先日、十三(じゅうそう=大阪の地名)に行った時のこと。

私が「教会に電話をするから待ってて」と言うと

その間に新聞をもらってくると言った。

駅前で新聞を配っている人があり、

その新聞には立正安国論と書かれている。

創価学会じゃないけど、日蓮宗系の宗教なので興味があるからもらってきた。

そんな行動をとるなんて珍しいなあと思った。

 

その新聞は「顕正新聞」という新聞で、顕正新聞社が発行している。

宗教法人 冨士大石寺顕正会の新聞のようだ。

この宗教法人は、AIによる概要によれば

顕正会は日蓮大聖人の教えを信奉する仏教系の宗教団体です。

もともとは日蓮正宗の信徒団体(妙信講)として発足しましたが、

1970年代に日蓮正宗と対立して破門され、

現在は独立した宗教法人として活動しています。

と書かれている。

 

創価学会も元は、日蓮正宗の信徒団体であったが

現在は独立した宗教法人として活動しているから

組織としては、まったく異なる団体だが

現在に至る成り立ちには近いものがあるようだ。

 

また過去には、創価学会本部への襲撃事件があり、

妙信講信者12名が不法侵入で逮捕されている。(wikiペディアより)

 

妻は、新聞を読んで創価学会への批判が載っていると言い

創価学会で助からなかった人があるんだなあと話している。

 

思えば40年ほど前に出会い、結婚した頃の妻は

こんなふうに受け止められる人じゃなかった。

週刊誌などで創価学会の話題が掲載されるだけで

「どうせまた悪口が書かれている」と言うばかりで

掲載された記事に目を通すこともなかった。

 

当時は私が信心している金光教の教会に入るのも抵抗し

教会の人と口を聞くことも罪になるような受け止め方をしていた。

あれから40年、宗旨替えはしないまでも

私の信心にも理解を示してくれており、協力さえしてくれるし

教会にも付いてきてくれて、お参りはしないけれど

教会長やご信者さんとも懇意にしてくれるようになった。

 

当時の妻の信心は、正に「凝り固まった、鵜呑みにするような信心」であったが

宗教の異なる夫婦として互いに尊びあって共に暮らすうちに

「自由で開かれた信心」に成長してきたことが分かる。

 

妻自身も「昔なら心がざわざわして心が暗くなったが

今ではそんなふうに思わなくなった」と言い

「この信心を続けていけばいいという自信が出来たから」と言っている。

 

それぞれの宗教には、それなりの論理があって、噛み合わないこともある。

あちらはあちらなりの論理で、正しいと思う方針で信心をされている。

他宗教だからといって無視をするよりは

そういう考え方もあるんだと理解して

別方向からの見方に興味を持つことはいいことである。

妻と共に40年ちかくの月日を過ごしていくうちに

広く見聞を広められる大きな器となって受け止められるようになった

妻の成長を目の当たりにして、改めて妻の偉大さを感じられた瞬間であった。