世の中は神徳に満ち溢れていると言われていますが

皆さんはお感じになっていますでしょうか?

なかなかそういうふうには感じられないものです。

しかし私には感じられる場面があります。

 

前にNHKの朝ドラで『らんまん』というドラマをやっていました。

高知出身の植物学者、牧野富太郎博士ご夫妻の人生を

神木隆之介さん浜辺美波さん主演でやっていました。

その中で牧野先生は「雑草という草はない」というセリフがあり

私たちからすれば、ただの雑草しか生えていない道でも

ひとつひとつの植物に

「ここに○○草が生えていましたか?」

「こちらには、けなげに○○○○草が咲いていましたか?」

と話しかけながら歩いておられました。

 

鉄道ファンの私には、その感覚が理解できます。

駅で待っている時も、通過していく列車に釘付けで

必死になって列車を眺めており

自分の好きな車両が来たら「やったー!」と一喜一憂している。

これって牧野先生の植物に話しかけるのと同じことだと思う。

 

このように世の中にはたくさんの幸せで満ち溢れており

見る人が見れば宝の山に見え

見えない人からすれば、電車の脇に雑草が生えているだけの

なんでもない殺風景な世界にしか見えない。

同じことは恋愛でも同じことで

「いい出会いがない」という話をよく耳にしますが

見る目の無い人にとっては、いい人がそばに居ても気付きもしません。

 

私に信心を教えて下さった先代の教会長はよく

「ぼちぼちが、ぼちぼち同士一緒になる」と言っておられ

玉の輿にのるなんてことはなく、同じレベルの人と一緒になるのだから

いい人に巡り会おうと思えば、

自分磨きをするしかないのだと教えて下さった。

 

なんでもない殺風景な世界にするのか

宝の山にするのかは、すべて自分自身の受け皿次第なのです。

 

また牧野富太郎博士が

「植物は人間がいなくても少しも構わずに生活するが、人間は植物が無くては生活の出来ぬ事である。そうすると、植物と人間とを比べると人間の方が植物より弱虫であるといえよう。つまり人間は植物に向こうてオジギをせねばならぬ立場にある。」平凡社『牧野富太郎 植物博士の人生図鑑』より

と、おっしゃったようにただの雑草にしか見えない植物にさえも

私たち人間は、ずっとお世話になっているし

鉄道にもお世話にならずには生活も出来ていかない。

そう考えると、眼には見えないけれど、

この世の中は神徳で満ち溢れており

こちら側が常に意識をしていなければ、つい見逃してしまう。

日々の生活を通して「幸せ探し」をしながら生きていこうと思う。

 

参考:「雑草という草はない」というセリフについて

牧野博士にインタビューしたとき、当時20代だった山本周五郎が「雑草」という言葉を口にしたところ、牧野博士はなじるような口調で次のようにたしなめたそうです。「きみ、世の中に〝雑草〟という草は無い。どんな草にだって、ちゃんと名前がついている。わたしは雑木林(ぞうきばやし)という言葉がキライだ。松、杉、楢(なら)、楓(かえで)、櫟(くぬぎ)——みんなそれぞれ固有名詞が付いている。それを世の多くのひとびとが〝雑草〟だの〝雑木林〟だのと無神経な呼び方をする。もしきみが、〝雑兵〟と呼ばれたら、いい気がするか。人間にはそれぞれ固有の姓名がちゃんとあるはず。ひとを呼ぶばあいには、正しくフルネームできちんと呼んであげるのが礼儀というものじゃないかね」