先週のブログでお義母さんが衰えてきた話を書いたが
それから程なくして静かに眠るように亡くなられた。
昨年末の出来事だったので今年のお正月は喪中であるはずだが
すで年賀状も投函した後だし、お正月の準備も終わっていた。
妻は仏壇にお供えしていた鏡餅を下ろさなければならない
と思っていたようだが
90歳という年齢からしても大往生と受け止めて
いつも通りのお正月をお迎えすることにした。
義母との出会いは、妻とおつきあいを始めて
1ヶ月くらいした頃、御挨拶に伺った。
デートのたびになぜか涙を流し、意味が分からなかった妻のことを
「この子は本当に泣かん、強い子でしょう」と言われて
吉本新喜劇張りにこけそうになったけれど我慢をした。
妻との出会いは1年前のことで
知り合ってすぐに兄が若くして亡くなられているが
その時は浅い関係だったので葬儀にも参列していない。
お義母さんは妻の話よりも
会ったこともない兄の話ばかりをされ
一時退院した時に発表された「信心生活発表」のテープを聞かされて
妻のことよりも兄のことを大切に思っておられると感じ、
母一人子一人の母子家庭でありながら
自宅が妻にとっての居場所でなくなっていて
自分と居る時間こそが居場所になっていて
緊張の糸がほどけ、涙を流していたことが理解ができた。
いつだったか妻の家に遊びに行った時に
信心の話をされる機会があり
信心をしていれば助かっていくという話に
「そうなりますね」と答えたら
「創価学会を信心していないあなたにそんなことが
理解できる訳がない」と強く否定されたことがある。
当時の義母は亡くなられた兄夫婦の影響から信心熱心で
親子共々、創価学会のみが正しいと捉え
金光教を信心する私には、分かるはずがないと思っておられた。
それから2年後、妻と結婚させて頂いたが
義母は古風な考えをもっておられ
結納式をしたいと仰って行なったり
結婚するにあたっては、白無垢の状態で嫁にやりたいと
よく仕事をしてくれる妻には辞めてほしくないと願っておられた
上司の気持ちもけんもほろろに退職させられた。
私たちの新居は、私の両親が住む実家と
義母の自宅のそれぞれから続く鉄道路線の交わる位置に
築40年の平屋のボロ家に決めた。ボロ家といっても新居というのがおかしかった。