#ゴダール監督作品 #勝手にしやがれ #Breathless #1960年フランス公開 | Gon のあれこれ

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読後感、好きな太極拳、映画や展覧会の鑑賞、それに政治、ジャーナリズムについて、思いついた時に綴ります。

カイエ・ド・シネマの批評家仲間トリュフォーが前年「大人は判ってくれない」で見事に批評家から映画作家に転身を図ってカンヌ最優秀監督賞を受賞した翌年にこの映画はリリースされた。トリュフォーの露払いもあってかこの映画は爆発的な人気を呼びフランスだけで二百万人の観客動員があったとされゴダールと主演のベルモンドは一躍寵児になる。

 

英題のBreathlessは息をきらす、息せき切ってと訳されるが、息せき切って行く先は「死」であることが男が犯した犯罪から予示される。

先ずはストーリーをWikiより

ハンフリー・ボガートを崇めるミシェルは、マルセイユで自動車を盗み、追ってきた警察官を射殺する。パリに着いたものの文無しで警察からも追われているミシェルは、アメリカ人のガールフレンド、パトリシアと行動を共にする。だが、ミシェルが警察に追われる身であることを知ってしまうパトリシア。パトリシアは、パリで地歩を固めたい駆け出しの記者・ライターであり、ミシェルはどちらかと言うとフランスにいることに執着がない。

やがて一緒に逃げることを断念したパトリシアが警察に通報してしまう。劇中も何度か出てきた「最低」という言葉を最後にミシェルが言う。「君は本当に最低だ」と、かすれ声で言われたその言葉が訊きとれず、パトリシアは「彼はなんて言ったの?」と刑事にたずねると、「あなたは本当に最低だと彼は申していました」と伝えられる。パトリシアは「最低ってなに?」と訊き返す。

このストーリーから、何でこの映画がそれほどヒットしたかを知ることは困難だ。よって僭越ながらいくつかのポイントを紹介する。

 

1,ミシェル(ベルモンド)はパリに戻りカネの工面をするために女Aのアパートに立ち寄り女がワンピースを頭から被っている隙に財布からカネを盗む。次の女(ジーン・セバーグ)はパリ大学ソルボンヌ校のアメリカ人留学生でシャンゼリゼの通りでヘラルドトリビューン(当時はニューヨークタイムズの国際版、今はNYTに統合された)の路上売り子のバイトをしているが,彼はまとわりつきながら一緒にローマに行こう、と誘い当日夕方の再会を約す。蛇足だがゴダールはソルボンヌ校民俗学中退である。

このシーンはエキストラを動員したロケではない。

撮影監督のクタールは当時パリの郵便配達人が使っていたリヤカーのような車に幌をかけて周辺に気づかれないように撮影した。

この場面の自然さがセンセーションを巻き起こした。

 

2その翌々日の夜、パトリシアが住む狭いホテルの部屋での二人の会話。

ミシェルはパトリシアの身体が欲しくてたまらない。一方のパトリシアはそれには愛が感じられないと応じられない。

もう一つは警官殺しで追われるミシェルは金蔓のあるローマにミシェルを同行しようと説得し、一方のパトリシアはヘラルドトリビューンの記者の職を得ようと躍起になっているから平行線だ。

どこまでも平行線、、ではなくしつこく迫るミシェルのなかに愛をほのかに感じたらしいパトリシアは身を任せシーツを被って二人でごそごそやってその場面はすぐに終わりるが、この場面堂々巡りしながら終わりまで約25分、全体の三分の一弱が費やされる。

リアリズムといえばリアリズム、つまり女を口説いて簡単にはいかないよ、というところだろう。しかしそれだけの価値がある時間、その後の展開から必然性があった時間だろうか、と考えるとき疑わしいと思う。

一方警察から追われる原因となった警官を撃つ場面では拳銃が(発射場面もなく)映され警官が草むらに倒れ、その後ミシェルが草むらを逃げて行く場面は全体で一分もかかっていない。実に簡単に済ませている。

ミシェルが衝動的な若者であることはこの殺人や駐車中のアメ車のボンネットを開けスタートさせて次々と盗んで捌こうとし、文無しでパトリシアをレストランに誘いトイレで男の後頭部に空手チョップを食らわせてカネを奪うなど簡単に行き当たりばったりに犯罪を重ねる男だ。

途中ハンフリー・ボガートの映画ポスターを見つめ、何度もくちびるを指でなぞる仕草を、多分マルタの鷹のボギーを真似ているが、ボギーは探偵で、解決のために邁進し暴力的というよりは知的な探偵である。

つまり犯罪者を追う側だ。その対象、転移は確かにユニークで面白い。

しかしボギーのポスターの長回しはちょっと作為的だ。

 

