新潟県立歴史博物館。超立派なハコモノで通史を広く浅く学ぶ。こちらは1647年の絵図とのこと。小さく無数に見える小判型の点は村々で、潟も多数存在するのが分かる。県名の由来も明白、「新しい潟」だろう。

新潟が初めから米処だった訳ではなく、先人たちの多大な努力の結果だと言う事も学ぶ。元々あった三潟から、海に排水する為の木製の下水?を引く大工事が始まったのが1817年。

その大工事の様子。全部手作りの全部手(足)作業。

いつも思うけど、現代人が昔にタイムスリップしたら生きていけない。余りに自然の活用法を忘れてるからだ。

排水路。

その後も改修工事は繰り返されるが、水害は止まず、

大河津分水が造られる。この後に車で通ったが、明治期に始まった工事が今も何か続いていた。

謙信の欧州伝来の羽織らしい。袖を通したかな。

新潟の石油産業。

銀行が資金を出し渋ったから、石油会社は株券を発行した。で、それを売り捌いた女株券師。

男よりも仲介料が安くミスも少なかったから、重宝されたらしい。

江戸時代初期に米作の代わりに和釘生産から始まった三条市の金物と燕市の洋食器産業。明治期の洋釘に大打撃を受けたり、第一次大戦でドイツから仕入れられなくなった英露から洋食器の需要が高まったり、国際情勢に翻弄されつつ地元のアイデンティティになった。環境の変化に適応出来るものが生き残る、ってダーウィンだっけ?実際現代企業でも、主力産業を時代に合わせて変えてるところも多い。

長岡空襲。長岡にも資料館があった。市内の8割が焼失??して1500人近くが犠牲になったとのこと。新潟市は原爆投下の候補地だったから、焼夷弾は降らなかった。正に弄ばれていた。

上越新幹線のスプリンクラーの仕組みがあった。この装置が何箇所あるんだろう。

送電線をショートさせない工夫。細かいなあ。初めて知った‥


先史時代は、幼稚園児と小学生でごった返していたからパス(写真はエントランス)。まあ、通史だからいいや。新潟も色々面白そうだ。