ネットで見つけて立ち寄った信濃川大河津資料館。土木分野は全く分からないが、中々面白かった。
上は越後平野の変遷。大昔は海で、砂丘が出来て土砂で埋まり、潟が残った。
深田。湿地帯で葦を刈り、腰まで浸って稲を植え、船を使って収穫する、無茶苦茶大変だったろうなあ。鳥も食わぬマズい米と言われたらしい。現代コシヒカリと比べると信じられん。
大河津分水をやっぱり作ろう、と必要性を再認識させた1896年の横田切れからの大洪水。50名近くが亡くなり、4ヶ月水が引かなかったらしい。
大河津分水がなければ各地がどうなっていたかを、1982年の洪水を元にシュミレーションしたもの。ビッグスワンが大浸水‥
分水が出来る前から比べて、現代は2倍の収穫量か。
確かに分水が出来た後の上越新幹線や関越道は、平野の真ん中を突っ切っている。分水は新潟経済の大根幹と言っても大袈裟じゃないだろう。
第二期の世紀の大工事の模型。高速鉄道でも引いているのかと思った。東洋のパナマ運河、と言われたのも分かる。運河ではないが。削られた土砂はどこに捨てたのか資料館の方に聞いたら、川沿いの土地に打ちやったらしい。今ではもう土砂を持って行く場所が無いとの事。
人力で転がした鍋トロ。後世の改修工事で発掘された。
大正期?にこんな重機が存在したのも、そのうちのいくつかは国産だったのも驚きだが、動力が皆んな蒸気なのにぶったまげる。時代を考えれば当たり前だが、では何故現代の動力が原子力に切り替われないのか。いや、車が皆んな原子炉積んでたらおっかな過ぎるか‥
令和の大改修と言われている大工事が、今も行われているらしい。一昨日見たのはコレか。もう二度と壊れないくらいの強固な方法で床固めをしていて、完成まであと13年もかかると職員さんが力説されていた。
旧可動堰跡
一部分だけ残されている。新旧の水路が入り組んでいて、初見ではどれが分水でどれが信濃川なのか分かりずらかった。
こちらが現在稼働中の可動堰か。
床固めをしなかった為に数年で流されてしまった大正期の自在堰跡。土台が残っているらしいが、雑草で見えなかった。
その大補修工事を完遂した土木官僚の、「万象に天意を覚る者は幸なり。人類の為め、国の為め」と言う激烈な言葉が刻まれている。
翻って我が身はどうか。万象に天意を感じないこともないが、自分の為、自分の為、自分の為。貧しき人生也。
長岡市街まで戻る。最後に山本五十六記念館と迷ったが、河井継之助の方に来る。ここが生家跡らしい。
常在戦場は、藩主・牧野氏が戦国時代に家臣に訓示したもの。常に戦場にあると思え。武士そのものだ。
継之助も人となりは素晴らしい人物だったようで、藩政改革は革新的かつ民主的だった。北越戦争の長岡城奪還攻撃も特筆。司馬遼太郎でも読んでみようかな。遊学の旅に2回も出ていて、その学びを社会に還元しているところが、俺と違って素晴らしい。
継之助の父が使用した茶釜。
ガトリング砲。継之助が実際に使ったものは見つかっていないらしい。普通、敵に奪われる前に壊すか隠すから。
長岡駅に戻る。
旅の終わり。佐渡に行けてないから、また来るだろう。この後千葉で会合があるから1本でガマン。あ、サッポロビール(当時は開拓使麦酒醸造所)でビールを完成させたのは、長岡出身の中川清兵衛と言う人らしい。缶に書いてあった。
山あり川あり断層あり、魅力の尽きない越後の旅だった。






















