今回の競輪学校、わがジムから2名、アドバイザー1名、計3名合格!!

今年も何とか競輪学校に合格者を出す事が出来ました!
まずは一人目、濱田 翔平受験生。ちょうど二年前に我がジムから合格した夏山選手(2015年10月にて引退)の後輩で、どうしても競輪選手になりたいと志願。
話を聞いてみると日本憲法で学生日本一、一般準優勝に輝いて、プロボクサー目指して上京したが
、ボクサーは自分に合っていないと気付いてどうしようかと悩んでいた時に、先輩の夏山選手がわがジムで競輪学校合格してるのを見て、自分もと思い競輪学校受験を決意。
最初見たときとにかく動きが硬くて、やめておけと僕は何回も言いました。しかし何回いっても受けたいです、頑張りますというので入会を許可。
最初の1っか月の練習は動きが硬い、ウエイトも全然、だけどパワーマックスのキープ系だけはきらりと光りものがありました。
そして日がたつにつれてウエイトトレーニングもなれてきて、トップサイドで340kgほど引くようになり、何とか一通りはトレーニングができてきました。それに伴い体も大きくなり、最初来たとき86kgほどが、96kgほどに増加。みるみる体が大きくなりました。
1回目の試験は8kp20秒で1160Wほど。通るか通らないかの瀬戸際ラインだったと思いますが残念ながら不合格。そこからもあきらめることなくコツこつジムに来ていました。
2回目は6月に社会人憲法日本選手権があり、ここで3位以上になって1次免除を取りに行くのが前半戦の目標。我がジムに回数も控え目にさせて、とにかく目標を達成できるようにと厳命。
見事そのかいあって優勝し、出場選手の中のMVP、防衛大臣賞、厚生労働大臣賞をWゲット!!
1次免除を手に入れました!!
その後はパワーマックスとウエイトトレーニングを並行させていきましたが、安定して1120-1140Wは出ますがその先が出ない。そしてウエイトトレーニングを見ていると、あまり好きではないのが僕はわかっているし、本人も出し切ろうとする意志が感じられない。
そこで9月の終わりあたりに「もうウエイトトレーニングはするな!基礎トレーニングだけをしろ!」と説得させて、基礎トレーニングの開始。そうすると1週間後から4週連続にかけて自己ベスト連発!!
そして集大成が、11月の大合同トレーニング会で出た8kp20秒1202Wです。
いやーーこれを出すのに、わがジムに来て1年10か月かかりましたからねー。本当に最高の瞬間です。そしてもう一度1200Wジャストも出しました。
そして無事試験を終えましたが、合格発表まで1か月半。そして今日の合格発表、心臓が飛び出るんでないかと思うほどの心境だったとの事。本当に合格してよかった!
通るためにもう一回拳法復活させて、目標達成した瞬間適性対策に切り替え。そして見事合格を勝ち取りました!!本当におめでとう。

次は成田かなえ受験生。この写真は7月の打ち上げの写真で、一番手前左が浜田受験生、その奥が成田受験生。
成田受験生の出会いは偶然。これも元S級競輪選手、泉利和選手が陸上選手の全日本以上出てる選手を集めた飲み会で、たまたま隣にいたのが成田選手。その時はたわいもない話をしましたが、電話番号は交換していて、次話したときに僕が山登りトレーニングするから一緒に行くかというと、ハイとついてきます。という。
そして動きを見てみるとものすごいばねがある。話を聞くと、中学生の時100m12秒0だったと聞いた。そして大学を卒業するときに競輪学校1期生を受けてみないかという、御誘いもあったと聞く。
そこで選手賞金表や、小切手ボードあげている写真とかを見せて、「こんなんどう思う?面白そうでないか?」と聞くと、勝負師魂が騒いだのか、うれしそうに目を輝かせている。
そして我がジムにとりあえず来てみろと誘うと、パワーマックス5kpいきなりで125回転。ウエイトトレーニングもそこそここなした。
そこでパワーリフティングをまず出場してそこで力試しをして、その後競輪の試験の対策をしようと計画。
まず力試しの近畿パワー、スクワット87.5kg、ベンチプレス50kg、デッドリフト142.5kg、トータル280kgで見事優勝。
そして1次試験前の垂直跳びと背筋力の測定。MAXで垂直とび70cm、背筋力180kgを記録。安定して62-64cm、140-160は記録していました。何かの拍子でボンと記録が出る。
1次は難なくクリア。2次は成田受験生が、ガールズのブログを見て、5kp165回転、0.1kp245回転を目標と決意。
5kp160回転、0.1kp235回転のところまでは行くがその先が、なかなかいかない。
そこで基礎トレーニングにトレーニング方法を移行し、そこからこれまた2回目のトレーニング後自己ベスト連発が来て、結果5kp170回転、0.1kp247回転まで行けるようになりました。
自信をもって送り出しましたが、その期待に応えて見事合格です!

