義母の四十九日法要を夫婦だけでさせて頂いた。

妻のいつもの勤行のあと、洗濯物を干してから2人でさせて頂いた。

創価学会式で行われたので詳しい名前は分からないが

第二と第十六というお経では、

妻の読み上げるペースが早くてとてもついていけない。

それでも必死に目で追い、妻が涙ぐんで止まった時には

続けて読み上げるように心掛けたのだが、すぐに追い越され

途中のぺージでは2ぺージまとめてめくってしまい、元のぺージに戻ったら

もうどこを読み上げているのかさっぱりわからなくなった。

少し先で待ち構えていてもすぐに追い越されてとてもついていけない。

妻が貸してくれた教本には第二と第十六しか記載されておらず

第一や第三から十五はどうしたんだろうか?という疑問だけが残る。

 

そのあと、「南無妙法蓮華経」とお題目を上げる。

必死にあげているといつの間にやら合掌している手が上下に揺れており、

自らの身体で調子を取っているのが分かったが、

妻はじっとしたまま唱えているのを見て、自分も身体を止めた。

私の合掌は、左右の指が交互に指の間を過ぎている。

これは真言宗で行われる印(いん)のひとつで

金剛合掌というらしい。

高野山大学に通っていた頃に覚え、ずっと使っている。

仏様とのご縁をより強く結ぶことが出来ると言われている。

私は日頃の金光教での参拝でもこの印を利用させて頂いている。

 

時より妻が涙ぐんで止まる。

今こそ実力を見せつけるチャンスと必死になって唱えている。

お題目も唱えながら、「自分は何をやってるんだ」という気持ちにもなったが

亡くなった義母への供養になるならという気持ちで必死にあげている。

妻ならこんな時、自分(創価学会)のお経をあげているのを知っているが、

自分は創価学会式にお題目を唱えていることについては、

日本語で言うところを外国語で話しているというふうに考えて

あえて抗わず長いものに巻かれておこうという気持ちで合わせておくことにした。

 

しばらくあげていると、今度は

「いつまで続くんだろう?」という気持ちにもなってきたが、

やはり今日は長いものに巻かれておこうという方針で続けていると

ゴンゴンゴンゴンゴンゴンと鐘がなって、ホッとしたというのが本音である。

この鐘が鳴れば、南無妙法蓮華経を三唱の後に終わることを知っている。

妻の毎日の勤行を聞いていて、そうだと分かっている。

 

妻は私と一緒に法要が出来たことを喜んでいる。

私でなきゃ勤行をしているところを後ろから蹴られるところだというが

そんなことなどする訳がない。

私自身もお義母さんにはよくお世話になったし

可愛がってもらってきた。

しかしながら信心に理解のない家庭では

そういう仕打ちを受けている人もあるということだろう。

 

今日の四十九日法要に合わせてお花と御供物が送られてきた。

私側の親戚からの物と妻側の親戚からの物である。

そういう気遣い方があるのを初めて知った。

教会では当たり前にしているのに

家庭に置き換えれば思いつかなかったことに自分でも驚いている。

他にも今日の四十九日法要を知らせた身内もあったようだが

何ら音沙汰のなく、妻は残念に思っていたようだが

御供えという形で表現されることだけが正しいのではない。

自分たちの知らないところで手を合わせてくれているかもしれない。

 

夫婦2人だけの法要だったが、

義母さんにせめてものお供えが出来たことがありがたい。

妻も私が一緒にお経をあげてくれたことに感謝してくれている。

この妻と出会い、一緒に人生を歩めていることに感謝している。

そして私たち夫婦をいつも見守って下さったお義母さんにも感謝している。

お義母さんありがとうございました。