『ジョハリの窓』を耳にされたことはあるだろうか?
 
私の勤める会社の新入職員研修の定番事項でもある。(なぜ、テーマになっているのかはわからない)
 
ジョハリの窓は以下の4つの窓に分類される。
 
①開放された明るい窓  ⇒ 自分も他人も知っている自分
 
②秘密の誰も知らない窓 ⇒ 自分自身が知っているが他人は知らない自分
 
③盲目の窓  ⇒ 自分が気づいてないが他人から見られている自分
 
④未知の窓 ⇒ 自分も他人も知らない自分
 
この前、月9で、「大切なことは君がすべて教えてくれた」というドラマをやっていた。
 
思わず、ジョハリだと感じた。
 
これは、簡単に言えば、「自分の知らない自分」をもっと解消(減ら)しましょうというものである。
=①の窓を拡げていきましょうということである。
 
ジョハリの窓には二つの要点があるらしい。
(1)自己開示が進んでいる
(2)他人からのフィードバックが進んでいる。
 
多少飛躍した論理で、途中を省略するが、ちょっとした『気づき』があるだけで、ヒトは大きく成長できるのだということもいえる。
 
付き合い方が下手な人は、こういったジョハリ的な解釈をしてみてもイイと思う。
 
そうすれば、きっと未知の自分(境地)に出会えることができ、併せて、自分が知らない相手を理解することもできるはずである。
 
 
さて、話は若干、変わるが、ヒトとヒトは長く居れば居るだけ、相手に求めるものが高くなり(欲深くなるため)、ついつい粗さがしばかりをしてしまう。
 
後片付けができない、時間を守れない、ありがとうもごめんも言わない、何かしら言い訳を言うなどなど、どうしようもない相手の特性(人柄)を見続けることが、一見、腹が立ち、無意味だとしても、なくてはならない日常になっていることがあると思う。
 
相手を理解するということは、苦いものだと思う。しかし、自分が「苦い」と思っていることは、相手も「苦い」と思っているに違いない。
 
そう考えれば、日常のちょっとしたことを褒めることや新しい気づきをつかみ取ることが、あらためて大事なことだと認識することが大事であると言い聞かせるのは、私だけだろうか...
先週末、映画を見るために東中野へ行った。先週の土曜日が公開初日のマイナーな映画で、暴力映画である。
あまり、暴力ものや任侠ものには興味がない私が見に行った理由は、単に監督や出演者の舞台挨拶があるからという理由である。
決して、人気度が高いわけではないが、出演した人達の話を生で聞く機会もそうそうないので、内容よりも出演者に会えるといった興味本位でしかなかった。
 
映画の内容は、超極悪の連続犯罪者が主人公。その主人公から雑誌出版社に次回の犯罪のための取材依頼を記録したテープが送られてくるといった導入から始まる。
 
その後、インタビュー取材のみを行い、スクープになると思って、警察に通報することなく、取材を試みる男1と女1が思いがけない展開に巻き込まれていく...
 
私は、映画鑑賞しながら以下のような疑問と不安を感じた。
 
この映画は、超極悪的な描写があり、この映画館を鑑賞に来た来館者の方々は、どういう方々が多いのか?どういう関心があって、見に来たのだろうか? っと。
 
鑑賞している間に、変な気(狂気的)にならないのだろうかと心配するほどの内容であった。
 
 
映画終了後の舞台あいさつの中で、監督さんが下記のように内容を総括された。
 
「昨今のコミュニケーションが下手な人間が多い中で、主人公が、どのような形であれ、コミュニケーションをとろうと試みている姿を描くことを考えた場合に、暴力といったテーマでの作品づくりが監督の中では、想起されるらしい。」
 
たしかに、コミュニケーションのカタチや取り方は、多様化し、複雑化しているのかもしれない。
 
しかし、それは、あくまで方法論でしかないともいえる。
つまり、コミュニケーションをどのように取るのかではなく、「自分のすべてを理解してもらう」、「相手のすべてを理解しようとする」といった腹を割る姿勢が重要なことなのかもしれない。
 
ついつい、日常的には浅い、そこそこの人間関係を形成しようとする。そっちのほうが、面倒くさくなく、楽だからである。
 
しかし、今自分が生きているこの世の中の周囲の人たちが、自身のことをよく知らないヒトばかりになってしまったらっと考えるとゾッとする。(この映画館の中のような、暗く闇のような状況だ)
 