弊社アドバイザーで、ニュースでも取り上げられた、2015年ハンマー投げ日本チャンピオンの野口裕史選手も見事合格を果たしました。
野口選手はもう最初っから当たり前のように強かった。琴奨菊関との合同トレーニングでもコーチを買って出て、何をやらせてもめちゃくちゃ強い。
最初わがのジムに来た時のパワーマックス、いきなり出してくれたのが8kp20秒1296Wでした。
野口選手は、わがアドバイザー就任のきっかけは、野口選手からの直談判「室伏倒して、競輪に行きたいのでアドバイザーさせてください!!」
そんなん言われたら支援するしかないので、一緒にトレーニングや、琴奨菊軍団との合同トレーニング、そして常に電話で報告合戦と、琴奨菊関と野口選手が一番電話で情報の共有をしました。
競輪試験での助言は「試験までに絶対怪我するな!!」「学科の勉強をしろ!!」
普通にしてたら合格するので、とにかく無事試験を受けさせることが重要。何事もなく受験ができて、無事合格できました。
競輪選手はなってからずっとしんどい練習、落車による怪我、オフがなく気が休まらないことが引退するまで続きますが、とにかく無事学校を卒業して、地元に貢献できる選手になってほしいと思います。本当におめでとう。これからもちゃんとジム来いよ!!
琴奨菊軍団、初場所に向けて3回の合同トレーニングを行いました。明日は千葉競輪場で合トレ!



もう場所前一緒にトレーニングすることが当たり前になってきました。
初場所に向けて、12月16日、27日、1月2日と3回にわたり合同トレーニングを消化。
明日1月7日に千葉競輪場で、合同トレーニングをして初場所に向けてのトレーニングは終了です。
先場所は10日目のすねの怪我で序盤の勢いはあったのですが、何とか勝ち越しで今年を終えました。
九州場所の菊関の意気込みは半端でなく、ヘルペスやいろんな吹き出物も出ていました。九州場所の宿舎も新しいところになり、地元出し気負うものも多かったんでしょう。しかし最低限のことはやってくれてよかった。
九州場所が終わってからとにかくいろんな疲れもあるだろうから、その後の2週間の巡業に関しては、特にこちらが指示することなく、怪我せず終わってと言いました。
その九州巡業を終了して、12月第3週で千葉に帰ってきてからがスタートです。
1回目の合同トレーニング会では、全般的に動きが悪かったのとしんどい事への体制がなくなっていました。
2回目の合同トレーニング会では、しんどさの体制はできていました。まだ体は小っちゃく感じていました。
3回目の合同トレーニング会で、会った時にびっくり!!でかさが増していました!!それに伴いトレーニング内容の濃さも充実!!この3回目のトレーニング会は、主に対戦形式のタイムトライアル形式で出し切りをイメージしてやりました。特に1対1の綱引きは無類の強さを発揮!
全般的にトレーニングの内容も出力が増していました!
