映画 #博奕打ち総長賭博 #監督山下耕作 #三島由紀夫 #佐藤忠男  | Gon のあれこれ

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読後感、好きな太極拳、映画や展覧会の鑑賞、それに政治、ジャーナリズムについて、思いついた時に綴ります。

1968年正月第二週作品として公開され、東映が期待したほどの興行成績ではなかったが、翌69年三島由紀夫が「これは何の誇張もなしに『名画』だ、ギリシャ悲劇にも通じる構成」と激賞して、この作品がヤクザ映画で初めて芸術的評価を受けた作品となる。

 

先ずはあらすじから

1 昭和9年、河島という右翼の黒幕の私邸に、江東地区を縄張りとする天竜一家の総長(親分)が弟分の仙波組組長仙波(金子信雄)の手引きで招かれ、「子分たちを満州に送り込んで麻薬を含む荒稼ぎをしてくれないか」「これは国家的使命だ」などと誘われるが、総長は「わしの一家は博打打の分を守って渡世するのが家憲」と断る。

2 その直後総長が倒れ、急ぎ跡目を決めなければならなくなる。

衆目の一致するところ筆頭組長の中井(鶴田浩二)だが、中井は自分は大阪のよそ者だから、と言って断り、代わりに弟分の松田(若山富三郎)を推す。しかし仙波は既に他の組長たちに根回しをしており、「刑務所に入っているような奴はダメだ」と反対され、結局中井や松田の弟分である石戸が後継者に選出される。

3 石戸の襲名披露の前に出所してきた松田は一家は中井か自分が継ぐべきで、それを石戸が受けたのが許せない、と逆上する。そして石戸に直談判するが、石戸は天竜一家の決定である以上意地でも立派な総長になってみせる、と返す。松田はいきり立って殴り込みをかけるが、果たせず謹慎させられる。これは仙波が天竜一家を乗っ取るために描いた筋書きどおりだった。

4 間に立った中井は幹部たちをなだめ松田をおとなしくさせようとするが、松田はあくまで襲名披露をつぶそうとし、松田の周囲の子分たちも彼に殉じようとし、その子分を庇おうとして中井の妻が自死する。

悲劇は広がってゆくのだ。

5 遂に中井は雨の降る寺の境内で松田と兄弟分の縁を切る。

一方で中井は石戸に「あんたが二代目に立ったことで仙波と何か裏の話でも出来ていたのか」と確認するが、それは無かった事がわかる。中井は石戸が仙波と裏で通じているのであれば、石戸を切るつもりであった。松田に石戸の潔白を話すと、松田は「そんなことはもう問題じゃない。石戸の後塵を拝することは自分を安くする」といって納得しない。あくまでも意地を通そうとする。

6 修善寺の総長賭博の会場に全国から親分集が集まる。そこで仙波は石戸を河島の前に呼んで「天竜一家は大陸から麻薬を密輸して儲ける団体に発展的に解消し、今回の総長賭博のテラ銭はその団体の活動資金にする」と告げるが石戸は憤然とはねつける。

7 直情径行の松田は賭博の成功を祈って参拝に来た石戸を負傷させるが、石戸は仙波の言いようにはさせぬ、と傷を隠して襲名の儀式終え床に就いたところを仙波の刺客に殺される。

8 賭場が終わってテラ銭が集まり、それを仙波は自分が管理する、と言い出すが中井が抗議する。すると仙波は「松田が石戸を刺したのはお前が手引きしたんだろう」と言われ、自分の身の潔白を立てるために松田の居場所を突き止め彼を刺す。

9 その帰り道、中井は仙波の放った刺客に襲われ、逆にこれを捕え、仙波が石戸を殺したことを確かめて修善寺に戻り仙波に対する。

中井が仙波に詰め寄ったとき、仙波は「中井ツ、、叔父貴分のワシにドスを向ける気か!てめえの任侠道はそんなものだったのか!」と責めるが中井は「任侠道か、、そんなもん俺にはねえ、、俺は、ただのケチな人殺しなんだ、」と静かに言って仙波を刺す。

これに中井を無期懲役とする裁判所の判決がダブって終わる。

 

この映画は「兄弟仁義」シリーズの監督山下が、「日本侠客伝」シリーズの脚本家笠原との話し合いで、「兄弟仁義」の逆、つまり義理人情の任侠映画ではなく、ヤクザの内紛を描く葛藤劇をやろう、と決めた(Wiki)。つまり「天竜一家」という組織の跡目をめぐる内紛劇である。

しかしそうは言っても、疑似家族的な背景は変わらない。

親分ー子分、義兄弟、親分の弟分は叔父貴、、など。

悪役は満州から麻薬を持ち込んでそれを売りさばく組織を天竜一家を乗っ取って利用しようとする河島や仙波。何やら岸信介や里見某が脳裏に浮かぶ。

 


