自分だけで生きているように思っているけれど
いろんな人たちに願われていることを感じる時がある。
以前交通事故を起こしたことがあり
私がぶつけたオートバイの女性を保護して
警察に通報した時のこと。
どこからかパトカーのサイレンが聞こえてきて
いつもの癖で、サイレンに反応して
その人たちのことを心中祈念している。
「早く火事が消えますように」とか
「早く事故が解決しますように」とか
「怪我や病気が早く治りますように」と
願ってしまうのは、金光教のあるあるらしい。
パトカーは私の前で停まり
今回のサイレンは、自分の事故だと気付いた時
周囲の街々を見渡しながら
この中にも私の事故のことを願ってくれている人がいるかもしれない
と思ったら、これまで自然にしてきたことの
重大さや尊さを感じさせて頂いた。
私は日々の御祈念の中で家族や親族、知人友人のことを願わして頂いているが
久しぶりに会った甥から離婚していたことを知らされた。
そんなことも知らないからずっと甥や奥様、子どもたちのことも願ってきたが
私自身の信心の弱さを感じるとともに
神様に対して申し訳のない願い方をしてきたことを反省したが
そんなことになっていることなど甥は知らない。
知らないからわざわざ離婚していたことを言わなかっただけのことである。
同時に私自身もいろんな人たちに願われているにもかかわらず
自分勝手な生き方をしていたかもしれないと反省した。
先日ずっと願ってきたご信者さんの姿を久しぶりに見た。
病と闘いながら生活されている人である。
他のご信者さんからもその人の病状を問われたこともあるが
私から連絡することもないので知らないと答えるので
冷たい人と思われているかもしれないけれど
黙ってその人のことを願い続けている。
おかげで毎月お願いする人の数が増えていくので
教会長には申し訳なく思っている。
久しぶりに会ったその方にどうお声掛けをすればいいか分からず
毎月願わしてもらっていることだけを伝えたが、
残念ながら奥様のことは願っていないことも伝えた。
私なんかは「生神金光大神様天地金乃神様」と
30回も唱えたこともないが
妻は毎日の勤行で、「南無妙法蓮華経」と3千回唱えている。
3千回で飽き足らない時には、夕方にももう3千回唱えている。
その姿は神々しく目に映り、もったいないことだと感じて
勤行している妻の姿に対して手を合わしたくなってくる。
その中には間違いなく私自身のことも願ってくれている。
本当にもったいないことだと思っており
そんな妻にはいつも感謝している。