そしてこの4-6日までの一門稽古の時で、稀勢の里関との三番稽古の動画内容を見ました。
新聞紙上では、2勝8敗だの、3勝7敗だのと書いていますが、僕は動画で稽古内容を見ました。
立ち合いの圧力が菊関格段に増しています。まったく心配ない!大丈夫というか、確実な仕上がりを僕も見て感じました。
とにかく最近菊関との言葉で増えた発言があります。「優勝」
よー、この言葉を言っています。半年前ならその言葉を言っても、とりあえずいっとかないと、というとらえ方でしたが、本人は本心でいっているし、僕もその言葉が出る根拠と裏付けをしっかり出せていると思います。
もちろん勝負の世界なんて、どう転ぶか全くわからないですが、それがあり得る根拠と裏付けは本当にしっかりできてきました。
とにかく相撲に向き合っています。おとといから我が菊関軍団のサポートチームのラインができて、菊関、奥様、僕、トレーナー2人で状況を共有しています。
車も菊関買いました。

今までは、本当にボロの「BB」だったんです。2003年ぐらいの奴じゃないですか?それも当てたりでボロボロ。15万キロほど走っていました。
それをアルファード買いました。これに世間的には落ちがつくのは、「中古」。
懸賞金で一括で買いました。天下の大関が「中古」。
菊関あんまり物欲とかはありません。実は家も今の住まいは賃貸、それも「アパート」です。オートロックとかそんなンないです。建物自体は新築ですが、本当に世間の人が住む「アパート」です。
じゃあ菊関ケチなのか?と思いきや、一番お金を使っているのは、「人間関係」「相撲に対する経費」
よく若い衆にお金出しています。僕に対してもそうです。トレーナーに対してもそうです。
めちゃめちゃ出しています。
アルファードももちろん前の車がボロボロすぎたというのもありますが、アルファード買ったのは移動手段でダメージを軽減するため。格段に楽になったと思います。
何にお金を使っているかといえば、一言で言ったら「相撲で優勝するため」といって今いいと思います。
毎日電話でしゃべっています。嫁よりも、友達よりも、トレーニング仲間よりも、遊び仲間よりも誰よりも、菊関と電話している時間が長いです。それの関連している野口選手、知念選手とかも含めてらものすごい時間です。
なんかやってくれる気がしてなりません。もちろん相撲って強いから勝つじゃなくて、勝つ奴が強いという側面も十分にあるし、勝負事ほどわからないものがあるから不確実なことは断言できないけど、その展開になれば十分につかみ取る体勢はできています。
明日は千葉競輪場で合同トレーニングです。ものすごい新鮮な気持ちでやりたいと思います!
トライアスリート松井氏との実験と検証の日々。

赤穂パワーの記事はまだ書いていませんが、先にこっちを書きたいと思いブログをつづります。
久々の松井選手との再会で、再び電話をよくするようになりました。
松井選手は、昔は総合格闘技→パワーリフター→トライアスロンとの競技歴。パワーリフティングからよくかかわっていて、僕と共通しているのは競技に突っ込んだらいろいろなアイテムを駆使して少しでも上に行きたいという気持ち。
二人ともノン対策では天下獲れないのはわかり切っているんで、そのような行動をするのだと思います。
久しぶりに再会して、買っていただいたのはトリノックスネックレスとサポーター。
まだネットショップにはあげていませんが、かなりの主力商品。競輪選手をはじめ、特に前に走る競技の選手が買っていただいています。
そしてサービス品の試供品で、SSゴールドを渡しました。この3点で何をしたいのかというと、体が前に進む周波数にして、惰性で進んでもらいタイムを縮める事。
文章だけ見ると何を書いているのか他の人には、さっぱりわからないと思いますが、要はネックレスやクリームで使われている、「石」の周波数を利用して前に進むことです。何を馬鹿なと思いますが、実際そういう事が出来て、特にフォームのレベルが低い人ほどよく変わります。
石も人によってつけるタイプが違い、首につけるのか手首につけるのか、足首につけるのかでも、同じものでも動きが変わります。それを前に走るに一番適しているのを探っていって、それを練習や、試合に使っていくということです。
ちなみに僕が3.8kmほどあるアップダウンの激しい、家からポイントまでの往復コース。
現在体重90kg
ノン対策の場合 25分ー26分の間。 脈は平均150ほど
パワー1000のネックレスとサポーターとクリーム 23-24分の間
前回23分51秒。 脈は平均155-160の間
