これまで多くのご信者さんに出会っできたが、

見かけなくなったご信者さんが何人もいる。

私がお教会に御縁を頂くきっかけになったFさんもその一人である。

果たして今でも、お元気にされているのだろうか?

先代の親先生が彼女のおかげ話を

両親の教会の大祭説教で話していたのを聞いたのがきっかけで、

私自身としての信心が始まりました。

日々の御祈念の中で彼女のことは願っていますが、

もう何十年も姿を見ていない。

 

信心の先輩から「信心にはレベルがある」と教えられたことがある。

私自身も信心の浅い時は、神様にお願いしてご利益を求める信心だった。

それがいつの間にかほとんど願わなくなってきて、

御教えを学び、神様と仲良くする信心となってきた。

先代の教会長から「信心には道がある」と教わったこともあり、

書道にも華道にも剣道にもそれぞれに道があるように、信心にも道がある。

 

どこに向かっているのかは分からないけれど、

西遊記で例えるところの唐天竺という所があるならば、

みんなそれぞれにそちらに向かって歩んでいる。

日々起こってくる事故災難は、

孫悟空が妖怪と闘って解決していくようなものであろう。

山で例えるなら、みんな頂上を目指して登っている。

とにかく頂上を目指して登ればいいんだと真っすぐ登っていると

急坂や危険な個所もあるが

この山の頂まで登った人たちがあり、その人たちこそが

さまざまな宗教の宗祖、開祖と呼ばれる方たちで

私は金光大神の歩まれた道を、妻は日蓮大聖人に歩まれた道を歩んでいる。

夫婦で宗教が異なる私たちは、それぞれに歩んでいる道は違えど

同じ頂上を目指しており、情報交換しながら共励している。

 

西遊記では、唐天竺まで何千里もの距離を移動したつもりが

お釈迦様の手のひらからも出ていなかったように

私の神様も、妻の仏様もそれぞれの心の中にある。

夫婦がそれぞれに神仏に向かい、

神様、仏様と仲良くさせてもらうことで

自然に自身が助けられていることを実感しながら生活が出来ており

願うことよりも御礼を申し上げることで暮らしている。

 

ここからさらに進んで行けばどうなるのかは分からないが

先のことを愉しみにしながら信心生活が送れていることがありがたい。