おなじ接辞のついたみだし語がたくさんつづけてでてくる時、ごんざは不自然な訳語をつけてしまうことがおおい。あきてしまうのだろう。「много」(mnogo)(たくさんの)という接辞のついたみだし語は43語もつづけてでてくる。ごんざは最初のうちはひとつひとつ丁寧に訳語をえらんでいたが、15番目のことばから27語つづけて「たくせ~」という訳語にしている。もしかすると、語彙リストの訳語のところに
「таксе」(takse)(たくせ)
「таксе」(takse)(たくせ)
「таксе」(takse)(たくせ)
「таксе」(takse)(たくせ)
と、先にかいておいて、あとからうしろの部分の訳をつけていったんじゃないだろうか。
不自然な訳語をさがしてみると、
「многосветлый」(mnogosvetlyi)『たくせあかいのと』(たくさんあかりの)
これは「とてもあかるい」(ごんざのことばでは「くつあかかと」)でいい。
「многоязычный」(mnogoyazychnyi)『たくせしたんと』(たくさん舌の)
これは「たくさん」はそのままでいいけれど、「舌の」は「ことばの」だ。
「многоножный」(mnogonozhnyi)『たくせあしのと』(たくさん足の)
意味はわかるけど、「ムカデ」かなんかじゃないのか。
「многолетный」(mnogoletnyi)『たくせなつのと』(たくさん夏の)
「многолетствую」(mnogoletstvuyu)『たくせなつする』(たくさん夏する)
これは「лета」(leta)(年)と「лето」(leto)(夏)をまちがえてしまった。ほぼ同音異義語だから、まちがえてしまうことはしかたないけれど、できた訳語の『たくせなつのと』(たくさん夏の)、『たくせなつする』(たくさん夏する)が何のことなのか、かんがえないで機械的に作業をすすめている感じだ。
いくらごんざのロシア語が上手になったからといって、ボグダーノフ師匠は作業をごんざに丸なげするべきではないのだ。
ボグ:これ、きょうの分。私はあっちの部屋でしごとしてるから。
ごん:師匠に相談しながらやりたいんだけど。
ボグ:ごめん。きょうは別のしごとがあって。
ごん:師匠は「многотрудный」(mnogotrudnyi)『たくせしんどんと』(たくさんいそがしい)だな。