パワー1500のネックレスとサポーターとクリーム 21分37秒から23分の間。
前回 22分45秒 赤穂パワー前 21分45秒 体重85kg台の時のベスト 21分37秒。
この様に違います。
そしてパワー1500をつけている場合で自分がパワーリフティングの試合前で、「ピークコンディション」を飲んでいるときは、決まって21分台を突っ込みます。
ちなみに去年は、そういうアイテムもなく、一番早いときで85kg台で24分3秒でした。
それが体重が増えても自己ベストを出している。もちろん基礎トレーニングの効果もあるでしょう。
ただパワー1500をつけた時は、途中で足や息がいっぱいになり、途中リタイヤすることも多いです。息はまだ耐えれるというかペースを落とせばいい話ですが、足が攣りそうだったり、筋肉的な疲労の場合は動けません。
その時に、今試しているトルマリン・チタンクリームを塗ると、筋肉的ダメージがだいぶなく完走できます。
2日前のランニングの時に、足全体、腰まで塗り込みました。
もちろんダメージは本当に吸収される感じで、いいこともありますが、デメリットとして、推進力特に下りが減退することが分かりました。
この時のタイムは22分45秒。もしふくらはぎまでのトルマリンだと、22分10-20秒台で走れる雰囲気でした。ただこの走った二日前にスクワットでダメージがだいぶんあったので、全体に塗らない場合、走りきれたかどうかが疑問です。
やはりその時に応じた、自分の体へのセッティングがむちゃくちゃ大事な感じがしました。
そして松井選手。帰ってくるフィードバックが全部自分が想像した通りのフィードバックです。
パワー1000とサポータとクリーム。
脈が平均6-10の間で上がり、推進力があり、なおかつ楽に前に走れる。自転車でもランニングでも一緒
パワー1500とサポーターとクリーム
脈が平均10-13の間で上がり、推進力がかなりある。ペース配分をきちんとしないと筋肉的に持たない場合もある。コンディションが良いときにつけて、とにかく前半のぺーすをセーブ気味にするのがポイント。
特に上りの推進力の伝達が格段によくなった。とのフィードバック。
大体10㎞走で50分の選手は、2-4分変わると思います。とにかく前に進む方向性を理解し、衝撃をできるだけ少なくすることを覚えて、トリノックス系をつければ、すぐにタイムは縮むでしょう。しかしそれはもともと自分の力を引き出せていないだけで、それを引き出せるとフォームやアイテムをつけるだけで変わります。問題はそこからで、これを模索しないといけません。
それが基礎トレーニングなり、スピード練習、心肺の上限を上げて、キャパを広げる苦しいトレーニングになるのかなと思います。
今回の記事は、ほぼ松井さんか、ランニングをこよなく愛する人しかわからない記事になってしました!
HPA所属でベンチプレッサーの、谷口学習塾倶楽部代表の谷口隆美選手がお亡くなりになりました。
本当に残念な訃報です。表題のとおり、谷口隆美選手が、がんからの併発でお亡くなりになりました。53歳でした。
谷口選手は、59kg級の選手で塾を経営しながら、ベンチプレスを塾生を中心に育てて自身もベンチプレッサーとして頑張っていました。
本拠地が川西市で、川西の体育館を拠点として頑張っていました。
何年か前にがんを告知され、(3-4年前?)その時胃を全摘、腸も一部しかない状況でした。
僕はもう10何年も前から知っている選手でしたが、昔から出来る事をこつこつするタイプ。
ぶっちゃけ、強い選手ではないですが、記録への向上心はものすごいものがあり、ノーギアなりフルギアなり自分が少しでも活躍できるところがあれば飛び込んでいくタイプ。
僕もそのタイプだし、若い選手で行ったら松岡君もそのタイプ。
その全摘した後の兵庫ベンチで、フルギア参戦して107.5kgを記録し、地元主幹協会枠にて、初の全日本ベンチプレス選手権に出場しました。
記録は10位で112.5kg。出来る事を精いっぱいやって確実な爪痕を残しました。
その後も、自分が出れる試合は全部出ると、パワーにも挑戦して、トータル305kgを記録。
今調べてみると出雲ベンチにも出ていました。
そして生前最後の大会になった、9月の交流ベンチ。試合が終わってから僕のところに来て、
「またがんが再発して手術と抗がん剤治療を受けます。戻ってこれないかもしれないけど精一杯戻るようにします。」とおっしゃっていました。
がんの手術を受けてからは試合に出る度に「楽しい楽しい」と言っていましたが、もしかするともう死期を悟っていたかもしれません。それでできる限りでようと。
