一週間経過。
この間の特記事項。

・夢で、後輩の車に乗る時に「この車、タバコすっていいの?」と質問していた。

・朝、喫茶店に入ろうとする時に次を頭で瞬間的にこれまでとどうように思った。
「あー、これから温かいコーヒーと静かな音楽と一服のタバコで一日を始められる」
しかし、次に
「あー、そういえばタバコと別れたのだ」と思い出す。
大学浪人1浪目で全て全滅。
このままでは駄目だと思い、環境を変えて1から出直そうと決意した。

北海道の大学志望であり、かつ、叔父が独りで札幌にいたため、叔父のところに居候して2浪目を宅浪することにした。

札幌に出発する前日夕方、自転車で葉山森戸海岸に行った。子供の頃から慣れ親しんだ海。今でも脳裏に残っている。波の音、夕日、富士山。
大げさだが、
心の中で「やるぞ」と誓った。海を見ながら。実はその時に、ラーク(LARK)を吸ったのだった。当時、洋タバコは高目というか、日本のタバコとは別扱いで高級な気分になった。
家から歩いて100mあるかないかのところに
タバコ屋があり、父はそこを「はっちゃん」と呼んでいた。
タバコだけでなく、パンやお菓子があった。
その向かいに八百屋と魚屋があった。

中学1年までは、私はこれらのお店に大変お世話になった。
初めて接する社会の窓口である。
母に紙を渡されてよくお使いに行った。

父からは100円渡されてハイライトを買ってきて20円の
おつりを必ずくれるのである。
このハイライト今もデザインは当時のままだ。
自動販売機はまだなかったはずだ。
「ハイライトください」と他の者に比べたらずいぶん自信を
持ってオーダーできた品物だったのだ。
高校3年の時。クラスのHに誘われ、屋上の階段で
休憩になると吸っていた。

まあ、Hは変わった面白いやつで、タバコを吸いたい
というよりは、そうして彼とくだらん話しているのが
心地よかったということか。

彼はすでに相当ヤニ臭くて困った人だったが。

当時はセブンスター。

ハイライトはちょっときつかった。

ハイライトでまた父を思い出した。
小学校1年の時に「おとうさん」というテーマで作文を書いてきなさいという宿題が出た。

私は「よしよし」と思っていることをすらすら書いた。

それは食事の時の父のタバコと説教に対する不満であった。
6人家族の夕食は長男の私にとって小学校1年の時からすでに苦痛であった。
かけ算の九九ができないとベルトで私の尻を馬のように叩く人なのだ。

作文ではタバコでご飯がまずくなることを延々書いた。それで、こんなことばかりだと申し訳ないので前半に「良く遊んでくれる」と書いておいた。実際、野球など沢山遊んでくれた。ただし、金田のように右耳を腕が擦るように(注)速球を投げるよう指導されたが。((注)この指導方法は誤りで、耳から寧ろ離していくくらいのほうが良いのである)

自分では大満足で作文を先生に提出した。
後日、父兄参観日があり、教室の後ろに貼られた作文に父も目を通したと思う。どういうコメントをもらったかは記憶していない。ただし明確に覚えていることがある。担任のH先生から「中山君、あまりいい作文ではないですね」と。このH先生、猛烈に怖い女先生である。朗読や清書がもの凄く上手。生粋の横須賀育ちで「じゃん」を連発していた。ともかくおしっこをちびりそうになるくらい怖かった。
そんな素晴らしいH先生にいろんなことを学んだが、この作文の件は納得できなかった。僕の気持ちをダイレクトに出した作文が何故いけないのか、と。概ね皆は「父は素敵だ」と書く。そして父兄参観で父がニコニコする。先生は私の父を敬う心のなさに落胆し「いい作文ではないね」といったのだろうか。

今は父も74歳。
私は遠く離れており、1年に1度会うか会わないか。たまに会うが、相変わらずであり、それはとても喜ばしい。

今の私の別煙は私の父が禁煙したことの影響が大きい。「確か父は55歳くらいで禁煙したはずだから、私にも可能であり、私は父よりは早く禁煙してみせるのだ」と。
昨日は頭痛がしたが、ニコレットで治った。
ニコレットは効かないと言ったが、そうでもなさそうだ。

3日目。
忘れている時と、吸いたいと思わない時と、吸いたいと思う時。
この3つの占める時間比率の割合が変化しているようだ。

これを私は
「禁煙3時限の理論」
と命名する。
肺に初めて煙りを入れて、目眩がしたのは中学2年のスキー合宿だった。

それまで口の中でふかしていただけだったが。
「これがタバコの意味なのか」と妙に納得させられた目眩であった。
この時はこれで終わった。

当時はTVでショーケン、水谷豊の「傷だらけの天使」が放映されていた。
宇崎のダウンタウンブグウギバンドも流行っていた。

スキーバスの窓から道を歩く同世代に「へいゆー、はのうらー?」と
問い掛けると「まっくろ」と答えが返ってきて、皆で盛り上がったのを
記憶している。

14歳。最も大人に反抗したくなる歳ではないだろうか。
大人は経験から物事を僕らに言うが、僕らはそういう経験がないし、そういう経験を活かすことの経験もない。できるかぎりやってみて自分で納得したい。

タバコは大人への小道具のようだった。
吸えなくなった時から「吸いたい」と思う。

まるで恋人に別れを告げられたが、どうしてもまた逢いたい時のような。

別煙のあくる日であるが、落ち着かない。こうして書いていると気が紛れる。
ニコレットを気休めに買った。

ということで、
ニコレット、飴、コーヒーで代替え。

ニコレットが効くかと聞かれれば、正直言って
効かない。
小学校くらいの頃だっただろう。
正確な時期は覚えていない。

昭和40年代。両親と兄弟と祖母の6人家族。祖母は60歳を過ぎていたが旅行代理店の仕事で毎日忙しそうだった。たまに海外に旅行をしていた。家族で羽田に見送りに行ったものだった。

洋間には亡き祖父から引き継いで使用していると思われるパイプやタバコ入れがあった。父が子供の頃、祖父の仕事の関係でカルカッタに住んでいたとのことで、その時の調度品が洋間にあった。

洋間のタバコのあるところは独特の雰囲気と香りだった。父の匂いかもしれない。タバコの葉の甘く何ともいえない優雅な匂い。「大人」ってなんなんだろーって。

試しに吸ってみたら当然むせた。紺色のピースの缶の記憶である。