原題は「Summer with Monika -Sommaren med Monika」1953製作
ベルイマン監督35歳。国際的にも評価の高い「道化師の夜」と同時期の作品である。
先ずはストーリーから。(MovieWalker より抜粋、一部加除)
春のストックホルム。労働者階級の住む下町の瀬戸物店で配達係をしている青年ハリイ(ラルス・エクボルイ)は、モニカ(ハリエット・アンデルソン)という十七歳の少女と知り合った。二人とも先の見込みのない仕事で,モニカは奔放な性格、ハリイは父と二人暮しで、のんきな性格の青年であった。そんな二人の仲は急速に接近して行った。モニカはある夜、酔って帰った父と口論して家をとび出し、ハリイの許に走った。ハリイは自分も家をとび出し、彼女と二人きりで父の持つモーターボートの中で暮そうと決心した。二人は、狭い船室で恋の喜びに身をまかせた。二人は、のんびりした生活を送っていたが、夏も終わりになり家に帰るべき時が来たがモニカの妊娠は明らかだった。ストックホルムに帰った二人は、ハリイの伯母の世話で結婚し、モニカは女の子を生んだ。ハリイは自分の親としての責任を喜んで果たそうとして、工場に職を得て真面目に働きはじめ夜は夜学に通って親子三人のよりよい生活を目指した。しかしモニカは主婦の生活には堪えられず、以前のような興奮と冒険の生活をあこがれ、ハリイが仕事で朝帰りした時モニカが男といるのを発見。そしてハリイは彼女と離婚し、モニカの遺棄した自分の子供をひきとって自分で育てようと決心した。
最後は冒頭のシーンと同じ鏡の前でハリイは我が子と二人を映し、やがてモニカとのひと夏の、モニカが逆光のなか裸で磯辺を海に向かっていくシーンや二人でボートで海に乗り出すシーンの回想と二人の生活の証でもあった家具が二束三文で売られて運ばれる今のシーンで終わる。
この映画はハリエットアンダーソンのあけっぴろげな裸体と男女の行き当たりばったりの性的関係で、スエーデンが「性的自由の国」という評判を高めた、とされる。
この映画でベルイマンは何を描きたかったのだろうか。
10代の若い男女の、楽園でのセックスを含む生活。
しかし食うためには社会に出て働くか盗みをするしかない。
そういう現実に直面した時、結局はストックホルムに帰って仕事を見つけ
家庭を築き社会に適応せざるを得なかった。
そしていつまでも楽園を夢見る、あるいは社会に適応できないモニカは
別な男との新しい性的関係を持つ形でその社会の枠を飛び出すしかなかった。
あるいはモニカに体現される奔放な女の性か。
あるいはエデンの園の不可能性ー妊娠と生活ーか。
ベルイマンは前年33歳の時三度目の結婚をしたばかりであった。
かれは5度結婚をするのだけれど、
単に「惚れっぽくて飽きっぽい」とは片づけることは出来ない。
結婚は簡単だが離婚は精神的にも大変だ。
それを4度も繰り返す精神的エネルギーは何処から来るのか?
その修羅から得られた女性観はどんなものか?
そうした事まで考えると、ストーリーを紹介するのは簡単だが
主題を推し量るのはなかなかむつかしい。
そしてその難しさが映画作家としての注目に繋がったのではないか、
とも思う。(主題無き映画)
映像的には予算が乏しいせいで、ロケ撮影中心、同時録音、即興演出
など、後の1950年代のヌーベルバーグの先駆けとなった。
ゴタールなどに称賛された所以である。
主演のハリエット・アンダーソンとは当時性的関係にあったらしい。
その関係が途絶えた後も、「道化師の夜」や「夏の夜は三たび微笑む」などで
起用している。(別れ方がうまいのだろうか?)
最後に「不良少女モニカ」と言う題名は、米国での配給権を買った者が
センセーショナルーモニカのヌードを含めーな狙いで付けたとのこと。
それが日本での映画名にもなっている。
この非常事態宣言の中、映画館にも美術館にも行けず、古書市は中止、、
と言う中で、ベルイマンの映画をレンタルで借りたため、返却期限までに
連日鑑賞してはブログを書いた。少し消化不良の気味もある。
一人の映画作家の作品を連続して見るという珍しい体験もした。