そういったヒトが増えれば、コミュニケーションの取り方をどうすればよいのかといった方法論ばかりが主命題となってしまい、
なぜ、コミュニケーションが必要なのかといったことは二の次にされるのかもしれない。
 
そのような、何を考えているのか分からないようなヒトが増えていく世の中は願い下げだが、そのような人々を作っているのも、また自分自身なのかも知れない。
連続時間観測法、サーブリッグ分析をビデオトレーニングした。

まず、要素作業(ひとつひとつの動作)や動作レベルに切り分けて、抽い出すことが重要となる。

連続時間観測法は要素作業の抽出の有無を関係なく、時間を追って作業内容と時間を書き出すこととなるため、わずか数秒の作業が続けば、たちまち記入が遅れ、お手上げ状態になる。連続で観測するだけあって、非サイクル作業(非定型の作業)を分析するときに用いる手法である。
稼動分析を行うものであり、空歩行や待ちがあれば改善の余地があるということである。

次にサーブリッグだが、これは17の基本動作に分けて、動作レベルで分析することらしい。
手を伸ばした~モノを掴んだ~モノを運んだ~位置決めした~モノを運んだ~手放したといった動作レベルで分解して行くことである。いかに、効率的な動作をすべきかといったことだと思うが、実際、トヨタ自動車などは常に意識的に改善に向けた分析をしているらしい。
これが出来ているか、出来ていないかの差が、企業業績に繋がっているらしい。ひとつひとつの成功事例や改善の積み重ねともいえる。しかも、この動作分析は、金がかからない改善であるため、設備投資による合理化に比べ、日常的に取り組むだけのメリットが在ることも承知しておくべきことだといえる。

さて、工場には沢山の加工機械があり、沢山の作業工程が有ると思う。
闇雲にすべての作業者や工程を分析するのではなく、先ず各工程の全体的な流れを捉え、要素作業を洗い出すことが重要である。そうでなければ、工場内で何をどのようにやってるのかサッパリ解らないままでは、効率的に調査が進まないどころか、的外れな信頼性の低い調査結果が出てしまうことが懸念される。

続いて、稼働率の高い機械や工程、投資額が高そうな機械を重点的に分析することが望ましい。
それは、稼働率が低い、つまり、もともと遊休に近い機械を分析しても意味がないからである。また、高い機械ほど無駄をなくして、その設備投資した資金を短期間に回収するためのムダの排除が必要となるからである。

われわれは、工場内のモノづくりのプロではない。
それゆえ、固有技術は改善できないが、管理技術レベルでのコンサルのプロでなければならない。
IEを再確認している。
大きくは、作業分析と作業測定に分かれる。
動作や工程を分析する分野と実際に標準時間を測定する分野である。
この分野の大きな背景には、テイラーの科学的管理法とギルブレスを始めとした動作経済の原則があるようである。
テイラーといえば、企業経営理論では、人間性を無視するがゆえに、あまり評価が高くない参考書が多かったが、生産管理では好評な人物みたいだ。
ギルブレスのサーブリック記号も18種類で第1~3類まであるようだが、ギルブレスを逆さ読みしてサーブリックは、安直的で笑うにも笑えないのは私だけだろうか?
いずれにせよ、合理的な生産を行いQCDを最適化するといった考えが主眼にある。
あまり、製造業が得意ではない私としては、なぜ、その分析や手法を行うのかといった目的や狙いに主眼を起きながら取り組むことを心掛けたい。
今日から、心機一転。
製造業のフェーズに入った。
今日は、導入編と気楽に構えていたが、生産管理系の知識が歯抜け状態である。一次試験では点数稼ぎの分野であったにもかかわらず、見事に記憶の引き出しから出てこない。
自身の知識の未定着ぶりに失望するととにGW明けの専制パンチを喰らった感じだ。
おそらく、いやきっと多くの同期生が同じような胸中だったに違いない。
慌てた私は、一次試験の時に作ったマイノートを見直し、がっかりとしながらもあらためて前回のブログを読み直したところである。また、明日。
真摯に向き合うしかない。先ず、ごはん食べよう。