さて三島が何を高く評価したか、についてであるが、手元にその資料がないので、ここでは佐藤忠男の「長谷川伸論」に従って紹介する。

「総長賭博」はたしかに傑作である。これほど、組織と個人の闘争のあり方を純粋に煮詰め上げた作品はそう、ザラにはない。が、同時に、ある一点においてこれはまったくバカバカしい映画であり、そのバカバカサしさは、(1970年三島が自衛隊市谷で憲法改定のために決起せよ、と呼びかけた後に割腹した)三島のバカバカしさと等価である。」

「任侠道の真髄は『弱気を助けて強気を挫く」というところにあり、多くのやくざ映画によれば親分の絶対無謬性を最後に叩き切るのがヒーローなのである。こんな(反体制的な)恐るべき正義派は堅気の世界にも滅多に居らず、ましてや現実のやくざの世界などには決して存在するわけがない。」(p16)

「三島が自ら演じたドラマにおいては、ヤクザ映画の任侠道という観念が、そっくり、忠誠という観念に置き換えられる。三島があの事件で全国民にアッピールした事はただ一つ、日本人は天皇に忠誠心を持て!ということであった」(p17)

「中井は松田が、組織を破壊しても筋は通さねばならぬ、主張して居ることを許すわけにいかない。なぜなら中井は組織の秩序を維持し続けることを至上としている男だからであり、それが彼の任侠道だからである。彼は先ず組織を全否定する松田を殺すことによって組織に対する自分の忠誠のあかしをたて、しかる後に組織悪の核心(仙波)に白刃を向けるのである。」(p14-15)

三島事件について最も興味深いことは、三島がアッピールしたのは天皇への忠節に他ならないのに、つまり任侠道を本気にしないと同じように、天皇への忠誠と言うことを本気にせず、ただその形式にだけ感動している人が少なくないことであり、それはおそらく、思想のデカダン現象ということであろう。やくざ映画を、そのイデオロギーを抜きにして形式美だけで愉しむことが一種のデカダン現象であるように(p18)

 

三島(本名平岡公威)は祖父、父も東大法学部から官僚になった家柄に生まれ、幼少のころは祖母の絶対的影響下に置かれ男の子らしい玩具は取り上げられ、外での男の子らしい遊びも禁じられた。祖母は公威の遊び相手におとなしい年上の女の子を選び、公威に女言葉を使わせた。この祖母の直接の訓育は三島が12歳まで続くのだが、早熟の天才三島のIQ(精神年齢)は12歳といえども青年期くらいの筈であり、こうした生育環境は彼の精神形成に影響を及ぼさないわけは決してないだろう。三島は自分の性(肉体)と女言葉を使わされたことで言語を奪われたのである。それらは後の人生において「回復」されなければならないものであった。30歳ごろからボディビルで身体を鍛えようとしたことにもそれが現れているし著作「太陽と鉄」そのように受け取れる叙述もある。天皇に対する忠節、という時代に感応しない絵空事を、つまり観念だけが暴走することを本気で信じ、切腹をするまでに至った事を理解するには、幼少の生育環境の要素を補助線として差し挟まなければ不可能だと思う。一方「天皇に対する忠誠」は象徴天皇が三島に求める筈のない、三島の天皇に対する一方通行の忠誠である。恋愛における片思いがそうであるように、一方通行の感情は対象に対してどのように想像をめぐらすことも出来、それに伴って欲望というエネルギーを無限に備給することが可能である。その欲望の備給の中にエロティシズムがあり、忠節の極限状態としての切腹ー陶酔があるのである。

 

最後に佐藤忠男は

私は、義理人情を、忠義よりはマシナモラルだと思うのである。忠義には、臣下の忠節を踏みにじった主人に対する報復ということはないが、義理人情では、義理を踏みにじった親分には盃を叩き返して白刃を向けることが許されている。義理人情というのは半ばは双務契約であって親分が義理を欠けば、子分もまた盃を返す論理的根拠を持つわけである。長谷川伸的な(沓掛時次郎の)世界があくまでも庶民的なものであるとすれば「総長賭博」の世界は、ほとんどサムライの世界である。伸の世界ではやくざは、自分がやくざであることを恥じて極力へりくだっているが、「総長賭博」的な世界では、やくざはほとんど一門一家における立身と栄達を誇りとしているようにみえる。」(p32-34適宜抜粋加除)

と述べている。佐藤は長谷川伸の「沓掛時次郎」と三島絶賛の「総長賭博」を対照して、明らかに長谷川伸に肩入れしている。そして文の襞には著者佐藤忠男の民衆作家長谷川伸に対する尊敬の念が織り込まれているように思える。

 

チャンバラ映画にもその後のやくざ映画も殆ど見たことが無かったのであるが、前のブログ「沓掛時次郎」で述べたように、ミラーニューロンを出発点に「共感」についていろいろと考えるうちに、仏教の慈悲や宣長の「もののあはれ」から「義理人情」ないしは「義理と人情」に至ったのであり、その過程で 映画を通して日本の文化や道徳観を探ってきた佐藤忠男 に巡り合った。その追及の伏線には、電車の優先席にどっかと座ってスマホをいじっている若年から壮年の人がたくさんいる事態、それを中国や韓国旅行での経験に照らして、一体日本の「道徳観・倫理観」はどうなっているのだろうか?という問題意識がある。