しかし残念ながら土曜日12月19日夕方お亡くなりになりました。
我が協会からは、古城会長より花と県協会より香典、通夜に聞いている限りで帯谷理事長代行・善本光彦理事・善本弥生運営委員、そして告別式には協会を代表して、僕が参列しました。
そして最後のお別れのシーンですが、御顔を見ようとのぞいてみると、パワーのJAPANTシャツを着ています。隣に釣りパン。そして棺の横には、メモリアルコーナーとの台があり、20年のHPA新人賞メダル、兵庫ベンチの金メダル、全日本ベンチに初出場した写真があります。
最後の服装にJAPANTシャツを着て逝くか。それ見て動けませんでした。
僕は兵庫協会の長をしていまして、同じ2トップの古城会長ともよく話するのが「ルールの枠内では、目一杯選手よりにするべき。」といつも言っています。
パワーリフティングという、世間はほとんど知らない競技で、強くなって世界とっても「すごいですねー」とお世辞をちょろっと言われるのが関の山の我が協会。
そんな世間では認知されていなくても、その現場でやってる選手はいろいろな思いを込めて試合に出場します。
強い選手もいれば、弱い選手もあり。しかしその試合に向かう気持ちが大きい選手は、できる限り大きい道に進ませてあげたい。それの最たるものが推薦であり、国際大会の標準をクリアせれば権利を有するなどの制度や、試合では華やかに選手がスポットライトが当たる演出となると僕は思っています。
谷口選手は決して強くないけど、思いはそこら辺の代表選手はるかに強い選手で、推薦ゲットして一般全日本に出場し、日本で10番目に強い選手になりました。
あの棺の中の姿と、台に置いてあったメダルと縦と写真を見て、さらにその気持ちが強まりました。
焼香を済ませて、喪主の奥様と会釈するとき「わざわざ来てくれてありがとうございます」と明らかにほかの参列者と違う対応でした。協会を代表する立場で行けてよかったなと心から思いました。
我が協会では、来年の兵庫ベンチを「谷口隆美メモリアル」にすることを常任理事会で決まりました。あとは親族が賛同してくれるかどうかですが、そのことを昔から谷口選手と親交のある帯谷理事長代行を通じてお伝えして、OKが出ればそのようにしたいと思います。
それにしてもめちゃくちゃ腰が低くていい人なんですが、なんでそういう人に限って逝くのが早いのかと悔しくてなりません。あと親族からOKが出れば、盛大に谷口隆美を知ってもらおうと僕も知恵振り絞って頑張りたいと思います。悔しいけど、向こうでベンチ300kg挙げれるように頑張ってください!!HPAに一杯かかわってくれてありがとうございました。
谷口選手は、59kg級の選手で塾を経営しながら、ベンチプレスを塾生を中心に育てて自身もベンチプレッサーとして頑張っていました。
本拠地が川西市で、川西の体育館を拠点として頑張っていました。
何年か前にがんを告知され、(3-4年前?)その時胃を全摘、腸も一部しかない状況でした。
僕はもう10何年も前から知っている選手でしたが、昔から出来る事をこつこつするタイプ。
ぶっちゃけ、強い選手ではないですが、記録への向上心はものすごいものがあり、ノーギアなりフルギアなり自分が少しでも活躍できるところがあれば飛び込んでいくタイプ。
僕もそのタイプだし、若い選手で行ったら松岡君もそのタイプ。
その全摘した後の兵庫ベンチで、フルギア参戦して107.5kgを記録し、地元主幹協会枠にて、初の全日本ベンチプレス選手権に出場しました。
記録は10位で112.5kg。出来る事を精いっぱいやって確実な爪痕を残しました。
その後も、自分が出れる試合は全部出ると、パワーにも挑戦して、トータル305kgを記録。
今調べてみると出雲ベンチにも出ていました。
そして生前最後の大会になった、9月の交流ベンチ。試合が終わってから僕のところに来て、
「またがんが再発して手術と抗がん剤治療を受けます。戻ってこれないかもしれないけど精一杯戻るようにします。」とおっしゃっていました。
がんの手術を受けてからは試合に出る度に「楽しい楽しい」と言っていましたが、もしかするともう死期を悟っていたかもしれません。それでできる限りでようと。
しかし残念ながら土曜日12月19日夕方お亡くなりになりました。
我が協会からは、古城会長より花と県協会より香典、通夜に聞いている限りで帯谷理事長代行・善本光彦理事・善本弥生運営委員、そして告別式には協会を代表して、僕が参列しました。
