与利幾神社。祭神が想像つかない名前の社につい惹かれてしまう。与利幾は「寄り木」で、諏訪大社の霊木がこの地で引き上げられたかららしい。よくある話だ。祭神は建御名方様。
天竜川を下ってから黒潮に乗って‥まあ辿り着けないこともないか‥??
水戸藩校、弘道館。
第9代藩主 徳川斉昭による開設で、さながら総合大学の様相だったとのこと。この時代の教育熱の崇高さよ。
斉昭は攘夷派の頭目とは言え、随分開明的な人物だったようだ(本心は開国派だった説もあるらしい)。斉昭が描いたと言う潜水艦の設計図が展示されていてビビった。
その斉昭が書かせた尊攘(尊王攘夷)。来館者控えの間で威圧している。
イマイチ幕末に水戸藩が果たした役割が分からなかったが、好学の地で発達した水戸学、尊王攘夷思想から、徳川御三家にも関わらず斉昭がその筆頭となって、しかし後に藩内部抗争で影響力を失い、倒幕の主導権を薩長に譲った、と言う流れで合ってる?そう言えば桜田門外ノ変も脱藩水戸藩士だった。日本史もきちんと勉強したい。
こちらは至善堂。斉昭の子慶喜が徳川最後の将軍職を辞し、謹慎蟄居していた間らしい。ここに慶喜がいたのか。そもそも水戸に御三家が置かれたのは、東北大名への抑えの意味もあったようだ。古代にも対蝦夷で同じような立ち位置だったらしい。ああ、俺は茨城の事を何も知らなかったんだな、とふと寂しさが胸を突き上がる。
こちらは上野寛永寺から移る際に、慶喜の荷物を入れて運んだ長持ち。え?これ貴重じゃない?
襖の把手。
県立歴史館に来た。
どこも展示形態は同じだが、どの程度ローカライズされているかで面白味が違う。
光圀公と言えば大日本史。内容は知らないが、コレ当時の本物の一つだろう。
旧水海道小学校。立派立派。勉強が楽しくなりそう。
つ、つい来てしまった。小美玉市はタカノフーズ工場敷地内にある納豆博物館。博物館と言っても小さなスペースだったが、中々おもろかった。
主に東南アジアで、バナナの葉で豆を発酵させる調理法があるらしい。古層で繋がっている。
そもそも何で納豆が水戸の名産になったのか。
実際は近代以降の大豆生産やインフラの組み合わせのようだが、この源義家の納豆ロード説が面白い。
平安期に東北征伐の為に京を出た義家軍、兵糧の大豆を藁に包んで運んでいたところ、馬の体温で発酵が進み、水戸に着く頃には納豆が出来上がっていたと。
その義家が練馬に植えた種子から植樹されたケヤキ。たかが納豆で無限に広がるロマンな歴史だ。
常陸国府跡。常陸国の中心地は、今の石岡市にあったらしい。
大昔、母の兄の嫁の実家が確か石岡で、一度だけ筍狩りに来た記憶がある。
霞ヶ浦のほとり、予科練平和記念館に来た(撮影不可)。隣接する自衛隊基地内にある雄翔館も見物。
予科練の全体像から特攻隊までの詳細な展示だった。こんな立派な施設があったなんて知らなかった‥。必見。
ゼロ戦模型。
特攻で亡くなった英霊たちには、最大限の畏敬と哀悼の念を持っているが、特攻隊や戦争自体は絶対に美化しない。作戦とも言えない外道中の外道、形を変えてまたやるぞこの民族は。
早朝から寄り道しまくって、漸く最後に牛久シャトー。実家から駅に向かう道中にあり、毎日通り過ぎていた。もう二度と目にする事はないだろう。どこまでも噛み合わない親子だったな。






