もう一つこの場面で特筆すべきは、どうやらフランスの映画制作では義務であるらしい「記録係」の証言だ。

ゴダールは予め役者に脚本を渡さず、現場で自分のノートを見ながら台詞を伝えていたようだ、一句一句。

主要な出演者に予め脚本を渡し、役者は台詞を覚え役作りをする、というのが常道のようだが、反面この方法は既に役者は台詞を役を解釈してしまっており、いざ撮影の時に一旦出来上がったその観念を解体して監督のイメージに合わせるのは確かに困難だから、方法論としてよく分る。

これはゴダールの創造的方法だろう。

 

3,ミシェルを追う刑事はパトリシアが一緒だと言うことをゴダール扮する通行人から知り、刑事はパトリシアにコンタクトする。

パトリシアは通報を要請されるが、尾行されている事を合図でミシェルに知らせ逃亡幇助する。しかし何時いかなる理由で心変わりしたのか覚束ないが、結局刑事に電話して居場所を知らせる。

裏切りはパトリシアがパリでの記者になる希望を捨てきれなかった、というのは後付けの解釈に過ぎない。

そして刑事に後ろから撃たれ両側に車が駐車している車道をよろけながら転びそうになりながら逃げる。そして最後は仰向けになり、事切れる寸前にパトリシアを見て「まったく最低だ」と(字幕では)言う。

そしてパトリシアは刑事に、「なんて言ったの?」と聞き、刑事は「あなたはまったく最低だ、と」そしてパトリシアは「最低って何のこと?」と言いトリュフォーの「大人は分かってくれない」のレオのように画面を見つめ、ミシェルのように指で唇をなぞり反転して後ろ向きになり暗転してFIN.

 

この「最低だ」の部分はその訳をめぐり米国ではいろいろ議論があったらしい(Wikiより)。

ミシェルの「Cest uraiment degueulasse」はDeeplの翻訳ツールでは「胸くそ悪い」と出る。英語では「I'ts really disgusting」と出るからDVDの2001Foxヴァージョンの英訳は間違いとは言えない。

がdegueulasseは、nauseating or making one want to throw up で、吐き気がする、、と言う含意もある。さすればサルトルの「嘔吐」が浮上する。

ついでに2007年のCriterion Collection ヴァージョンでは「Makes me want to puke」となっているらしい(Wiki)ので「吐き気がする」という意味を一層明瞭にしている。

しかしこの無軌道な青年の犯罪と死を、サルトルの「嘔吐」になぞって解釈するのは無用だろう。映画の中でゴダールが説明を省いている部分をもって「不条理」だの「虚無」だのと言っても知的戯れ言にすぎない。

Disgusting は「胸くそ悪い」の意味があるから日本語訳の「最低だ」は間違いでは無いが、やや不満も残る気がする。

が、日本で議論があったとは聞いていない。

 

このDVDの特典映像に「Chamber 12 Hotel de Suede」という一時間20分強のドキュメンタリーが付随しているがこれがなかなか面白い。

トリュフォーやゴダールにリベットやロメールを含めて「カイエ・ド・シネマ」で論陣を張り後に映画作家となった面々を「カイエ派」と呼んでいるが仲間内では「マフィア」のように徒党を組んでお互いの作品を褒め合い、持ち上げ合いして、互いに「天才だ」と言い合っていたらしい。

ジャンプショットも、撮ったフィルムが長くなりすぎたので、編集段階でゴダールが切り取って結果ジャンプしたらしい。

評判なるものの形成過程というか、その頼りなさというか、の一端が垣間見えて面白い。

 

余談だが、Hotel Sweeden はその後改築して今は三つ星のきれいなホテルである。

 

さて、先にパトリシアがパリ大学(ソルボンヌ校)の学生でゴダールもそこに学んだことを書いた。ゴダールが入学したその1949年に、メルロ=ポンティが同大学文学部心理学と教育学教授に就任した。メルロは1908年の生まれで、当時41才の新進の教授であった。既に「行動の構造」や「知覚の現象学」を著し、1945年にはパリの高等映画研究所で、「映画と新しい心理学」と題する講演を行った。

その中で、「もし哲学と映画が同調しており、(哲学の)反省と(映画の)技術的作業が同じ方向に進んでいるとすれば、それは哲学と映画人が共通に一つの世代に属するある在り方、ある世界観を持っているからである。思想と技術が互いに呼応し合い、ゲーテの言う「内にあるものはまた外にある」ことを検証するもう一つの機会がここにあるわけである」

(意味と無意味 みすず書房 p86)と述べている。

しかも1952年には最高峰のコレージュ・ド・フランスの教授に就任する程の著名な教授であったから、ゴダールがメルロの授業を聴講しなかった訳はないが、ゴダールに与えた哲学者メルロの影響に言及した研究は見かけない。ゴダールも自分を語ることが少なく秘密主義、とも言われ、その分資料に乏しいことがあるかも知れない。

ゴダールのその後の映画のブログの中でいつか再び言及するつもりである。