#ピカソとその時代展 #国立西洋美術館 23年1月22まで #国立美術館にもの申す | Gon のあれこれ

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読後感、好きな太極拳、映画や展覧会の鑑賞、それに政治、ジャーナリズムについて、思いついた時に綴ります。

10月8日開催したばかりの同展、今月は他に気を引く展覧会がないので早々と出かける。

今回も3点取り上げる。

マチス、ジャコメッティ、ピカソ。

 

1マチス 「縄飛びをする青い裸婦」 1952年作 切り絵

中心を占めるのは右足を支えにして左足を高く上げている人間であることがわかる。両手も頭部もその位置と形でそれと知る。

胸の位置の部分が出ているから女性であることが察せられる。

両足の脇にあるものは何だろうか?

なにか台のようなものと見えなくはないが、題名によってこれが縄であり、縄飛びの動作をする人物が裸婦であることが指示されている。

このように見るのは、われわれが女性や縄飛びについて予めある観念を持っているからである。

例えば次のウサギーアヒルの図は、ウイトゲンシュタインの「哲学探究」やゴンブリッチの「芸術と幻影」に取り上げられている著名なものであるが、

​​右側のつきでた部分を口のように見て取ると左側の二股は耳と見て取ることが出来る。一方その左側をくちばしと見るとアヒルのように見て取ることが出来る。

ウイトゲンシュタインは「~のように見て取る」ことをアスペクト(閃き)、と呼んでいる。一方ゴンブリッチはこのような「変容」を「幻影」の手がかりとするのだが、いずれにしてもウサギと見るときはアヒルを見ることは出来ないし逆もそうであり相互に排他的である。

私が強調したいのは、どちらに見て取るにせよ、われわれは既にウサギとアヒルの観念をもっていることだ。

たとえば、ピカソの像の線画。

実際に像を見たことが無い者でも、「象さんの歌」と絵本を見てそれが記憶の中にあれば幼児でも象と見て取ることが出来る。

一方同じピカソの次の線画はどうだろう。

これが裸の尻であることが分るのは人によるが何歳ぐらいだろうか。

まして「女性の尻」と見て取るのはやや誇張して言えば、ある人生経験を必要とするのでは無いだろうか。

これらは先に述べたように「観念」、絵を描く側とそれを鑑賞する側に大部分共通する観念が既に形成されてあるからである。

ゴンブリッチは、絵を描くときにそれを描く描き方を学んでなければ「描写」が出来ない、としている。つまりライオンや鯨の先行する描き方を学んでいないと描けない、と言う。

そういう場合もあるだろう。

しかし最も大きな要因は「見たことが無く、それについての観念が形成されていないこと」である。

風景もある観念のもとに描かれる。

もちろん絵の購入者の観念、たとえば風景や人物の描き方に特定の様式を美とする観念が作家の描き方に大きな影響を及ぼすこともある。

 

もう一つこのマチスの青い裸婦で感じるのは、形態が、あるいは輪郭が、と置き換えてもよいが、色彩に先行する、ということだ。

マチスは恐らくそのことを発見してから、自由に色彩を、既成の観念にとらわれずに使うことになったのだろうと思う。

 

2,ジャコメッティ 「ヴェネツイアの女」 1956年

この立像もその形態から女性の立像と認識できる。

それが「ヴェネツイアの女性」であるかどうかは、作者の指示である。

マチスの切り絵にせよ、ピカソの線画にせよ、そしてジャコメッティのこの立像もまた、対象の観念を呼び起こす、その最低限の要素は何だろうか、という問いが立てられる。

ミニマリズム、というかそれを彫刻で追求したのがジャコメッティである、と言われ、ゆえに彼はしばしば「本質を追究する彫刻家」と呼ばれる。

例えば「矢内原伊作」の像の場合、それは人間一般、男性一般ではなく、一個の人間の個性を絞りに絞って限界ギリギリまで追求しようとするジャコメッティは、実存主義の研究にパリに来た矢内原にその格好の対象を見いだす。

そのために矢内原はジャコメッティに足止めされて帰国を伸ばしたりする。またジャコメッティはモデルを近くのカフェでお茶や食事に誘って行動を共にする。それは対象のいろいろな表情や仕草の中に「ミニマム」を発見しようとしたのではないか、と言うのが私の推測である。

そういえば、次に取り上げる「女、女、女の画家」を自認するピカソ(ピカソ、集英社新書瀬木著)もまた、絵の対象は愛人であり日頃から濃密な関係にありその中から多くの絵を描いた。

