金光教の御教えに中に「難はみかげ」がある。

おそらく一番短いので、子どもでもすぐに覚えられるけれど

その意味が分かりにくい。

難がみかげになるとは到底考えられず

子どもの頃から「難は、難」だと思ってきた。

 

私と妻は職場結婚で

お付き合いをしている時から

妻が創価学会を信仰していることは分かっていた。

一方、私は両親が金光教だったというだけで

子どもの頃から教会中心の生活で育ったが

神様のありがたさは、分らなかった。

 

交際が始まると、妻から信心の話を聞かされるようになるが

それに対抗しようとて信心が分かっていない。

その頃にたまたまご縁を頂いた教会に参拝することになり

教会で聞いてきた話をそのまま妻に伝えることで精一杯だったが

妻に対抗しようとして

教会にある本や教話のカセットテープを聞いているうちに

信心が分かってきて、両親がどんな思いで信心していたのか

考えるようになった。

 

結婚後はそれぞれの信心生活が始まるが

妻にだけは金光教を分かっておいてほしいと願い

布団に入り、寝る前の15分程度、互いの信心の話をする日々が始まった。

毎日毎日「なんでわかってくれへんのや」と泣きながら眠り

目を腫らして起きる日々が続いた。

その間もさまざまな本を読んだり、信心の先輩方にも相談しながら

毎日話し合ってきたが、着地点が見つからない。

 

それから10年が経過したある日、

創価学会が日蓮正宗から独立され、規約改正される中で

創価学会の信心はしないものの理解のある人を

「会友」と位置付けられたことで

私のような存在を受け入れられるようになった。

 

もう二度としたくないほどに辛かった10年間

毎日話をしてきたことで

信心だけでなく、あらゆる価値観が一致するようになった。

それだけじゃない。

日々それぞれの信心をしながらも

共に信心の話を語り合えるまでの関係になっている。

 

これこそが「難はみかげ」の御教えのとおり

夫婦間の宗教が違うという難があったために

根気よく話し合いを続けてきたおかげで

互いの信心を認め合い、共励できる関係にまでなれた。

 

他人様とは比べるものではないが

同じ宗教であったり、片方が信心されていなければ

わざわざ信心の話し合いをする機会を失ってしまい

いつまでも家族共有の信心にはならず

子どもや孫へと信心の継承が難しくなってしまうように思える。

 

妻が創価学会だったおかげで

両親がしてきた信心を分からせてもらっただけでなく

夫婦仲良く、共に信心のある家庭になれた。

本当に素晴らしい妻です。