そして最後のお別れのシーンですが、御顔を見ようとのぞいてみると、パワーのJAPANTシャツを着ています。隣に釣りパン。そして棺の横には、メモリアルコーナーとの台があり、20年のHPA新人賞メダル、兵庫ベンチの金メダル、全日本ベンチに初出場した写真があります。
最後の服装にJAPANTシャツを着て逝くか。それ見て動けませんでした。
僕は兵庫協会の長をしていまして、同じ2トップの古城会長ともよく話するのが「ルールの枠内では、目一杯選手よりにするべき。」といつも言っています。
パワーリフティングという、世間はほとんど知らない競技で、強くなって世界とっても「すごいですねー」とお世辞をちょろっと言われるのが関の山の我が協会。
そんな世間では認知されていなくても、その現場でやってる選手はいろいろな思いを込めて試合に出場します。
強い選手もいれば、弱い選手もあり。しかしその試合に向かう気持ちが大きい選手は、できる限り大きい道に進ませてあげたい。それの最たるものが推薦であり、国際大会の標準をクリアせれば権利を有するなどの制度や、試合では華やかに選手がスポットライトが当たる演出となると僕は思っています。
谷口選手は決して強くないけど、思いはそこら辺の代表選手はるかに強い選手で、推薦ゲットして一般全日本に出場し、日本で10番目に強い選手になりました。
あの棺の中の姿と、台に置いてあったメダルと縦と写真を見て、さらにその気持ちが強まりました。
焼香を済ませて、喪主の奥様と会釈するとき「わざわざ来てくれてありがとうございます」と明らかにほかの参列者と違う対応でした。協会を代表する立場で行けてよかったなと心から思いました。
我が協会では、来年の兵庫ベンチを「谷口隆美メモリアル」にすることを常任理事会で決まりました。あとは親族が賛同してくれるかどうかですが、そのことを昔から谷口選手と親交のある帯谷理事長代行を通じてお伝えして、OKが出ればそのようにしたいと思います。
それにしてもめちゃくちゃ腰が低くていい人なんですが、なんでそういう人に限って逝くのが早いのかと悔しくてなりません。あと親族からOKが出れば、盛大に谷口隆美を知ってもらおうと僕も知恵振り絞って頑張りたいと思います。悔しいけど、向こうでベンチ300kg挙げれるように頑張ってください!!HPAに一杯かかわってくれてありがとうございました。
渡辺雄二コーチ、JPA処分部分解除になり、ジム内でのパワーリフティングコーチングが可能です。

うれしいニュースです。はくほう会のパワーハウス赤穂で勤務にしている、渡辺雄二コーチが公式に、職場内でのパワーリフティングのコーチング、職場内での公式試合のお手伝いが可能になりました。
WPC出場で、JPA永久停止処分が出ていましたが、反省をしてHPAからも事情を聴いて、改悛がありましたので、JPAには迷惑をおかけしましたが、何とか復帰できないかと模索しました。
先日反省文並びに謝罪文も提出し、JPAの面談もありました。そこで理事会に議題に上がりこのたびにの決定になりました。
本当にJPAにはご迷惑をおかけしたし、兵庫県までわざわざ面談に来てくれました。本人の話もよく聞いてくれてありがたいです。
これからはその後の報告をJPAに随時報告することになります。古城会長も私も正しい方向に進んでもらうように見守っていきたいと思います。
渡辺コーチは練習も継続して行っているし、今日は僕の赤穂パワーの最終調整をパワーハウス赤穂でしたので、渡辺コーチにベンチの確認をしてもらいました。175kgがベンチ楽に上がり、自信が出る仕上がりができました。渡辺コーチも「このコースの流し方はうまい!!」とお褒めの言葉が。
今回ベンチは、大阪の中田副理事長にアドバイスと、雄二コーチにアドバイスをもらいました。
中田副理事長からは、流すコース、グリップの向き、背中の使い方。雄二コーチは流すコース、ラムベンチシャツを使った布の反発の使い方を教わりました。
おかげで自己ベストの182.5kgを練習であげる事が出来ました。
2年ぶりに自己ベストがベンチで出ればと思います。感触は良かったです!!
その後もデッドリフトを行い245kgまでを無難にあげました。試合前なのでここで終了として、バーベル系の練習はこれで終わりで本番に挑みます。
明日は基礎トレーニングをがっつり行い、あとはケアに専念します。スクワットの300は、ぎっくり腰での練習がストップしたので、今回は厳しいですが、どの種目も自己ベストは出そうな空気があります。ただ試合は今回2グループ回しでめちゃくちゃ早いので、とにかく無駄な力を使うのは厳禁。2.5kgでも余裕をもって試技をして成功を重ねて、トータル大きく積み上げたいです。
あと試合まで5日!大切に過ごします!!