ごんざの「水」 | ゴンザのことば 江戸時代の少年がつくったロシア語・日本語辞書をよむ

ゴンザのことば 江戸時代の少年がつくったロシア語・日本語辞書をよむ

1728年、船が難破して半年後にカムチャツカに漂着した11歳の少年ゴンザは、ペテルブルグで21歳でしぬ前に露日辞書をつくりました。それを20世紀に発見した日本の言語学者が、訳注をつけて日本で出版した不思議な辞書の、ひとつずつの項目をよんだ感想をブログにしました。

 「水」にあたるごんざの訳語には「мидз」(midz)『みづ』と「миц」(mits)『みつ』の2種類ある。つかいわけのルールをかんがえてみる。

ルール1
 語末にある時は『みづ』になる。

「ロシア語」(ラテン文字転写)     「村山七郎訳」『ごんざ訳』

「вода」(voda)             「水」   『みづ』
「дождева вода」(dozhdeva voda)  「雨水」  『あまみづ』
「вода снежная」(voda snezhnaya) 「雪の水」 『ゆきみづ』
「студенецъ』(studenets)       「泉」   『ぢぇみづ』(出水)
「вода кладежна」(voda kladezhna) 「井戸の水」『いがわん みづ』

ルール2
 文節末にある時は『みづ』になる。

「покропляю」(pokroplyayu)     「聖水をふりかける」 『みづまつる』
「покропленiе」(pokroplenie)    「聖水をふりかけること」『みづまつるこ
「купаюся」(kupayusya)       「水浴する」     『みづあびる』
「водопiица」(vodopiitsa)       「水を飲む人」    『みづのむふと』
「водовождь」(vodovozhdi)      「水指揮者」     『みづながすふと』
「уплескиваю」(upleskivayu)     「水をはねかける」  『みづうつ』
「водокропленiе」(vodokroplenie)  「水をふりかけること」『みづうつこ
「заливаю」(zalivayu)        「注ぎかける」    『みづかくる』

ルール3
 有声音の助詞(「の」「が」など)がついている時は『みづ』になる。

「водный」(vodnyi)         「水の」      『みづの
「студенечныи』(studenechnyi)  「泉の」      『ぢぇみづの』(出水の)
「многоводный」(mnogovodnyi)  「水の多い」    『みづのうかこ
「воднистый」(vodnistyi)      「水の多いところの」『みづのうかとこる』
「водособранiе」(vodosobranie)  「水集め」    『みづがあつまるこ

ルール4
 無声音の助詞(「から」など)がついている時は『みつ』になる。

「выныряю」(vynyryayu)     「水面に浮かび上る」『みつからづる』

ルール5
 無声音ではじまる名詞と複合語になる時は、現代日本語で連濁する場合は『みつ』になり、連濁しない場合は『みづ』になる。

「живое сребро」(zhivoe srebro)     「水銀」   『みつかね』
「мелница」(melnitsa)           「製粉所」  『みつくるま』
「водяная мелница」(vodyanaya melnitsa)「水車」   『みつくるま』
「лужа」(luzha)               「水溜り」  『みづたまい』
「водовозъ」(vodovoz')           「水を運ぶ人」『みづくみ』

 これはちょっとおもしろい。
 現代日本語では、
(みず)+(かね)で、うしろが前に同化して(みず)(ね)になるけれど、
 ごんざのことばでは、
『みづ』+『かね』で、前がうしろに同化して『み』『かね』になる。

 現代日本語では、
(みず)+(くるま)で、うしろが前に同化して(みず)(るま)になるけれど、 
 ごんざのことばでは、
『みづ』+『くるま』で、前がうしろに同化して『み』『くるま』になる。

 現代日本語では、
(みず)+(たまり)で、うしろが前に同化して(みず)(まり)にならないから、 
 ごんざのことばでも、
『みづ』+『たまり』で、前がうしろに同化して『み』『たまり』にはならない。

 現代日本語では、
(みず)+(くみ)で、うしろが前に同化して(みず)(み)にならないから、 
 ごんざのことばでも、
『みづ』+『くみ』で、前がうしろに同化して『み』『くみ』にはならない。

 そして

(例外)
「благоводны」(blagovodny)   「水のよい」  『みつのよかとこる』

 ルール3にしたがえば(みづの~)になるはずだけど、『みつの~』になっている。
 
「водолей」(vodolei)      「水汲み人夫」 『みつくみ』

 ルール5にしたがえば(みづくみ)になるはずだけど、『みつ~』になっている。
 つづりのことはこれ以上わからないけれど、意味の点で気になることがある。
 村山七郎訳は『みづくみ』も『みつくみ』も「水を運ぶ人」「水汲み人夫」と、水をくむという動作をする人の意味になっているんだけど、それでいいんだろうか。
 「водолей」(vodolei)には、(水をはこぶ人)という意味もあるけれど、(水瓶座)という意味もある。
 (水をはこぶ人)と(水瓶座)を、ごんざが『みづ』と『みつ』で区別していた、という可能性はないだろうか。