皆さん、日常生活の中で信心の話をされていますか?

最近は月例祭に参拝しても、

あまり信心の話を聞かなくなったように思います。

 

私の知り合いに信心熱心な方がおられます。

その方は、毎日欠かさずお参りされ月例祭も休まれません。

教会の御用奉仕も進んでされています。

またご先祖を大切にされていて墓参も欠かされません。

本当に真面目に信心されています。

 

その方には娘さんがおられ、

子どもの頃からお母さんに連れられて

よくお参りをされていました。

しかし社会人にまで成長されたある時から

母親と一緒に参拝されなくなりました。

それでお母さんが、いつものようにお参りに行こう

と誘ったところ「信心は、お母さんの趣味や」と言われて

ショックを受けられたと聞きました。

 

実は、これによく似た話で「お父さんの趣味」と言われた知人も

おられます。

 

私はかねてより「どうすれば信心が伝わっていくのか」について考えています。

正直のところ、私自身も信心のある家庭で生まれ育ちましたが

子どもの頃には親に強制されて教会へ行くのは苦痛でした。

日曜日の朝に見たいテレビがあるのに、

9時からの御祈念に行かされてきました。

教会に行けば、同世代のご信者さんの子どもには会えましたが

ありがたいと思ったこともなかったし、

「神様に拝みなさい」と言われても、どういうことなのか分からず

いつも正座の股の間から後方を覗いていたり

早くお参りを終えると、拝んでいないことがバレると思って

他の参拝者が拍手を終えたら、自分も拍手するようにしてました。

 

そんな私が信心を分かるようになったのは

先代教会長との出会いです。

たまたま休憩がてら教会に入ったのですが

先生は、私の屁理屈にもとことん付き合って下さり

信心のひとつひとつをきちんと説明して下さいました。

 

とりわけ心に残っているお話のひとつに、

「信心というのは、道なんや。

柔道とか剣道とか茶道とか書道というように

そこには道があるんや」と教わりました。

その話を元に、教祖金光大神が通られた道を学び

金光様と一緒に歩ませていただく生き方として

信心が分かってきました。

 

こうして考えますと、

「信心はお母さんの趣味」と言われたお母さんやお父さんは

参拝する形は教えても、信心の説明がされていないように思われます。

 

たしかに私たち昭和世代には、親の背中を見て教わるとか

先輩の背中を見て教わるということがありましたが

今の時代には通用しないように思います。

 

以前の御本部での全教集会に於いて那須守親さんが

「夕食時には、テレビを消して信心の話をしている」

という話をされていましたが

教会の先生からの信心お話を聞くだけではなく

私たち信者が生活を通して感じてきた

信心の話こそが人々に響くのだと思います。

 

私は教話を聞く時も必ずメモを取り、

帰ってきてから自分自身の経験談を交えながら

妻にもその話をするようにしています。

そうすることでひとつの教話で2人助かるのです。

 

金光教教典290頁 近藤藤守65に『信心には連れはなしじゃ。』とあります。

信心は他の人に代わってもらうことができません。

信心するのは自分、そしておかげを頂くのも自分という意味です。

しかし多くの諸先輩方の信心を見ていますと

この御教えを誤解されているのか、

お供えも参拝も御用奉仕も全部、自分だけでやってしまって

子どもたちに伝えようとしていない人を見かけます。

信心熱心だったご信者さんが亡くなると

残されたご子息さんは、何も知らないということも見受けます。

 

そうならないためにも、これからは自分たちの信心と共に、

子どもたちや友人にも信心の話をしていき、

信心のある日常生活したいと願っています。