昨年末亡くなったお義母さんの御遺骨は
自宅の仏壇の横に安置し
その前には、さまざまなお菓子などのお供えで
いっぱいになっていたが
ある日突然、きれいに片付けられている。
義母の四十九日は、当ブログが公開される本日で
それまでには、まだ1週間くらいある。
いったい何が起きたのだろうか?
と思っていると妻が説明してくれた。
お義母さんも少なくと認知症を患うまでは
創価学会で熱心に信心されておられた。
私が初めて妻の自宅に御挨拶に伺った時には
亡き義兄が生前に発表されていた
信心生活発表のテープを聞かせて下さったし、
義母がされた信心の話を聞いて
「よく分かります」とお答えしたら
「学会員でないあなたに、この信心が分かる訳がない」
とお𠮟りを受けたこともあったくらいに
熱心にご信心をされていた。
しかしお義母さんの考え方の中には
みんなで祈れば亡くなられた故人が助かるとか
生前に好きだった物を御供えすると
故人が喜ばれるという思想がなかった。
そのことについてはあまり話をしたことがないが
おそらく人が亡くなり、火葬して遺骨になると
もうそこには故人の遺志は残っていない
と考えてこられたのだろう。
そう考えることで、先立たれた娘や夫、息子との
お別れをされてきたのだろう。
一方、私の父はいつまでも亡くなった父母のことを思い
親孝行をしようと毎朝早くから起きて
教会とお寺、お墓の参拝と清掃をずっと続け
お彼岸の頃になると私と妹に
「おじいちゃんとおばあちゃんから届いた」と言って
お下がりのお菓子を袋に詰めて持ってきていたが
父の認知症発症とともにお菓子も届かなくなった。
妻は亡き義母の考え方を思い起こしているうちに
どれほどのお供えをしていても
義母の心には届かないような気がしてきて
御供え物を整理したらしい。
私たち夫婦の考え方としては
どちらかと言えば父の考え方に近いが
結局のところ、故人のためと言いつつも
残された者の気持ちとして
せめてもの気持ちを現わして
御供えすればいいと考えている。