ごんざの辞書のかきかえ31「くらのしきり」 | ゴンザのことば 江戸時代の少年がつくったロシア語・日本語辞書をよむ

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1728年、船が難破して半年後にカムチャツカに漂着した11歳の少年ゴンザは、ペテルブルグで21歳でしぬ前に露日辞書をつくりました。それを20世紀に発見した日本の言語学者が、訳注をつけて日本で出版した不思議な辞書の、ひとつずつの項目をよんだ感想をブログにしました。

「ロシア語」(ラテン文字転写)「村山七郎訳」    『ごんざ訳』  村山七郎注

 

「сусЕкъ」(susek')   「穀倉内の穀物置場」 『くらんしきり』 倉のしきり

 

 村山七郎訳の「穀倉内の穀物置場」とごんざ訳の『くらんしきり』(倉のしきり)がおなじであることはわかるけど、それがどういうものなんだかイメージできない。

 

岩波ロシア語辞典 「сусек (納屋の中に仕切られた)穀粒収納場。」

 

 倉庫の中にパーティションをして、そこを「сусЕкъ」(susek')とよぶんだろうか。

 日本語におきかえても、どういうものかイメージできない。文字の辞書の限界だ。

 ウィキペディアでсусекをひいたら、写真がでていた。

 

 「穀物置場」とか「収納場」とかいうから部屋だとおもったら、おおきな箱で、スーパーにある牛乳パックやペットボトルのリサイクル回収ボックスを木でつくったようなイメージだ。

 日本なら俵につめた穀物をつみあげておくだろうけど、ロシアでは直接その箱にいれておくらしい。

 

 あらためて訳語をみてみると、

村山七郎訳   :「穀倉内の穀物置場」

岩波ロシア語辞典:「穀粒収納場」

ごんざ訳    :『くらんしきり』(倉のしきり)

 

ごんざ訳が一番現物のイメージにちかいように感じる。ごんざはたいしたものだ。

 

 さて、鹿児島県立図書館の原稿コピーをみたら、ごんざははじめに(кинжа)(kinzha)(きんじゃ)(?)とかいたのをけして(кураншкиръ)(kuranshkir')『くらんしきり』にかきかえていた。

 

 日本にはないものを日本語に訳すために、ごんざは最初(きんじゃ)という訳語をかいてから、ちょっとちがうかな、とおもって『くらんしきり』にかきかえたんだろうか。

 もしそうなら、(倉のしきり)ににたような意味の(きんじゃ)ということばがあるはずだ。そうおもってさがしてみたけど、みつからない。

 

 かきかえの理由は訳語の推敲ではなくて、みだし語のよみまちがいに気づいたことだろうか。

 そうおもって、(きんじゃ)とにたごんざの訳語をさがしてみたら、候補がふたつみつかった。

 

  「сусЕкъ」(susek')    「穀倉内の穀物置場」 (きんじゃ)『くらんしきり』

1「сосЕдъ」(sosed')    「隣人」       『きんじょ』

2「сусЕди」(susedi)  (もっともひくい身分) (ふぃんじゃ)?   

 

 1はごんざの辞書にある項目で、ごんざは『きんじょ』という訳語をかいている。キリル文字の「о」と「а」のかきまちがいは、ごんざはほかの訳語でもやっているから、『きんじょ』が(きんじゃ)になった可能性はある。でも、みだし語は「у」と「о」、「к」と「д」、みまちがえそうもない文字を2か所みまちがえたことになる。

 

 2はごんざの辞書にはでていないけど、ネットの教会スラヴ語辞書にでていたことばで、(ウクライナでもっともひくい身分)というような意味らしい。(もっともひくい身分)という意味にごんざが(ふぃんじゃ)(貧者)という訳語をかいたという可能性だ。(ふぃんじゃ)(貧者)ということばは、ほかのことばの訳語としてもごんざはつかっている。

 (きんじゃ)と(ふぃんじゃ)のちがいについては、ごんざが(к)と(ф)をかきまちがえたか、私が原稿コピーの(к)の筆記体と(ф)の筆記体をみまちがえたか(よみにくい上に、二重線でけしてあるから)、ということだ。

 でも、みだし語については、こちらも「къ」(k')と「ди」(di)をみまちがえて、ふだんつかわないような(もっともひくい身分)ということばだといったんおもったことになる。

 

 1の仮説も2の仮説も不自然なところがあるとおもう。結局よくわからない。

 

 1と2のどちらなのか、どちらもちがうのか、わからない。

 ごんざがまちがえた、という前提で推理したくはないけど、最終的にただしい訳語にかきかえたのだから、どっちにしてもごんざはたいしたものだ。