 

3、ピカソ 緑色のマニュウキュアをつけたドラ・マール 1936年

この絵はそうした日頃のドラの観察から生まれた絵、と思われる。

身長が150数センチしかなかったピカソは大概の女性を下から見た。

鼻の穴が際立つ「泣く女」もまたドラだが、その瞬間の形象を歪みの中に明確な統合性をもって描き切る能力に脱帽する。

「ピカソと恋人ドラ」(平凡社)を著したジェームズ・ロードによれば、ドラはマニュキュアに凝って、一時間以上架けてマニュキュアをしてもらい、またドラはよく泣く女ーピカソとともに独占欲の強い二人はよくケンカもしたらしい。また、ドラは写真家で絵描きでもあったが、プルトンのシュールリアリスモ運動に参加し、ピカソの写真も多く撮った。

芸術や共産主義などを通じて言わばある緊張を孕んだ同志的関係の側面もあったであろう。

一方ロードはゲイで、ドラからすればその女性性において友人でありその男性性において盾でありエスコートする者であった。

ピカソからすれば、ロードがエスコートしてくれる分、自分は他の愛人や子供達に割く時間が取れるから便利な存在でもあっただろう。

ロードはジャコメッティとも親しく、以下の書がある。

言うまでも無くこの扉絵はジャコメッティによるロードの肖像画である。

この作風の絵は矢内原のものがいくつかあるが、このユニークな絵はどのようにして出来上がったものであろうか、という興味が湧く。

アトリエが暮れなずんで行くとき、まず彫像が周囲の空間に溶け込んで行く。それはブロンズの暗色が光の反射を失って溶解する如くである。そうした周囲の、いわば背景に溶け出すその瞬間を捉えようとした絵であるように私には思える。

そして尚対象の人物の個性、あるいは本質と言い換えても良いが、それが保持される絵であり得ることがジャコメッティの課題であったに相違ない。

なにを勝手な事を、と研究者や評論家に言われそうだが、鑑賞という体験は かくの如く作品に触発されていろいろな問題意識と想像をめぐらすことにもあるのであり、この想像もあえて言えばこの絵や彫刻の一部なのである。

 

最後に国立西洋美術館と国立近代美術館に一言もの申したい

展覧会場でフラッシュを使わなければ写真撮影を可能としたことは、これで日本の美術館も欧米並みになったか、という感慨がある。

しかし日本的な「過干渉」の風土は依然として根強いものがある。

国立西洋美術館でいくつか写真を撮り、左側に撮影禁止のマークがあったのでカメラを持つ手を下げて絵を見入ったところ、女性の係がやってきて撮ろうともしていないのに「気をつけてください」といいにきた。

「だから(カメラを持つ)左手を下げているじゃないか」と反論したがとても不愉快だ。もう一つ、会場は絵に照明をあてている事もありやや暗いが、床にねずみ色だろう目立たない色でテープが貼ってあった。

絵を見るとき足下はだれでもおろそかになるが、目立たないテープをはって、それを踏み越えると即やってきて注意する。

これは非常にトリッキーだ。強く言えば罠にかけている、と言ってよい。

先のリヒター展では、リヒターが展示会場のライテングの指示を出すようだから明るい部屋であったが、同じようにねずみ色のテープが貼ってあった。リヒターの「グレー」に見入るうち、なにか表面に凹凸があるのでは、と近寄って横から見ようとしたら係員がすぐ注意しにきた。

その機敏さは恐らく「グレー」にはそういう鑑賞者が多いと考えてのことだろう。

しかしそれもまた姑息で日本の役人らしい。

もし絵に対する鑑賞者の興味がそこにあると思うのなら、コの字型のピアノ線でも張って横からも見えるようにすべきなのだ。

そして注意を、多分不定期で安く雇用しているのだろう女性にさせている。まるでナチの強制収容所のカポみたいに、「囚人の中から選抜して囚人の監視に当らせる」。そしてナチはその背後で残酷なことをさせる。そこまで残酷な、とは勿論言わないが、「過干渉」というのは少なくとも「鑑賞者」を子供扱いしているせいだ。

その過干渉は全体主義の、大衆を従順にさせる一方法だ。

そこに欧米の美術館との大きな、かつ決定的な思想の差がある。

民主主義とは、普通の知性をもったものは、美醜や善悪、正邪の見分けがつくものだ、と言う前提があって始めて成り立つ。

現代の美術館、博物館もその前提に立っている。

ウソだと思うなら、ロックやミルを読んでごらん。